エスケープの効用/一日一微発見156
逃げ出すものは、大抵「ひきょう者」とのそしりを受ける。
しかしわが愛読書は、チューリヒダダの中心人物、フーゴ・バルの「時代からの逃走」である。
大学1年生の時に読んで、グッときた。
時代のど真ん中にいるのに実は時代からは逃走していること。第一次大戦の最中、彼は時代から逃走する。
石川淳も同じ根性の持ち主だ。
彼が第二次大戦の時に「江戸時代」に亡命していた、という話は有名だ。
「エスケーピスト」と言う不安定な呼称があるが、僕もそれを名乗りたいものだと、日々強く思う。
コロナによっていろんなことが加速化され、虚像が暴露されていくせいでもある。この30年、グローバリゼーションの時代に生きてきたことの綻びが、いっぺんに出た。今日もFacebookを見ていたら
「いやコロナによって何もかわらないだろう」
と言っていた者がいるが、なんとノーテンキなのだろう。
かといって、大きな政治は悪くなる事はあっても、「好転」はする事はない(これを記しているのは26日の夜で、安倍首相が、ついに退陣した)。諦め以上に、最悪をもって最善を生むという道しかないと思うと、もっと悪くなる。
転がりだした石を止められるのは、石自身しかない。
25日の朝から、奥浜名湖の三ケ日に来ている。
ちょっとした逃避である。
車で45分ぐらいだから、リゾートやバカンスという話ではないが、やってきて湖に面したバルコニーから青天を眺めていると、全く時空がシフトする。
湖面のさざなみ、夏の雲の移動、陽のうつろいを眺めているだけで、日はうつろっていく。しかも虚しくはなく。
飲みたい酒を飲んで、景色のうつろいにひたっているうちに夜がやってきた。
夜になっても相手は湖と雲である。
部屋が6階の角部屋なので、カーテンを全開にすると湖が見渡せる。ベッドに寝転びながら景色を見てすごすうちに、雨雲がやってきた。それも雷光をともなって。
そのさまを、ただ見て過ごしているのだ。
稲妻が走り、雷鳴が鳴るという事は無いのだが、雲の奥でストロボのように発光が断続的に起こる。
それを見ながら、ハイボールを飲んでいる。
想起するのは、ウォルフガング・ティルマンスがかねてより言う「アストロノミック」と言う視点だ。
彼は、「天体的視点」に立って、人間の対立を、弁証法的な対立解消とは違う形で見ようとしている。
彼は友人から、天体まで、すべてを等価に撮るが、そこには「アストロノーミック」という彼のビジョンが働いている。
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