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「陰徳」という話

「陰徳」という話

「陰徳」(いんとく)という言葉があります。

平和を祈りつつ、少し考えてみましょう。

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ようこそ。門松一里です。静かに書いています。

という話は、調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。※虚構も少なからず入っています。

※本当はノワール作家です。

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一般的に「徳を積む」というと、立派な人がいろいろ貢献するものです。

皆が知っている訳です。明らかなので「陽徳」(ようとく)と呼ばれます。

一方で誰も知られずに貢献する「陰徳」(いんとく)があります。

陽徳は知られているので、山のように積まれます。見て分かる訳です。

陰徳は知られていないので、誰にも気づかれません。

賢い人がじっと見て「ああこれはあの人がやったのか」と気づく程度です。

そんなことをずっと続けていると、まあ恥ずかしいです。

東京大学大講堂は「安田講堂」(やすだこうどう)と呼ばれています。

安田財閥の創始者である安田善次郎が、匿名を条件に寄付して建築されました。

匿名が条件ですから、安田が亡くなるまで誰も知りませんでした。

1921年(大正10年)9月28日に、安田善次郎は暗殺されました。

理由は「金儲けばかりして民衆を救っていない」(意訳)という傍若無人なものでした。

安田は自分の善行を言う訳はありませんので、殺められました。

そのあと犯人のテロリストは自殺しています。

テロリストがもう少し賢かったら、事実に辿り着いたかもしれません。

生きて裁判にかかれば、きっと知ったでしょう。

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陰徳は危険なのかというと、そうではありません。

中国では「陽徳より陰徳をせよ」と教えられます。

陽徳がその山頂によって民を導くものであるなら、陰徳はその崖谷に橋をかけ民を楽にするものです。

陰徳は穴埋めのようなものです。ですから、危険があっても助かります。

けれど、時代が変わってしまいます。

1921年(大正10年)11月4日。安田善次郎が暗殺されてひと月すぎに、内閣総理大臣だった原敬が暗殺されます。

こののち軍靴の音が聞こえてくるようになります。

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