中山みき研究ノート2-10 病の元は心から
病の元は心から
さて、をびやゆるしがほふそゆるしと共に大切な教理の元になっているので、まず当時の、「ほふそ」の状況から見ていきましょう。
ほふそとは今でいう天然痘のことです。天然痘は、現在ではこの地球上から絶滅した、と言われています。まさに、教祖が「ほふそせんよにたしかうけやう」(注=おふでさき〈十二 95〉)と、書かれたことが実現したのです。
これが、教祖の教えによって、お道の人が努力して天然痘を撲滅したのなら、大いに喜ぶべき所なのですが、残念ながらこれは医学界の努力です。
ほふそ(疱瘡)は当時、疱瘡神が人間に与える病疫と考えられていました。これは、をびやも同じことであり、一言で言えば、疱瘡は皆がかからなければならない病であり、お産は穢れたものであるからいろんなしきたりに従わなければならないもの、とされていました。昔から長い信仰の風習に汚染し、因果応報の考え方が染み込んでしまった人は、人間が心得違いをしたから神が罰を与えているのだ、と考えていました。
それに対して、教祖は「そんなことはない」と、それまでの因習から人々を解放していきました。それが「ゆるし」という意味なのです。お産やほふその迷信にもこだわらなくてもよろしい、天然痘に罹らなくてもよろしい、人類には皆安産を許してある、皆が健康に暮らすことは神が許してある。これが、教祖の教えです。
しかし、人間の心得違いから、互いに傷付け合い、倒し合い、飢えさせ、貧乏させるようなら、その結果として、死人も出るし、怪我人や病人も出るのであって、人間の心得違いが、直接に災害や疾病を作っているのですから、これは完全に人間の責任です。 みかぐらうた十下り目に、
とあるように、神が病気にしているのではないし、前生因縁で病気になるのでもありません。過去の行ないといったものではなく、本人の心得違いか、相手のか、または、その国が軍国主義などの間違った方針を採ったという心得違いのためか、いずれにしても人間が禍を作り出しているのだ、と教祖は教えて下さっています。 神の罰ではありません。
当時、疱瘡はどのように扱われていたのでしょうか。教祖が、これは神の与えた災厄ではない、と教えられた頃、すでに日本の医学界では、これは伝染病であるとして、予防のための種痘が江戸の神田や大阪で行なわれていました。それでも、当時の日本の状況をみれば、特に疱瘡については、ごく少数の人が伝染病であり神が下した災厄ではないと思っていただけで、大部分の人々は、天の刑罰としての病気である、と捉えていました。当時の疱瘡を取り巻く状況の一例として『病気と治療の文化人類学』(波平恵美子著・海鳴社刊)から、滝沢馬琴の日記を紹介している部分を引用してみます。 馬琴は若い頃、医者見習いをしていました。当時は医大がなかったから、医者に弟子入りすると医者になれたのです。
滝沢馬琴は、自分が医者の見習いであり、子供も医者でありながら、孫が病気になった時にはこういうあわてようなのです。
赤木綿というのは、多分、牛の天然痘である牛痘との関係だと思われますが、牛の血で染めた木綿を持っていると天然痘にかからない、という迷信があったのです。 それが次第に、赤ければ良い、ということになり、赤い頭巾、赤い着物などがまじないとして使われるようになってしまい、天然痘が流行ると、赤い手拭いが大量に売れました。また、赤で書いた絵を疱瘡神として祀ったりもしたようです。
これは滝沢馬琴の家だけのことではありません。将軍家が疱瘡になると、大名を始め、誰彼かまわず大勢がお見舞いに行きました。当時は見舞いに行った人の誠が病人に力を付けて、病魔を退散させると考えられていました。病人の家では感謝の意味でその人達に御馳走をしたものだそうです。しかし大勢が詰め掛けるので余計に流行ってしまう、ということだったようです。引用を続けましょう。
因縁事で疱瘡神が病気を起こすということになれば、病気治しの神事に人が大勢寄るようになり、疱瘡はますます流行ります。迷信が伝染病を流行らせたのです。
病気にはまた、病気になるべき前世や過去の「業」が原因となって起こる、という考え方があります。業病という捉え方です。業によって病気になったということは、その言葉を裏返せば、業が果てたら病気が治る、ということにもなります。
どうすれば業が果てると考えられていたのでしょうか。最も簡単な方法は、身近な者三人に移せば果てるというものです。ひどい迷信があったもので、それならば、なるべく早くに、周りの人に移す余裕のあるうちに、というので、病人はあちこちの人の多く集まる場所に出かけて行きます。一方、健康な人も、どうせ納めなければならない年貢なら早いうちにと、わざわざかかりに行く人まで現われてきます。
『南京のキリスト』という芥川竜之介の小説は、疱瘡を性病に置き換えて書かれていますが、大正時代にも人に移さなければ業が果てないし、治らないという考えがあったということをうかがわせます。業病とは違い、疱瘡や性病なども伝染する只の病気であり、流行り病でしかない、ということが分からなかったのです。現在でも、はしかに罹らないうちは一人前ではない、という気持ちが、私達の心の中に潜んではいないでしょうか。
病気は運定めだという考えもありました。天然痘なら下手をすると、痘痕が残ったり、最悪の場合は死亡します。軽ければ何ともないのだから、そこには大きな違いがあります。これは神がその人の運勢を見極めるために疱瘡を与えたということで、病人はひたすら神に痕が残らないように、と我が身の幸運ばかりを願うことになります。いずれの場合も病人は神に向かって「助けて下さい」と頼むしか方法がありません。これは、拝み祈祷の治療法です。
疱瘡が迷信によって病魔をはびこらせている時に、教祖は「おがみきとうでいくでなし」(注= おふでさき〈三 45〉)と教えられました。因縁によって罹らなくてはならないとか、器量定め、運定めとして皆が罹らなくてはならないなどと思う必要はない、というのが、「ほふそせんよにたしかうけやう」という言葉なのです。
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