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「外見と内面」という話

「外見と内面」という話

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オスカー・ワイルド「見た目で判断しないのは、浅はかな人間だ。世にある真の不可思議は目に見えるものであって、目に見えないものではない」

人間の「外見と内面」とは何でしょうか。

少し考えてみましょう。

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ようこそ。門松一里です。静かに書いています。

いつもは、
「あまり一生懸命になるな」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/n081dd28c9a6c
とか、
「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/n416e39d84b94
を書いていますが、本当はノワール作家です。

という話(ik)-2

という話(ik)を連載しています。

こちらは調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。※虚構も少なからず入っています。

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《外見》
まずは、外見(そとみ)です。

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株式会社パーソナルデザインによる、ビフォーアフターを見てください。
http://pdstudio.jp/details/ba.html
※PCから閲覧してください。

代表取締役の唐澤理恵さんは、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で学術博士を取得しています。つまり、論理的に外見を構築しています。

こうした事を知っているかどうかで、第一印象が変わってきます。そして、それはおおむね正しいのです。

絶世の美女に会うのに普段着で行くでしょうか? シンデレラも善意の魔女の厚意で王子と会うことができました。灰かぶりのままでは王宮に入れないのです。

服がないと困るという例では、本田技研工業の創業者本田宗一郎が「技術者の正装とは真っ白なツナギ(作業着)だ」と言って、皇居に行こうとしました。(さすがに止められて、燕尾服を借りました。)

人に会うには、それなりの礼儀が要ります。

三顧の礼ではありませんが、私はいっしょに仕事をしたい人がいたので、三回スーツを新調して会いに行ったことがあります。

相手がどう考えるかは別として、こちらとしての礼儀を果たしていれば自分の後悔はありません。

昔、私は、自分のした事に就いて後悔したことはなかった。しなかった事に就いてのみ、何時も後悔を感じていた。
——中島敦『光と風と夢』

シングルブレストのスーツのボタンを全部留めている。スーツなのにシャツがボタンダウン。ネクタイにディンプル(くぼみ)を作らないで結んでいる。カバンはナイロンのリュック…
本当に多い。そんなんだったらわざわざスーツを着るな。
そんな着方するくらいならTシャツで働いたほうがマシ!!

https://twitter.com/hironobutnk/status/1382655671502471173

田中泰延さん(@hironobutnk)が言うのはもっともな話です。調和というものがありますから。その調和は歴史そのものです。

特にスーツは要注意です。それで世界制服(原文ママ)されかけたことがあるのですから。#blackjoke

スーツは制服です。ある種の力の象徴でもあります。畏怖や尊敬の畏怖や尊敬の類(たぐい)にもなります。

NSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党)の制服のデザインは文句なく最高にカッコイイです。#blackjoke

何故ならカッコイイようにデザインされているからです。

人は見た目に騙されます。ドイツはアドルフ・ヒトラーに騙され、ナチスによって欧州は焦土と化しました。

それだけ意匠(デザイン)は重要だというです。安易に武器を使えばどうなるか想像できないのでしょう。田中泰延さん(@hironobutnk)はそれを警告しています。

では、若人向けに、外見を考えてみましょう。

オスカー・ワイルド「見た目で判断しないのは、浅はかな人間だ」

人は見た目でしか判断できません。まずは外見を整えましょう。とはいえ、新しい服を買う必要はありません。第三者から見て好印象であることです。

1.清潔にする。ほつれを繕ってあれば古い服でも構わない。

英国のチャールズ王太子は靴を修繕して履いています。どうしてか。靴は慣れるまで時間が経かるからです。昔は、履き慣らすための人もいたそうです。

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私もスラックスの修理をしています。こうした修繕の楽しみもあります。(ポケットは使えなくなります。)

2.姿勢を正す。凛としながら余裕をもつこと。

足を肩幅に広げ、両手を上げて鏡を見てください。垂直のはずが、たいてい前に傾いています。そのままゆっくり手をおろしてみましょう。痛いですか? 運動不足や体調不良が考えられます。痛みの原因が何かを調べましょう。健康第一です。

3.ていねいに話す。言葉遣いで印象は変わります。

たとえば、字が上手に書けない場合を考えてみましょう上手に書けなくても、ていねいに相手に分かるように書くことはできます。それを心がけるだけです。強く感情を入れる必要はありません。

他にもありますが、とりあえず三つだけ述べます。

こうした外見を調えることを思慮(センス)と言います。センスは運や才能に左右されない技術で、一生使えます。

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《内面》
内面についてですが、外見と同じ言葉を引用します。

”It is only shallow people who do not judge by appearances. The true mystery of the world is the visible, not the invisible....”

これは、オスカー・ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像』の台詞です。

美しい青年ドリアン・グレイは歳を経りません。その理由を知ったとき、ドリアン・グレイは破滅します。

後半の「世にある真の不可思議は目に見えるものであって、目に見えないものではない」に注目してください。人は見た目でしか判断できませんが、内面もまた見える(行動として表現される)ものなのです。それはつまり、生き方です。

死に様は一瞬。生き方の切り口。

人生の意味については、偉大な先人が考察しているとおり「よく解りません」が、どうやって生きるかはあるていど選択できます。けれど、『「努力の意味」という話』で述べたように、ふつうの人が努力しても意味はありません。
cf.
https://note.com/ichirikadomatsu/n/na919768fbdb0

努力は運と才能がある人がするものであって、運に見放された才能のない人がするものではないからです。

酷い言い方ですね。けれど、それが現実なのです。そのかわり、技術というものがあります。外見では思慮(センス)ですね。内面ですと、一般教養(リベラル・アーツ)がそれにあたります。

かつて、一般教養(リベラル・アーツ)はその名の通り自由になるための術(すべ)でした。簡単に言えば、昔は一般教養がない者は奴隷だった訳です。

奴隷の思想はあいまいですから、多く惑わされます。そして、その惑いの思想は奴隷自身の行動として表現されます。

狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。
——『徒然草』第85段

また逆に、惑いの思想は奴隷を独裁者にしてしまいます。
cf.
田中泰延「だれも学ぶ方へ手を出さない」
「独裁者の部屋」
https://www.nhk.or.jp/jp-prize/dictator/interview03.html

「実はいちばん重要なのは、どういう結論を出したかということ以上に、どういった思考を経てその結論を導き出したかということなのです」
cf.
瀧本哲史『武器としての決断思考』(星海社、2011年)P68

一般教養(リベラル・アーツ)を学ぶことで、その技術を武器にすることができます。気をつけなくてはいけないのは、その武器は強力で自分をも傷つける覚悟がいるということです。

そうした思想から生き方を決めれば、行動が人の内面を形成します。そうすれば、生きたい場所に、自然と連れて行ってくれます。

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