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渋さの、その奥に

新年度も始まって新生活が始まった人もだいぶ落ち着いてきた頃だろう。
保育園も毎日大賑わいである。年長になった子どもたちは、お兄さんお姉さんとして色んな当番ができることを楽しんでいる。

微笑ましいその光景を見ながら、私はこの前卒園した子どもたちのことを思い出していた。
あの子はもうお友達できたかな、何をする時間が好きなのかな、悲しい思いはしていないかな。
一人ひとりの顔を思い浮かべながら時折考えている。

保育園は朝7時過ぎから空いていて、担任の先生が来て通常保育がはじまる8時半まではお当番の時間にかかる。
私は現在、その当番の間で子どもたちを見る補助の立ち位置をしている。

今年はだいぶ朝のホールも落ち着いており、喧嘩が始まったりする事もあまりないけれど、去年の子達が元気いっぱいだっただけに、今に若干ゆとりがある分ちょっと寂しい気持ちにもなったり。

昨年度いた子は一年をかけて大きく変わっていった子が沢山いたのだが、その中で私にとって印象的だった子がいる。

朝の当番にかかっていた男の子で2歳クラスの時にも担任を持っていた子なのだが、朝登園してきてすぐ床に寝転がって話しかけても遊ぼうとせず、リュックも下ろさないで物憂げな顔でじっとしている子だった。声をかけてみても「めんどくさーい」と動こうとしなかったり、「やだね」とこちらを揶揄ってくることもしばしば。

遊びに誘ってみても「それやったことないからいい」と言う時も多かった(私に対しての気恥ずかしさも多分あったのかもしれないが)ので、「やってみないとわかんないでしょ」と私がツッコむところまでがお決まりのくだりだった。
でも何かと話してみるとちょっと面白いなと思うところも多くて、私もどうにか話せるようになりたいと思っていたので、遊びを断られても「まあ、やりたくなったらおいで」と声をかけながら毎日話しかけ続けていたら半年くらい経って反応が変わってきたタイミングがあった。

まず、登園してすぐに寝転がっていた彼だが、ある日から突然真っ先に私の近くへ来るようになったのだ。

私は朝にまず子どもたちと会ったら挨拶をして、朝ご飯だったり今朝や昨日のことを話題に出して話をする。
その子に限っては天邪鬼で、「おはよう」と言っても頑なに言わずにわざと「あのさ」と自分の話から始めるのが恒例だったが、向こうから話しかけてくること自体珍しいことだったので「おはようって言ってるのに〜」とツッコみながらも話を聞いた。

その子がよくしてきたのはポケモンの話。去年の年長さんはポケモン好きが多く、子どもたちによくポケモンの絵を描いてあげる事もあったので、その子も私がよく色んな子に絵を描いているのを時折見て「あ、これ知ってるよ」と声をかけてくれる事があったのを思い出した。

「昨日これを捕まえたよ」「俺の持ってるポケモンで強いのは何でしょう?」「これって進化するの?」と、そんなところからどんどん話をするようになった。
その日から彼とたわいもない話をする日々が増えていったのだが、知っていくほどに彼は面白くて卒園が近づいていくほど沢山喋っていたように思う。

何が面白いって、彼はなかなかに趣向が渋いのである。
甘いものは苦手。回転寿司が好きで子供っぽいものよりウニや魚を好むところや、つまみになりそうな食べ物の方が好きなところなんかも、そこだけ見れば私より年上みたいである。

あとは、何と言っても将棋が好きなところ。

将棋とはいっても、「どうぶつしょうぎ」という3×4のマス目を使った将棋の前段階のような簡単なものなのだけれど、キリンは斜め方向、ゾウは前後左右、ひよこは前だけ、ライオンは全方位、というように、進める方向が決まっていてそのルールに従って敵のライオンをとった方が勝ちという将棋の前段階のような、頭を使うボードゲームだ。

