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推し、尊い

気がついたら1年の半分が終わっていた。飛ぶように早くて、なおかつ密度が高すぎて1月のことなんか3年前くらいのことに感じている。

でもそれだけ日々が充実していたというのはありがたい話である。

こんなにも生きていることが楽しいと思えるのは、なんでなんだろうか。
色んな要因がある。

私で言うならば、そもそも幸せのハードルが低い部分が大きい。
小学校の時にどん底を一回経験しているので、基本どんなことにも嬉しさを感じられる。

カフェの店員さんとした会話が面白かったこと、保育園で雲梯が苦手だった子が前よりできるようになったこと、料理がいつもより美味しくできたこと・・・。

基本的にハードルが低いので気分が落ちていることがない。我ながら単純な奴である。

あとはなんと言っても、「推しの人が多い」という点にある。
お笑い芸人さんや好きなアーティストはもちろん、身の回りにも自慢して推せるくらい誇れる素敵な人が増えた。

少し何かがうまくいかなくて落ち込んだ日も、YouTubeやPodcastでお笑い芸人さんのコンテンツが更新されたなら、それを見聞きしたときにはもうそのマイナスの感情はどこかへいっている。

この前もケビンスの二人のラジオを聴いたり、足腰げんき教室のYouTubeを観ていたら、悩んでいる自分が馬鹿馬鹿しくなって吹っ切れていた。

そうなればあとは早い。気分を奮い立たせる時は好きなアーティストのプレイリストをいつだって聴けるように作っている。
私の場合は中学生の時からずっと椎名林檎の曲が人生のバイブルのように近くにあるから怖いものなしだ。

そして今は年々、実直に人生を生きたご褒美かのような素敵な人にたくさん出会えている。
自分の目標のために常に戦闘モードに入りがちで自分を休める時間を作るのが苦手な自分が、心を許せるような存在にここ数年で沢山出会えている。
そうなった時に、もう何も人の目を気にすることがなくなった。

自分を助けてくれたり、支えてくれた人たちに恩返しをしたい。
それだけ考えて生きていたら、ああだこうだ言っている人の存在なんてどうでも良くなった。
自分の人生に何かを与えてくれる訳でもないのに、そんな人を気にしている時間がもったいない。

明日は明日の風が吹く。
叶えたいことがあるなら地道に努力を積み重ねることが大切だけれど、自分がどれだけ尽くしてもどうにもならない部分はどうにもならない。
傷を負って一旦気絶しそうになってしまった日は潔く推しに助けてもらう。そうして、できるだけ早くリングに戻ってくる。

歳をとるほどタフになっていきたい。最近こっそりそう思っている。
昔からの負けず嫌いな性格は今だって消えない。

生きてる限りは高みを目指したいし、ゆくゆく誰かの推しになれたら、そんなの一番嬉しいかもしれない。

ちなみに最近、私の母には推しのアイドルグループができた。言わずと知れたアイドルグループ、Snow-Manである。
かれこれ生まれてから母が料理以外で何かに熱中していることをあまり観たことがなかったけれど、60を過ぎた母があんなに生き生きするもんかね、と我ながら驚いた。

実家に帰った時も、お互いが好きなグループのダンスの話やどこが素敵だとかいう話で盛り上がった。
30歳を前にして親とこんなに共通の話で盛り上がれるとは思わなんだ。やはり、何が起こるかわからない人生である。

推しって凄い。年代なんて関係なく生きる力をこんなに与えてくれるのだから。
母にはその調子で生き生きしていてほしい。

読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。