逸脱する編集05名取洋之助/一日一微発見372
『名取洋之助と日本工房 1931~45』という名取洋之助を中心とした活動をまとめた優れた本がある。
日本のクリエイティブにとって、実は戦前、戦中の世界ほど遠いものはない。
僕が原弘がディレクションした雑誌『FRONT』や、名取洋之助や日本工房の仕事を知ったのは、大学生時代の70年代で、それまで、第二次世界大戦時の活動に起因して、彼らの仕事の全容は封印されていたと言ってよかった。
キーマンである名取洋之助は、1910年に生まれで、1962年には死んでいたから、インタビューしようにも間に合わなかった。
三神真彦が書いた『わがままいっぱい名取洋之助』が出て読んだのが1988年だから、人々が名取の全容を知るには随分時間がかかったのだ。
彼のような日本人クリエイターはそれ以前にはいない。写真家であり、プロデューサーであり、編集者だった。
名取洋之助の現在からすればあまり長くはない人生は、波瀾万丈だ。不良として扱われた少年時代。18歳でのベル リンへの逃走。バウハウスからの影響。しかし幸運にも、ウルシュタインという、当時ヨーロッパで一番売れていたグラフ誌の専属契約をかちとり写真家としてデビュー。
時代も名取に追い風となる。戦争がいよいよ始まる。しかし、極東の日本という国がどんな国なのか、ヨーロッパの人々は知らない。彼は日本へと派遣され1932年に帰国する。
この時代を年表的に見てみよう。
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