子どもたちにも大人気で私もよく相手をしていたのだが、彼はどうぶつしょうぎがただ好きなだけではなく、めちゃくちゃ強かった。

保育園の中で誰も彼に勝てた人はいなかったと思う。
同じクラスの子達はもちろん、私をはじめどんな先生を相手にしても必ず勝っていた。出鱈目に打っていたとかではなく何手も先を読んでどこに行っても勝てるように詰める、という高度なことを既にやって退けていた。

だから私もまだみんながルールを覚えたての頃に初めて一緒に勝負して勝って以来、卒園までに打ち負かせたことは一度もなかった。
好きになるという想いの強さがここまで及ぶのを見たのは久々で、姿で確とそれを見せられて痺れた。

ついには誰と勝負してもその子が勝ってしまうので「つまんない」と言い始める始末。
私に何度も勝負を挑んでくるので「強いから勝てないよ〜」と弱音を吐いたら、「やってみないとわかんないでしょ!」といつか私が彼に言った言葉をそっくりそのまま言われて「確かにそうだね・・・」と渋々勝負することになった。そして案の定負けるのである。

「この駒なしでもいいよ」と手加減なんかされるもんだから、途中から笑えてしまった。彼はどんな大人になるのだろう。行く末が気になって仕方がない。
それに食べ物の好みのことだってあるから、もしかして人生何周かしているのかと勘繰ってしまう。ブラッシュアップライフ中なのかしら。
かわいい顔して末恐ろしい。侮れない。

普段は子供らしさが溢れる彼なのだが、考え方が大人なところがそう思わせるのかもしれない。
「そんな強かったら将棋の大会とか出れるかもよ」と私が言っても、「でも俺弱いから。強い人はいっぱいいるしさ」と言うのだ。
自信過剰にならないところが彼らしい。外面は強がりでもきちんと中身は慎重なのである。

卒園前の時にも私が「小学校に行っちゃうの寂しいな」と言うと「俺は寂しくないよ」と毎日強がっていたのだが、ある日ふと「小学校に行って、三年生とかが意地悪してきたらどうしよう」と呟いたことがあった。
それを聞いた時に、2歳クラスで担任していた時の彼のことを思い出した。

年長になってからは何に対しても怖がる素振りも見せないくらい強くなっていたけれど、かつてはハロウィンや節分といった行事のたびにお化けや鬼を物凄く怖がっていた。肝試しの日も一人でものすごいスピードで走ってクラスへ走って帰るのを追いかけたのを今でも覚えている。
そんな彼の中にあった「怖い」と感じるものは少しずつ、表面上のものから見えないものへ変わっていっているのだろうと感じた。

私は「まあ、意地悪する人にはやめてって言えばいいし、それでもやってくる人はいつか寂しい思いをする時が来るから、放っておけばいいよ」と声をかけた。
小学生だったいつかの私もそうしていた。どんなにどん底へ落ちた時も、わかってくれる人が一人でもいれば人はなんとか生きていられる。

彼は賢いし意志を簡単に曲げる子ではないので、これからもちょっとやそっとじゃ揺らがない気がする。
素直じゃないところもあるので友達と喧嘩した時になかなか折り合いがつかない事も多かったけれど、卒園間近になったタイミングで初めて彼が自分から解決しようと友達と話をする姿を見かけたり、きちんと私の言葉も無視せず理解しようとする姿を見て「立派になるだろうな」と感じた。

そんな中での年長最後の登園日、いつものように朝の当番の時間にやってきた彼は私の元へ来るなり何でもないような顔で言った。

「いつも一緒にどうぶつしょうぎしてくれて、ありがとう」

照れを隠すようにすぐ違う話をし始めたけれど、半年前は絶対に自分からそんな言葉を言わなかった彼からの感謝の言葉はとても特別だった。たった一言でも胸がじんわり温かくなった。

将棋は彼に負け続けてしかなかったので良い相手にはなれなかったけれど、人としてちょっとばかりは彼の心に何かを残してあげられただろうか。

10年後、彼はどんなお兄さんになっているだろう。趣味がもっと渋くなっていそうな気がする。
何にせよ、また会えるようなことがあったら私も胸を張って顔を合わせられるような人間でいたいな、と思う。


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