中山みき研究ノート 1-3 神の社
神の社
このように神の社になる方法を教えてくれたのが教祖、と捉えると、教祖のひながたという意味がはっきりしてきます。教祖は万人の手本であり、その手本に習って教祖と同じように通ろうというのが信仰の目的なのですから、教祖がどのようにして神の社になり、生き甲斐を持って暮らしたかということをはっきりと理解し、その通り行なえるようにしなかったなら、ひながたを学ぶ価値がありません。
教祖は神の社になったとき、神の心に成り切って難渋をたすけ、一人残らず喜べる世界に建て直す道を通ります、と最も身近な他人である夫に宣言しました。天保9(1838)年10月26日午前8時ごろのことです。これがこの道の始めです。けれども、その前に手続きが要りました。 神の社となることを理解させ、納得させてから宣言するわけですから、23日の夜から話を始めたのです。 それで「夜に出て昼に治まりた理」(明治29〈1896〉年2月29日)というおさしづがあるのです。
さて、23日の夜から問答が始まりました。その夜の最初の話は、「私はたすけ一条の神の心になり、難渋をたすけて陽気づくめの世を作ります」というものです。このときの神はインドの伝説の中にでてくる転輪王という神です。それによると、この王の国では人間が互いに争い、平均寿命は10歳にまで縮まっていました。それを転論王は、全ての体も力も権力も財宝も使って、難渋をたすけて陽気づくめの世に立て直し、皆がたすけ合うと8万歳まで平均寿命が延びました。それほどの立派な行ないをした、転輪王のような心になって、私は世界だすけを致します、と教祖は宣言をされたのです。これが立教であり、理に基づく神の社の、たすけ一条の宣言であります。
誰にでも間違いなしに事を伝えるためには、いつ・どこで・だれがということが必要です。 それで三大因縁という言葉が使われました。因縁とは原因という意味です。同じぢばから教えた理といっても、真之亮が明治21(1888)年に説いた(注= 「天理教会所設置御願」)のとは全く違う話ですし、明治13年に秀司が転輪王講社を始めたときも拝み祈祷でした。時や人が違えば、そんなものを信じてはいけないのです。いつ・どこで・だれがということを間違いなく捉えないと、正しい唯一のものを見逃してしまいます。
天保9年10月26日、大和のぢばで、中山みきが理に基づいて神の社となり、難渋をたすけ、陽気づくめの世をつくる、と心定めしたことが第一の手本であり、たった一つの手本なのです。この、唯一の手本に学んで、手本通りに自分が心定めしたら、皆ひながた同様の理に運ぶというのですから、これは万人が通れるひながた・手本であると言えるのです。
しかし、その理を学んで一人々々が神社になっていくことが出来なければ、説いた値打ちがありません。「ひながたの道を通らねばひながた要らん」(明治22〈1889〉年11月7日)というおさしづのように、ひながた通りに通らないのであったら、教祖は何も迫害されてまで真実を教え続ける必要はなかったでしょう。
皆が同じように通って欲しいから、正しい道の理を一つ、間違いなく示したのです。この時と所と人は動かす事は出来ません。従って「中山みきだけが神の社」ということでは、神の社は二人と出ないということになってしまいます。 ここへ皆がお参りに来て、観光地になるようになどと思うと「ここだけが尊い」と言い出したりもしますが、教祖の教えではそうではないのです。 皆が神の社になれるというのです。 おふでさきの中には、
と複数になっています。また、「めいめいのやしろ」(注= おふでさき〈六57〉)という言葉も使っておられます。唯一と複数は全然意味が違います。 教祖は、この心を定めさえすれば「だれでも」と教えたのです。また、神の社になる旬は、第一の手本となった中山みきは天保9年10月26日でし たが、私達が神の社になる旬は、この教えを知り理解したときであり、その心で通ろうと心定めしたときです。 それが、私にとっての神の社の誕生のときなのです。これを教えたのが、
というおふでさきです。「今なんだよ」というわけです。言い換えると、「いつでも」ということです。
また、このぢばだけが神の社の誕生の地かというと、そうではありません。 心が出来たつとめ人衆が揃ったならばかんろだいはすぐに出来るし、その心さえあったら何処にいてもつとめは出来ると教えられております。 神の社誕生のための儀式がおつとめですから、「どこででも」なのです。
いつでも、どこでも、だれでも、教祖のたった一つの手本に習って、 同じ心を理解し、心定めをし、同じように通るならば、万人が神の社になれるのです。教祖も今日心定めした信者も、皆、神の社なのです。
教祖は女性でした。しかし、誰でも通れるひながたであるから、男性であっても通ることが出来ます。また、教祖は色白ですらりとしていたと伝えられていますが、色の黒いずんぐりした体のままでも、神の社となる方法を教えて下さったのです。また、体に障害があって物も言えないけれども、文字でこのたすけ一条の心を分かってもらおうという神の社がいても、これは当然なのです。
誰でもどんな経歴の人であっても、今日、この第一号の神の社である教祖の真実をしっかり見つめ、それを正しく悟り、自分も教祖と同じ心で同じ通り方をしようと心定めすれば、いつでも、どこでも、だれでも神の社になれるというのが、教祖の示されたひながたの本当の悟り方ではないでしょうか。
教祖の道は「しんどのしぞん」とよく言われます。服従を強いられた人生を送りながら、皆の心を独立させ、尊厳に目覚めさせ、解放したという「しんどのしぞん」でした。そして、その次の者には服従を要求しないというのですから、骨折り損です。けれども、これによってこそ世直しが行なわれるのです。
1-2 唯一のひながた ←
第1章 万人のひながた
→ 第2章 道あけ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?