「直感」というアート思考について/一日一微発見273
僕は京都芸大で、GOTOラボという社会人を対象にして、コンテンポラリーについて学び合う通信大学院をやっている。M1とM2合わせて20人ぐらいの規模である。
しかし、これは大学院のゼミにしては実に規模の大きなほうだろう。それぞれの受講生が専門的でそれぞれ異なったテーマで修論を書くわけで、それを指導するのはこちら1人である。だから正直、相当の力量がこちらが問われる「学びの場」ということになる。
結果的に、最も学びつづけなければならないのは、指導教官の僕ということになる。
しかし、これが僕にとって、難儀なことかといえばそうではなく、なんともエキサイティングな機会となっている。
僕が考えるコンテンポラリーアートの視座や知見を受講生と分かち合い、同じ本を読みながら思考していく事は、僕にとっても受講生にとってもエキサイティングなことになるからだ。
しかし、このようなシチュエーションは、学びの場のどこにでもあるわけではないことも僕は知っている。
さて、本題である。そんな学びの場に身を置いていると、考えることは次々に湧いてくる。
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