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エリオット・ポーター 『Summer Island』 『Nature’s Chaos』/目は旅をする026(ノヴァセンへ)
エリオット・ポーター
『Summer Island』
Sierra Club刊
『Nature’s Chaos』
Abacus刊
僕が本格的に写真に興味を持つようになったのは80年代の終わりの頃だったが、東京のアートブックストアの数は、そんなに多くなかった。まだ海外に頻繁に行ってなかった頃だったし、時間があれば毎日のようにのぞいていた。
店頭には、なかなか売れない写真集がディスカウントで出ていた。そこで初めて出会ったのがエリオット・ポーターの写真集だった。
ひと目見て、とても惹きつけられた。
そこにあった被写体は、鳥であり、落ち葉であり、苔むした岩であり、流水のフェルムであり、見逃されがちでアンチクライマックスな森羅万象の全ての魅力が等しく撮影されて、エディットされていた。
当時はヘルムート・ニュートンやブルース・ウェーバーなどのグラマラスなファッションフォトが全盛で、ポーターのような一見すると凡庸な自然風景を撮影した写真集は人気がなかったのだ。
僕は変わり者だったのかもしれないが、スティーグリッツやアンセル・アダムスよりもポーターが好きになった。エグルストンやショアのカラーフォトグラフを好きになる前の話だ。ポーターで学んでから、そっちに行ったのだ。
そこから数年、ポーターの写真集を随分集めた。おそらく出版された彼の写真集は、ほとんど持っているだろう。
シエラクラブで出したベストセラー『In Wildness Is the Preservation of the World』(ソローのコトバをポーターが選んで写真と構成した。きっかけは妻の助言である)、南極を撮った『Antarctica』、メトロポリタン美術館での個展で出された『Intimate Landscapes』。
他にも、サウスウエストからギリシャやメキシコの教会、アイスランドにいたるまで、膨大な写真を彼は撮影した。彼の写真は「細部」に向かって深化していたが同時に、地球大に広がっているのである。
僕がポーターの写真に夢中になっている最中に、彼の訃報を知った。彼は1901年に生まれ1990年に89歳でニューメキシコのサンタフェで亡くなった。あとを追うように画家だった妻のアラインも翌年この世を去った。
今思うと大胆な衝動だったと思うが、ポーターの財団を探し出しメールを送った。ポーターにまつわるテキストを書きたいので、彼が住んでいた家、友人や息子を訪問したいという内容だった。
エリオット・ポーターはもともとは東部の出身だ。メイン州のスプールスヘッド島にも夏の家があり、一方、西部のサンタフェには1940年代から住んでいた。画家である弟フェアフィールドが、スティーグリッツやその妻のオキーフと知り合いで、アーティストコミュニティが形成されていたサンタフェに移住したのである。彼らは、都市と自然の2拠点往復生活の先駆者だった。
ポーターは、カラー写真がまだ安定性がない頃から取り組んだパイオニアであり、自然(世界)と色のリアリティに取り組んでいたから、彼を深く知り、考えることは、人間にとっての写真の意味を考えるうえで、何よりも重要だと僕には思われたのだ。
快諾の返信が来たので、僕はさっそく、LAに住んでいたこともある日高正博をさそってアルバカーキ、サンタフェに向かった。
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