中山みき研究ノート2-9 をびやほふそ
をびやほふそ
文字で残っている最初の資料は、慶応3年に教祖が自ら作られたみかぐらうたであり、これ以前の教理を最も良くまとめたものであります。従って、まず、これに基づいて教理の理解を進めてみましょう。
嘉永7年、三女おはるがお産をする頃から、をびやゆるしが出されています。今までにないたすけ場所であることを、しっかりと理解させるために、をびやゆるしとほふそゆるし、ということを教え始めたのです。昔の先生達は「をびやほふそはよろづ道あけ」と語り伝えていました。それは、お道らしい話として最初に説かれたものと考えられます。
をびやほふそゆるしの教理は、教祖が身を隠されるまで急き込まれたかんろだいづとめの、理合いの根本になっているものです。したがって、教祖の教えはをびやほふそゆるしからかんろだいづとめに至る、一貫した教理体系の流れとして捉えることが出来ると思います。
ちなみに、明治21年以降のみかぐらうたにある字をそのまま読むと「おびやは、うそのゆるしだす」などということになり、みかぐらうたが駄洒落になってしまっているような感じがします。明治14年に書かれたみかぐらうたは、お道で最初の印刷本です。そこには、「をびやほふそ」とあります。教祖は「を」という字だけしかお書きになりませんでした。
また、同15年に、鴻田忠三郎が新潟に布教に行ったとき、そこで書いたみかぐらうたが残っています。ここにも「をびやほふそ」とあります。教祖が教えられたのは「ほふそ」であり、「おびやは、うそ」ではありません。
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