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19年生きた猫を見送った話。猫は隠れた場所で最期を迎えるのか
飼い猫を、自分に子供のように扱う人は割といる。が、おそらく彼は、そう扱われることを快く思わないだろう。彼、というのは、先日まで私たち家族と19年間にわたり同居した猫のことである。
名前を、ホーリーという。
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……厨二感漂う名前だが、本人(本猫)は気にしてなかった様子なのでご容赦いただきたい。
その名の通り、赤ちゃんの時は白くてフワフワした、毛玉みたいな猫だった。
目の上にまろ眉みたいにちょこんと黒い模様があり、どことなく高貴な感じがした。
瞳は空色で、体は耳と尻尾の先だけ黒い。育つにつれ、背中や眉間も茶色っぽくなった。いわゆるシャムミックスと言われるタイプの猫だ。
飼い始めたのは、大学2年生の頃。
当時付き合っていた彼氏と同棲をスタートする際、彼が友人からもらってきた猫だった。
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昔から猫を飼うのが夢だった私は、その白いフワフワに夢中だった。
しかし、飼い始めてしばらくすると、そのあまりの我の強さに辟易した。
猫という生き物の特徴なのか、彼の個性なのか。とにかく自己主張が強く、やれ飯をくれだの、トイレを掃除しろ、なでろ、そこはなでるな、もっと強くなでろ等、何かにつけてにゃあにゃあ大声で要求した。
しかも異様な寂しがり屋だった。
猫は孤独を愛するイメージがあったが、家に一人ぼっちにしようもんなら
「俺を置いていくな―――!!!!」
と大声でぎゃーおと鳴き、家を出た後数十メートル先まで周囲に遠吠えが響いたほどだ。
おそらく近所の人は犬を飼っていると思っていたに違いない。
しかし寂しがり屋の割には、心を開く人を選び、私の母が遊びに来た際には押し入れの隅から頑としてでてこず、強引に触ろうとした母の手を思い切りひっかいた。
人間で言えば完全なメンヘラタイプである。
一方、多くの猫がそうであるように、彼もまた、寒くなると甘えん坊になった。
枕元の隙間から、強引に布団の中に入ってきて、私や彼氏のお腹の当たりで丸まって寝るのが好きだった。
ポジショニングにこだわりがあるらしく、本人的にジャストフィットな布団の空き具合でないと、入ってもすぐ出てしまう。
なので、ポジションが決まるまで、枕元から出たり入ったりするので、スース―して寒かった。
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コタツを購入してからは、冬場は1日のほとんどをその中で過ごしていた。
ホーリーの存在を忘れて、うっかりコタツに勢いよく足を突っ込もうもんなら、問答無用で足をひっかかれる。そのため、コタツにはそろそろと注意深く足を差し込むのが、我が家のセオリーであった。
夏が近づくと、彼は床の上でだらしなく手足を伸ばし、お腹をぴたーッと冷たい床にくっつけて涼んでいた。
その姿を見ると「あ、今年もまた夏が来たね」と季節の到来を確認した。
スーパーの店頭に置かれるスイカのように、夏の始まりを教えてくれる存在が、私たちにとっては長年、彼だった。
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えさをあげたり、トイレを掃除したり、世話をするのはこちらなのだけど、彼は独立した存在だった。
仕事がうまくいかず落ち込んだ日も、うまくいってウキウキした日でも、こちらのことはなーんにも気にせず、彼はただふとんでゴロゴロしていた。そんな距離感が心地よかった。
その後、同棲中だった彼氏は、10年近く交際したのちに夫となり、二人の子供が生まれた。
長男が生まれた直後、ホーリーはやきもちを焼いたのか、なかなか寝ない息子がうとうとし始めたタイミングを見計らって「にゃー!」とやってきては息子を泣かせたり、なぜか家中の壁に粗相をしたりといった蛮行を繰り返し、その時ばかりは関係性が悪化した。
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しかし、徐々にそうした行動もなくなり、私が夜中に授乳で起きると、首輪の鈴をチリチリ鳴らしながら一緒に起きてくれて「おやつくれ」とせがんだ。
つかず離れず、なんとなくそばにいてくれた。
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そんな彼が、今年の5月ごろから少しずつ、ご飯を食べなくなった。
4月ごろまでは、旅行中面倒を見てくれたペットシッターさんから「え、19歳ですか?15歳くらいにしか見えない!」と、独特のお世辞を言われ、得意げにしていたのに。
階段を難なく上り下りし、ちょっと玄関を開けたすきを狙って素早く外に出て、家の周りをぐるぐる見回りして帰ってくるような、元気な猫だったのに。
ふっくらした体は背骨が見えるくらいに痩せ、ボーっと虚空を見つめて過ごす日が多くなった。
猫の19歳は、人間で言えば90歳近くになる。いつかそういう日がくることは、ずっと前から知識として知ってはいた。ただ、知っていただけで、覚悟はできていなかった。
