iCHi / クリエイター・保育士

東京在住/イラストレーター/身体や音楽などジャンルの垣根を越えた表現や作品づくりをして…

iCHi / クリエイター・保育士

東京在住/イラストレーター/身体や音楽などジャンルの垣根を越えた表現や作品づくりをしています/【仕事実績】:似顔絵・キャラデザ・配信楽曲アートワーク・ロゴ制作・演劇フライヤー等 📩ご依頼・ご相談等はこちらから https://lit.link/ichio8624

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【 楽しんで描く 】

絵を描けるようになってみたいけど苦手意識を感じていたり、習うほどの勇気が出ないという方はいませんか? 日常の中で誰かに説明をする時、特に保育士や幼稚園教諭といった幼児教育を目指している方、現役の先生、保育士試験で「造形」の科目を受けようと考えている方、お子さまがいるお母さんやお父さんなんかは、絵が描けたら便利な場面も多いかと思います。 今回は今年度に入って、私が新たに始めたことについて書こうと思います。 これまで保育士として働き、表現者としても活動する中で、自分に何がで

    • 孤高のぼっち

      ふと、一人暮らしを始めて10年が経っていることに気がついた。 つまり東京に来てから10年経ったということである。大学時代は八王子に住んでいたので、厳密に言えばあそこはほぼ山梨だと思っている自分にとっては東京と言えるのかどうかは怪しいけれど。 家族とは別で暮らしている。年に1回実家に帰れたらいいほうである。 これに関しては、実家に帰ってもほぼ一人で散歩をしているか部屋にこもっているので、こっちにいるほうがむしろ電話越しによく話ができる。 でも30歳を目前にしてパートナーもい

      • 推し、尊い

        気がついたら1年の半分が終わっていた。飛ぶように早くて、なおかつ密度が高すぎて1月のことなんか3年前くらいのことに感じている。 でもそれだけ日々が充実していたというのはありがたい話である。 こんなにも生きていることが楽しいと思えるのは、なんでなんだろうか。 色んな要因がある。 私で言うならば、そもそも幸せのハードルが低い部分が大きい。 小学校の時にどん底を一回経験しているので、基本どんなことにも嬉しさを感じられる。 カフェの店員さんとした会話が面白かったこと、保育園で

        • いつだって、言葉

          私は言葉が好きである。 どんな人も、言葉を使わなければ他人との意思疎通をはかることは難しい。 でも言葉を扱うのもまた難しいことだ。 それを紡いでいくことで人を感動させることだってできるし、騙すことだってできてしまう。 たとえ同じ言葉を発したとしても、誰を介して出てきたかによって意味合いや切実さだって変わってしまう。 だからこそそんな面白い「言葉」の存在が愛おしい。 私が言葉に興味を持った原点は子ども時代である。私は本を読むことが昔から大好きだった。 保育園の頃から地域の

          素直なまんま

          この前保育園での仕事を終えて帰る時、昨年度の卒園児の男の子が門の外で自転車の後ろに乗って待っていた。 「あ、久しぶり〜」と近寄ってみたら手を振ってくれたけれど、顔が全然元気じゃなかった。 「どうしたん?悲しいことあった?」 尋ねてみたら彼は目にちょっと涙を溜めてぽつりぽつりと話し始めた。どうやら学童で遅くまで残っていたのが寂しかったみたいだ。 お母さんが一番下の子を迎えにいっている少しの間、私はその子と話をすることにした。 そういえば去年も二人で色んな話をしたな、というこ

          初バイト話

          この前コンビニに行ったら、研修中の店員さんにレジを担当してもらった。 まだ手際もそれほど良くない感じで慣れていないんだろうな、と思いながら見ていたが、そういう時に私は極力急いでいないですよオーラを出す。 いつかの私もこんな感じだったなぁ…と微笑ましく目の前の店員さんを見ていたら苦い思い出が蘇ってきた。 私は大学生の間、3回バイトの場所が変わっている。やらかしてバイト先を飛んだとかそういうわけではなくそれぞれ場所を変えたのには理由があるのだが、今日はポンコツだった若かりし頃

          結婚式は、あります!

          今年の5月上旬、29年生きてきた人生の中で初めて友人の結婚式に参列した。 一年前までは本当にこの世に結婚式は存在しているのか、自分とは縁がなさすぎて「それは何をされている式なの?」と心の中でアッコさんに扮したMr.シャチホコがずっと居座っていたのだが(これについてはこちらの記事に書いてあります)、この期に及んでようやくそれを目撃することができたのだ。 と、茶番はここまでにして。 今回の結婚式は高校時代から今までずっと事あるごとに時間を共にしてきた、私にとって大切な友人の式

          立つ鳥、後を濁さず

          立つ鳥、後を濁さず、という言葉が好きだ。 余計なことは何も言わず必要な文字だけがそこにある潔さ。 飛び立つ鳥は汚い痕跡を残していかないことに準え、その場所を去るものはきちんと後始末をしていくべきだという事を表したことわざである。 その時その場所にいる自分たちだけではなく、その後同じ場所を使う人の事を考えるということは小さなことだけれど、案外できている人はいないんだな…と思うことが最近あった。 「自分さえ良ければ…」「まあ誰も見ていないし…」そういった人が増えていくほど、他

