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立つ鳥、後を濁さず

立つ鳥、後を濁さず、という言葉が好きだ。

余計なことは何も言わず必要な文字だけがそこにある潔さ。
飛び立つ鳥は汚い痕跡を残していかないことに準え、その場所を去るものはきちんと後始末をしていくべきだという事を表したことわざである。

その時その場所にいる自分たちだけではなく、その後同じ場所を使う人の事を考えるということは小さなことだけれど、案外できている人はいないんだな…と思うことが最近あった。
「自分さえ良ければ…」「まあ誰も見ていないし…」そういった人が増えていくほど、他の誰かがその迷惑を被るのだ。

この前それの極みみたいな光景を見た。4月の話だ。

私の住んでいる地域は桜の名所なので、駅からすぐ出た小さな川沿いの遊歩道もお花見客が沢山やってくる。
たまたま駅前へ買い物をするために20時ごろにその近辺を通った時のこと。

桜の近くで爆音で花見していた人たちを見かけた。海外の若そうな男女4名ほどが、階段の前を占拠してパーティのように大騒ぎしていた。当の本人たちは楽しそうだが、私はもう少し周りを見ても良いのでは?と思った。

「花より団子」とは言ったものの、花はおろか「団子より酒」状態だったので、「これやったら花見の意味がまるでないやないか」と思ってしまった。
クラブでやっていただいたほうが彼らにも桜にも双方にとって良いのでは?

満開の時期を過ぎ、丁度散り始めていた桜。その様を見ようともしていない。いや、見ているのかもしれないが表面上にしか見えない。

なぜか。
だってこの人たち思いっきりサングラスかけてる!!!!しかも黒の!!!!桜の色見えとるんかえ!???

桜の淡い色なんてそこからは見えないでしょうし、所謂「エモい」を目指していたのかもしれないが、残念ながらあなた達はクラブのびっかびかのピンクの照明の中にいたほうが映えます。
桜じゃなくてストロボの光が散っていたほうがもっとブチ上がるのでは。

この日本的な景色の中で楽しんでいる俺たち最高・・・とでも思っていたのだろうか。だとしたらなめられたもんだと思った。
楽しむのはいいけれど、履き違えないでほしい。
大騒ぎはしてもある程度節度を保っていたのなら私も100歩譲って、まあこんな楽しみ方も私にはない感覚だからあるのかも、と冷静になれたけれどなれなかった。

次の日の朝、保育園へ向かう途中に昨日のその人たちがいた場所の横を通って唖然とした。
シートが残ったその上には空になった紙コップや二日酔いみたいに倒れて涎のように残った液体を吐いている缶、コンビニや屋台で買ったと思われる食べ物の容器の残骸が散乱していた。

どういうこと?
ついこの前、京都でも神社でいたずらをする方がいたりもしたけれど、いくらインバウンドの波があると言えど人としての振る舞いはある程度考えてほしい。ここは家ではない。

もちろん、日本人より丁寧に言葉を重んじたり、礼儀を弁えている海外の方もお見かけするから、決して全員のマナーが悪いとは全く思っていない。
むしろそれくらい敬意のある海外の人に出会ったら尊敬してしまう。

それに、逆も然りで国外へ行ってマナーの悪い日本人だってもちろんいるから。
人の振り見て我がふり直せ、ということで。

どこにいたってそう。使ったらきちんと元の状態に戻す。
一人暮らしの家で自分だけで完結することであればいいが、共用の場所であればその迷惑を誰かが被らなければならないのだ。

誰かがやってくれると思っている人は、意識せずに誰かに助けられてきた人なのかもしれないな、と考えたりする。
そういう人に限って訪れた場所が汚かったり乱れていると、「誰か掃除してへんのかい」とか抜かしているのかしら。世界の中心はお前ではない。

そんな一言や行動を見てる人は割と周りにいると思う。自分で自分の株を下げないように。
そう自分にも言い聞かせている。

皆さんも気ぃつけてください。

読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。