何度目かの通院で、肝臓がんだと分かった。高齢のため手術は難しく、一週間も持たないだろう、といわれた。
自力ではご飯を食べなくなっていったが、食べないと症状が悪化してしまう。
そのため1日数回、シリンジに餌を入れて、口をこじ開けて、流し込むように給餌した。
給餌の際に身体をおさえられるのが嫌なのか、うぅーッと低い声でうなって逃げようとする。
獣医さんに相談すると
「嫌がるかもしれないですが、えさをあげなければそれまでですよ」
と言われた。
こちらがえさをあげなければ、おそらくすぐに命が尽きてしまう。
それでも、私は確信が持てなかった。
こんな最期を、本当に彼は望んでいるのだろうか。
無理やり餌を口に入れられて、もう治らない病気と闘わせられるのは、果たして彼らしい最期なのだろうか。
迷いながらも、物言わぬ彼の口に、毎日餌を注ぎ込み続けた。
ただ、そのかいあってなのか、1週間を超えても自力で水を飲んだり、家の階段を上り下りしたり。一時は少量だが自力でご飯を食べるまでに回復した。
庭に出してあげると、よろよろしつつも、家の周りのなわばりを見て回ろうとした。
夫は「生きる力がすごい」と感心していた。
ただ、時折、段ボールの隅に隠れたり、押し入れの隅に隠れたりするようになった。
“猫は、最期の時を、飼い主に見つからないように、隠れたところでひっそりと迎える”。
どこかで聞きかじった話が胸をよぎる。
ついに、その時が来てしまったのか。
おしいれの段ボールの中、クローゼットの隅、風呂場の隅…。
いつも行かないような場所にのそのそと入っていく姿を見るたび「今日でもう終わりなのか」と涙した。
力ない背中は、最期の場所を探しているように見えた。
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でも、散々泣きながら夜を過ごして、朝を迎えると、ホーリーは何事もなかったかのように「にゃーん」と甘えてくる。そんな日が続いた。
いつが最期なのかわからず、彼のちょっとした行動に右往左往する日々は、少しつらかった。
それでも、思った。
人間が、勝手に
「最期の場所を探しているんじゃないか」
「生きるのを諦めてしまったんじゃないか」
なんて思いこんではいけないのかもしれない。
「彼らしい最期かどうか」なんて考えるのは、人間のエゴなのかもしれない、と。
そんな日々が数日続いたので「あれ、もしかすると、もう少しこのまま一緒に過ごせるのかもしれない」という希望さえ、生まれた。
余命を宣告されてから、2週間たった朝。
いよいよ足元がおぼつかなくなり、まっすぐ歩けなくなった。少し歩くと、そのままじっとうずくまってしまう。
今まで見たことのない、彼の姿だった。
彼が最期の場所に選んだのは、押し入れの中でも、クローゼットの中でもなかった。
うるさいくらいに家族が往来する、ダイニングの床の上だった。
照明もまぶしいし、うるさいに違いないのに。
寂しがり屋の、彼らしい場所だった。
彼はうつろな目で、静かに、冷たい木の床に横たわっていた。
冷たかろうと夫がタオルを引いて寝かせたが、冷たい床の方が気持ちいいのか、しばらくすると移動していた。
あ、夏がきたんだな、と、私はなんだか思った。いつも通りの、夏が来たな、と。
その日の夜は休日で、夕飯は鉄板焼きだった。ワイワイご飯を食べていると、ホーリーは「うるさいよ」というように、「にゃーん」と一度鳴いて、ごろりと背を向けた。
それが、私が聞いた、彼の最後の声だった。
深夜二時ごろ、予感がして目が覚めた。様子を見に行くと、彼の瞳はもうビー玉のように、何も映していなかった。
口とまぶたが少しだけ開いていて、体はまだ温かかった。きっと直後だったのだと思う。
夫を起こして、だんだん温かさが失われていく彼を代わりばんこに抱きしめながら、一生分くらい泣いた。
翌朝も、5歳の息子と3人でわんわん泣いた。
三歳の娘はまだよくわかっていないのか「ホーリー、しんじゃったの?」と何度も聞いた。
その日の昼、火葬場で、骨になった彼を見た。
担当してくれた人が、「年の割にしっかりした骨だ」と褒めてくれた。
もう彼でなくなった、かつて彼だった骨を見て、私は胸のつかえがとれた気がした。
もう彼は苦しまなくていい。重苦しい身体はもう焼いてしまったから、好きなところを散歩したり、駆け回ったりできる。暑くも寒くもない。
水も好きなようにのめる。
自由に走り回れるに、違いない。
火葬場で泣きじゃくる息子に
「またどこかできっと会えるよ」と声をかけると
「ホーリーってもう一匹いるの?」と返ってきた。
「体は焼いてしまっても、魂は生き続けるんだよ。だから、魂にはまた会えるかもしれない」と言うと、「魂って何?」と息子。
見えないものについて信じたり、それについて説明することはとても難しい。
けれど、私が信じていることを、できるだけかみ砕いて伝えてみた。
息子は、伝わったのか伝わってないのかわからないが、あいまいにうなずいて、葬儀場の池の鯉を眺めていた。
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彼が旅立って、数週間がたつ。
当たり前に一緒にいた同居人がいなくなり、私の世界から猫が消えてしまった。
それでも生活は淡々と続いていく。鈴の音がしなくなった家で、私は毎日仕事をし、子どもたちと遊び、ご飯を食べ、眠っている。
そうやって少しずつ、彼がいない生活に慣れていくことを、とても寂しく思う。