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秋に目を磨く 白洲正子の旧邸武相荘に行く/一日一微発見483

割引あり

白洲さんには、直接逢って話してみたかった。
手紙も出した。それは、骨董を見る目と、写真や現代アートを見る目は別なのか、同じなのかということだった。
その話の念頭には1つには、赤瀬川原平さんのことがあったし、もう1つは晩年に写真にこっていた青山二郎のことがあった。
青山二郎は白洲正子に「目」を教えた師匠であるのだから。

僕は大学生の頃から白洲さんのエッセイが好きで大半読んできた。モノの見方、場所への触り方、歴史への入り方などとても学ぶことが多く、恩すら感じている。

たしかに小林秀雄の批評眼も文章の筆圧も大したものだとは思うのだが、最後には勘弁してくれよという気持ちが強い。
酒の席で対面しなければならない批評家は、結局は、あまり愉快な体験にはならないだろう(小林秀雄は会ったことはないが、先日なくなられた福田和也さんにも同じことを追想してしまう)。
健康なデカダンというものは、始末におえないものなのである。

白洲さんに手紙を書き電話もしたが、今思えば、確かに晩年であった。
その時は、白洲さんが「両性具有」の美について雑誌に書いていたのを読んで、急がねばと思ったのだ。
「あら、面白いテーマね」というのが電話口の一声で、ずい分長電話でお話しははずんだが、「今ちょっと体調がよくないのよ」、とかなんとか。ていよくことわられてしまったが、充分で話もできて気がすんだと思った。

そうこうするうちに白洲さんは亡くなられてしまった。
それから、数年して白洲さんがすまれていた家が公開されたというので見に行った。それが武相荘、つまり武蔵と相模の境にある家なのであった。

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