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人の気持ちがわかる時

今日は久しぶりに保育園での出来事を書こうと思う。
もう早いもので3月も残り数日となった。

年度の節目。どんな業界においてもこの時期は出会いと別れの季節だという方が多いだろう。
私も紛れもなくその一人である。

今年で保育園で働きはじめて6年目を終えようとしている。だが、担任した子どもを送り出す側になるというのは今年がはじめてだった。
卒園する子どもたちを担任したのは2歳クラスの頃。はじめての異動で不安に満ちていた上、新年度早々、緊急事態宣言が発令され在宅勤務を余儀なくされた2020年。イレギュラーなことが重なったことで、特に記憶にしっかりと残った一年だった。

そんな中で出会った子どもたち。前の保育園で2年連続0歳児クラスを担任していた私にとってはじめての2歳。
話を交わせる、ということ自体が新鮮だった。

ただ、イヤイヤ期真っ只中な子やこれからその時期を迎える子も多い年齢。
トイレに行ってみる、外から帰って着替えをする、食事の支度をする・・・。一つひとつをこれから自分でできるようになっていく段階で、それぞれ性格も違う子ども達を相手する日々はそれは大変なものだった。

子ども達もきっと、はじめて出会う先生な上に、在宅の期間が終わった後に登園した子は二ヶ月ほどのブランクがあったのできっと戸惑ったりもしただろうなと思う。
けれど、少しずつ子ども達を理解し寄り添っていけるように努力していく中で、信頼してもらえているんだなと思える瞬間も増えてきて嬉しかったことをつい最近のことのように思い出せる。

そんな子ども達がもう小学校へ旅立とうとしているのだ。
大人に手伝ってもらいながら生活していたみんなが、今や自分で当たり前に何でもこなしている。言葉もどこからそんなことを覚えてきたんだろうと思うくらい達者だ。改めて子どもだからって侮れないと思う。

私がこの一年でいちばん嬉しかったことは、子ども達が周りのことを思いやれる人に成長したことだ。

せっかくなので今年度過ごしていた中で特に印象的だったエピソードを何回かに分けて書けていけたらと思う。

今日ここに書く子は昔からとにかく虫が大好きで、園庭に出れば土や木の近くで虫取り網を持っては虫を探していた。
年齢が上がっていくほどその博識さはいよいよ頭一つ飛び抜けて、私も虫のことで分からないことがあればその子に聞いてしまうほど昆虫博士だった。

ただ一つ気になっていたのは、賢いが故に人一倍弁が立つので、喧嘩になった時に相手の子を言葉の圧で負かしてしまうということだった。
それは相手が悪かった時はもちろん、相手がわざとした事ではなくても同じエネルギーで詰め寄ってしまう。

普段が好奇心旺盛で無邪気なだけに、その勢いに余計に驚いてしまう。
私が子どもの頃にもしその子に怒られていたらそれ以降話すのがちょっと億劫になるだろうな、というくらいにはすごい剣幕だったので、私自身もよく仲裁に入りながらどうにかできないかなと思いながら過ごしていた。

そんな事を考えていたある夏の日のことだった。
あまりに暑い日だったので、外で少しの時間だけ日陰で虫取りするだけならいいということで園庭に出ていた子ども達。しかし何やら喧嘩をしている声が聞こえる。
声の発信源を見つけて駆け寄るとその子もいたのだが、今回は怒っている側ではなかった。珍しく言い寄られている側だった。

よくよく話を聞いてみると、怒っていた女の子は虫取り網がなく長いこと探していたらしい。そこで毎日網を持って虫を探し回っていた彼に「なんでいつも〇〇くんばっかり使ってるの!ずるいじゃん!」と不満をぶつけている様子だった。

ただ、実際のところ彼は何も悪いことはしていなかった。というのも、虫取り網は毎回いくつか余っていて必ずみんな手に渡るようになっていたから、たまたまその日に全部使われていただけで意図的に独り占めをしていたわけではないのだ。

ただ、いつも外に出て必ず虫取りをしていたことや、みんなが知っているほど虫好きなことが高じて勝手にそう思われてしまったのだ。

その子は一生懸命「違う!余ってたから使ってたの!」と訴えていたものの、怒っていた女の子のほうも一度スイッチが入ると周りの声が聞こえなくなってしまうタイプだったので聞き入れてもらえない。
そうである。彼は今まで自分が友達にしていた事を、珍しく受け手側として体験したのである。

どちらも自分の主張に必死で一向に話が終わらない気配だったので、私が間に入って一人ずつ誤解を解いて話は落ち着いた。
女の子が網を持って去った後、私は時を逃さないように彼を近くに呼んで「今、どんな気持ちだった?」と尋ねてみた。

怖かったのか悲しかったのか、消沈した顔で「ずっと言ってたのに聞いてくれなくて嫌だった」とその子はポツリとつぶやく。
「そうだよね。いつも〇〇くんも、喧嘩した時にお友達の話を聞かずにずっと怒ってるけど、もしかしたらお友達もこんな気持ちだったかもよ」
私がそう言うと、少し間を置いて大粒の涙をこぼしはじめた。緊張の糸が少しほぐれたのもあったのかもしれない。

少し涙も収まった頃、二人でいられる間にそっと励ましながら「お話聞いてもらえないのは嫌だよね。今度から自分のこともそうだけど、お友達の言ってることも聞いてみて」とその子に伝えた。
彼はその日を境に少しずつ変わっていく。

「あの子って今どんなこと考えてると思う?」「あの先生は今、何で困ってるか考えてみよう」
ちょっとしたゲーム感覚で、少し離れた場所にいる人が何を思っているか、その様子から考えてみることから始めた。

そこから「じゃあこんなことで困ってる時、〇〇くんならどんなことをしてもらったら嬉しい?」と聞いてみながら、少しずつ自分から他人へと視野が広がっていくようにじっくり話をするようになった。

そうすると日々、「先生、今日俺こんなことしたよ」と教えてくれるようになった。嬉しかった。自分のことしか考えなかったその子が、誰かのために何かをしたという事実に担任の先生たちも驚いていたのを覚えている。

初めは私に喜んでもらえると思ってやっていたその子も、次第にそんなことがなくても自発的に人を助けられるようになっていく。
一年経ってその子は義務感や褒美欲しさとかではなく、ただ心で感じて怪我をしたり困っていた人に声をかけて助けられるようになっていた。

長くなりすぎるので今回はこの辺りでおしまいにするが、このような心の成長をこの一年の間に子どもの数だけ目撃している。

私はこの瞬間が何よりも好きだ。新しい一歩へ踏み出し変わろうとしたその子は、ものすごく輝いている。
人としてとても尊いその瞬間を、大人になってからはなかなか目撃することができないからこそ、私はこんなに素敵な場所で働けていることを誇りに思う。とやかく周りに言われようがこれだけは絶対だ。

「自分のことを大切にする」ということは、「他人のことも大切にできる」ということ。
それが色んな子ども達に少しでも伝わるように過ごしたこの一年、きちんと目に見える形で成長を感じられた事を嬉しく思う。
これからも未来のために自分がどう関われるかを考えながら、子ども達と過ごしていきたい。

何がともあれ、卒園する子ども達がのびのびと過ごせるように、心から祈っていられる自分でいようと思う。

読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。