IN &OUT of TOKYO 24「犬は吠えても、キャラバンは進む」/一日一微発見153
カポーティの短編集『ローカルカラー/観察』は僕が最も好きな本の1つで、文章修行のお手本としても長らく愛読してきた。
その中の一編にこんな話がある。
批評家たちに酷評されたカポーティを慰めて、作家アンドレ・ジードは言う。「アラブにこんなことわざがある。犬は吠えても、キャラバンは進む」と。
このエピソードを持ち出したのは、昨夜、久しぶりに港千尋氏に会って歓談したからだ。彼は浜松に「用事」があって、急にやってきた。
なぜなのか聞いてみたら、浜松で知人の展覧会のオープニングがあり、それに顔を出したと言うのだが、本命はもうひとつあって、コロナの自粛期に、実家で父の資料を整理していたら、祖父の写真なども出てきて、それが浜松にちなんだものだと知ったからだという。
つまり港千尋のルーツは浜松にあったと突然知ることになったのだ。
人は時系列どおりに生きるわけではない。
ある日突然、「お前の生まれの秘密はこうなんだ」と何の予告もなく告げられることは、人間にかなりのインパクトを与える。「因果」という言葉があるが、本当に人間は目に見えない「因果」に操られていると思う。
僕は彼に、渡しそびれていたNEOTOKYOZINEの「0号」とも言うべき『香港2049 』を手渡す。
これはNEOTOKYOZINEの1番最初につくったもので、香港のアートブックフェアで200部ぐらいフリーでばらまいたものだ。NEOTOKYOZINEのゼロ号だね。
香港は民主化のデモが最も盛り上がっていた時期で、僕らが、香港に行くと言ったらまわりに「危ないからおよしなさい」と言われたものである。
しかし、行ってみると会場の「大館美術館」は平和そのものだったが、反中国政府のZINEも多く売られていたし、近くでは「連日」デモが繰り返されていた。
アートブックフェアのG/P+abpのテーブルに出したら、港さんのZINEはあっという間に捌けた。
僕はNEOTOKYOZINEのプロジェクトを行うときに、「こんなこと」からスタート点にしたいと思ったのだ。
確かに、高性能の出力機、プリンター、通信装置、ネットワーク、ドローンが出現したおかげで、民衆のプロテストの形態も変化している。
もっと言えば「管理/監視」に使われるテクノロジーが、民衆の想像力によって奪還されることこそ、最もクリエイティブなことだと思う。
まだこの1月時点では、サプライチェーンに代表されるグローバリゼーションはますます加速化の勢いにあったから、逆に、ゲリラ意識はかえって重要だ。
しかしその後、中国が、コロナの国際的混乱に乗じて、ぬけがけ的に、香港立法の暴挙に出た今(昨日、民主派のリーダーたちが逮捕された)もはやこのようなZINEは作ることはできない。
(その意味では、今は在庫がなくなった港千尋のZINEは、絶妙なタイミングで作ったと痛感する)
港さんと、会食しながらの「情報/意見交換」はとても楽しかった。
港さんの事は、80年代くらいから知っていたが、深くつきあうようになったのはこの10年ぐらいだ。
一緒にアムステルダムのアートフェアに行ったり、「あいちトリエンナーレ」で彼が総合ディレクターをやった時にも、岡崎のプロジェクトでは、一緒に写真展のキュレーションをやった。
そして、『現代写真アート言論』も、深川さんも交えて3人でやった体験は実に大きく、「時代の共在者(共犯者)」という感じで僕は彼のことを考えている。
食事が楽しく進んだころ、今度は、港さんも僕に見せたいものがある、とカバンの中から、小冊子を何冊か出した。
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