          想いは密かに

          「先生さ、マスクしてない方がかっこいい」 大人なら思っていても言わないであろうそんな爆弾発言を、目の前で私の膝に座りながら遠慮なく放ってきたのは今年の3月に卒園した年長組の女の子である。 私も私で、コンプレックスだらけの学生時代ならそんなこと言われた日にはショックを受けて自分をさらに卑下しまくっていただろうが、大人になってからはメンタルが起き上がりこぼし並に仕上がっている。 それくらいわかりきった事だ。食らっても一瞬で戻る。 「ねーえ、そんなん言わんといてー!先生だってマ

          私は点P

          私は論理で教えられるよりも、イメージで掴めた方が理解が圧倒的に早いタイプの人間なのだなとつくづく思っている。 私は昔から理数系の科目が本当に苦手だ。 辛うじて小学校の時の算数は好きだった。理由は明確。文章題が多かったから。想像することが好きな私は算数の教科書に書かれた問題を読みながらいつも余計なことを考える。 花子さんは歩いて、太郎くんは自転車で一緒の地点からスタートして池の周りを回るという設定も「どういう状況?花子さん罰ゲームやん。あ、でも歩くの好きなんかもな」とか思

          渋さの、その奥に

          新年度も始まって新生活が始まった人もだいぶ落ち着いてきた頃だろう。 保育園も毎日大賑わいである。年長になった子どもたちは、お兄さんお姉さんとして色んな当番ができることを楽しんでいる。 微笑ましいその光景を見ながら、私はこの前卒園した子どもたちのことを思い出していた。 あの子はもうお友達できたかな、何をする時間が好きなのかな、悲しい思いはしていないかな。 一人ひとりの顔を思い浮かべながら時折考えている。 保育園は朝7時過ぎから空いていて、担任の先生が来て通常保育がはじまる8

          石橋は壊しちゃう前に渡れ

          私はとにかく石橋を叩かないと何事も進めないタイプである。 が、周りが思っている以上にしつこいぐらい確かめる。 最初から終わりまで隅々までヒビが入っていないか、欠損している場所がないか見るのはもちろん、それを自分が大丈夫だと思うまで何回も繰り返してしまう。 例えば、毎朝絶対やるのは家の鍵を閉めたかどうか。 いつも考え事をしながら家を出てしまうので、20歩ぐらい歩いてから「あら、私鍵閉めたかしら」と不安に駆られて引き返す。 無意識できちんと閉めているので今まで引き返して鍵が閉

          石橋は壊しちゃう前に渡れ

          根は、ふざけたい

          子どもの頃から熱しやすく冷めやすい私だが、近年になってのめり込むほど好きになっている事がある。 芸人さんのトークを聞くことだ。 PodcastやYouTubeなど媒体は問わない。ご飯を食べている時、絵を描いている時、散歩をしている時・・・。とにかく芸人さんの話を暇さえあれば聞いている自分がいる。 元々、生まれも育ちも大阪だったこともあって、普段から痛快なトークを聞くのは大好きだった。 ただ歳を重ねるにつれ、子どもの頃にしていたようなたわいのない話をすることが減っていき、当た

          きっと誰かが見てくれている

          「いつだって見ている人は見てくれているよ」という言葉を私の尊敬する人はどの人も言っていた。 小学校時代、陰で誰かに褒められるわけでもなく日々を過ごしていた私にとって、その言葉をはじめて聞いた時は衝撃で、以来ずっとお守りのように胸に置いていた言葉だった。 自分のことを好きになれなかった頃の私は、ただただ真面目に生きることでしか報われないと感じていたのだと思う。 だがそんなふうに生きていても陰口や嫌味を言われる日は訪れた。それ以降は生きていくほどに私の本当にやりたい事がどんど

          きっと誰かが見てくれている

          人の気持ちがわかる時

          今日は久しぶりに保育園での出来事を書こうと思う。 もう早いもので3月も残り数日となった。 年度の節目。どんな業界においてもこの時期は出会いと別れの季節だという方が多いだろう。 私も紛れもなくその一人である。 今年で保育園で働きはじめて6年目を終えようとしている。だが、担任した子どもを送り出す側になるというのは今年がはじめてだった。 卒園する子どもたちを担任したのは2歳クラスの頃。はじめての異動で不安に満ちていた上、新年度早々、緊急事態宣言が発令され在宅勤務を余儀なくされた

          受け容れる余裕

          先月、往生した母方のおばあちゃんの告別式があった次の日、母と一緒に喫茶店へモーニングを食べにいった。 なんだかんだで二人きりでご飯を食べにいくなんて、学生ぶりのような気がする。 こんがり焼けたトーストと香ばしいコーヒーの香りの中で、一時間弱のおしゃべりを楽しんだ。 私と母との関係については先週書いたエッセイを読んでいただければと思うのだが、母親とは年々仲良くなってきている。 30を手前にして精神的にも成熟してきたこともあるし、どんな人に対しても近すぎず遠からずの関係が心