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中山みき研究ノート2-6 元の神・実の神

元の神・実の神

神の社となった後、教祖は、たすけて下さいと願うのではなく、自分がたすける神の心になって生きなければ世直しは出来ないのだという思いを、まず、善兵衛に言い、広く宣言しましたが、それを聞いた人が理解してこの心になってくれないことには、世の中は変わってはいきません。立教以後の教祖は、いかに分かりやすく皆にこれを伝えるか、という思案に明け暮れた毎日を送りました。

今までの人が気が付かなかった面を、分かってもらえるように伝えるということには、大変な準備と努力が必要でした。それまでの信仰と教祖の教えとの間にある断絶が大きすぎたのです。そして、20年以上もかかって、ようやく教祖の周りに「なるほどなあ」と分かる人が出て来ました。大変な年限をかけて、周りの人が理解出来るような話し方が作り上げられたわけです。 

教理の面では、どんなことがこの時代、教祖から説かれたのでしょうか。まず、慶応三年に作られたみかぐらうたの中に、

八ッ やまのなかでもあちこちと
   てんりんわうのつとめする

九下り目

という言葉があります。これによって、転輪王についての話や、おつとめを教えておられたということが分かります。また、

ニッ ふしぎなたすけハこのところ
   をびやほふそのゆるしだす

五下り目

ともあります。

これによって、みかぐらうたが作られる以前に教祖はどういう教理を説かれていたかということをうかがう事は出来ますが、 その他については資料がないのではっきりしたことは分かりません。

この間、教祖は倉に籠って想を練っておられた、あるいは瞑想にふけっておられた、ということが伝わっています。これは、何とかして分かりやすく教理を伝えようと努力された形跡に違いありません。

神懸りのことを、マイクが天の神様の所にあって、スピーカーが神懸りになった人だと考え、勉強しなくても、突如として天の声を話し出す現象であると思っている人が大勢います。また何かの霊が取り付いて話をする霊媒として、教祖を伝えているという面もあります。 『天理教教典』はどちらかというとこの考え方が強いと言えるでしょう。

ところが、教祖は倉に籠って、想を練っておられます。 今まで学んだことを土台にして大きくもう一歩踏み出し、今までにないその「悟り」をどのように伝えるかに努力を重ねました。

教祖が浄土宗に学んでいた内容の影響と思われるものとして、おかきさげ(注= おさづけを許された時に渡される書きもの。ようぼくの心構えが記されている)にある「人をたすける心がしんまこと」という言葉があります。

浄土宗の信仰とは、心と、言葉と、手を合わせるという形とを一つにして、唯ひたすら三千世界をたすけたいという願いを持っている阿弥陀仏に、一途にお願いすることなのです。これが基本であり、極意とされています。 このお説教を周りの人達は子供の時から聞いていました。その中で教祖は、阿弥陀仏におすがりすることとは違う、ということを何とかして知らせようと、いろいろとお説き下さいました。それを後に本席が纏めて、改めて教えたのが「人をたすける心が真の誠」という言葉です。 これは、同じたすけるでも、阿弥陀仏とは意味が全然違います。

人をたすける心が真の誠、つまり人間の本性であり、この誠があれば日々に自由自在の生き甲斐ある人生が送れるのです。人をたすける心が自分の陽気ぐらしを創るのであり、「誠一つで自由」あるいは「人をたすけて我が身たすかる」という言葉も、このことを言っているのです。

教祖が、お寺の和尚さんから聞いたことを基にして、たすけてもらう信仰と、たすけて生き甲斐を持つ信仰との違いをどうやって分かり易く説こうか、と苦心された結果であります。

転輪王のつとめの意義が後に、みかぐらうたに「元の神、実の神」として教えられています。インドの伝説では、転輪王は、たとえ犯罪者といえどもそれを処罰するのではなく、誠の心を以ってその邪な心を打ち砕き、皆を一人も余さず互いたすけ合いの境地に導く王とされています。この転輪王におすがりすればご利益があるとして、真言密教では最も尊い神とされています。一人も余さず皆を救うこの転輪王が「実の神」であるということは、皆が承知していたことなのです。 「神」という言葉は徳川時代までは、仏教の経文の中に出てくる伝説や説教話に語られている転輪王とか帝釈天、毘沙門天とかいうものを指していて、現在の神社に祀られている神の感覚とは違っていたのです。けれども、なぜ、転輪王や阿弥陀仏は悪いことをした者までたすけるのか、という質問には、なかなか納得のいく説明が「実の神」を説く宗教でも出来ませんでした。原則としては、良いことをすれば良いことが、悪いことをすれば悪いことが返ってくるのが因果応報と、インドでは説かれていたからです。

それに答えて教祖は、「この真実の神である転輪王は、実は、この世の元初まりにあたって、命あるものを生み出した『元の神』でもあるからなのだ」と教えられました。けれども、転輪王がこの世と人間を生み出した親であるということはどの経文にも出ていません。

世界中には、この世界や人間を最初に作った神の物語は数多くあります。 しかし、人間を作った神や元初めた神の神話は、ほとんど例外なしに「私が人間を作ったのだ。だから、私に服従し捧げ物をしなさい」という酷い性質の、人間を支配する神、という形で説かれています。旧約聖書の神も、人間が神の支配に服することを要求しています。日本の国生みの神話でも、イザナギ、イザナミがこの世界を作ったのだから、民は神に従いなさい、という形になっています。

このように元の神には、酷い神という性質があったのですが、教祖は、「転輪王は互いにたすけ合って、陽気ぐらしするように、という思いでこの世界や生き物を生み出し育ててきたのではあるが、心得違いをして人を傷つけた者は悪人と呼ばれ、人に恨まれ自分も苦しんでいる。元こしらえ、育み続けた神ならば、なんとかして、今は悪人と呼ばれている者もたすけ合いの心に目覚めて、共に陽気ぐらしの世界を創ってくれるようにという思いから、たすけ上げずにはおけない」と教えられました。教祖以前の転輪王は、一人も余さずたすける神、としか理解されていなかったものを、元初めた神なのだからたすけずにはいられないのだという「元の神・実の神」を実に見事に、皆の心に納得できるように説いて下さったのです。

皆が分かるように教理を整理するまでに年限がかかりました。それが出来上がってから皆が理解し始めるのに20数年間かかっています。その間は理解されなかったので、一生懸命想を練っていても、周りの人からは、用事もしないで倉に籠ってばかりいると言われたことでしょう。対立している人から見れば、仕事を全部片づけた後のほんのわずかな時間に倉に籠って勉強しても、「子供が泣いても知らん顔をして考えごとをしている」と言われてしまいます。 その中でも、最も身近な夫が理解出来ないということが、教祖には重荷だったでしょう。

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第2章 道あけ
2-7 貧に落ち切れ


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