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バーゼル美術館でのアフリカ具象絵画展で感じた大きな転換/一日一微発見457

割引あり

僕はまだアフリカには足を踏み入れたことはない(オーストラリアもない)。
90年代の初めに、写真家とともに異郷をへめぐる衝動が強かった時に 、ブルーズ・チャトウィンの著作にはまっていて、アフリカへの旅を計画したことがあったが、寸前で頓挫した。

それ以来、なかなかタイミングがないのである。そうこうしているうちに、この30年の間に、アフリカは「辺境」でも「第三世界」でもなくなって、リアルな同時性の前景におどり出てきた。

アートワールドでは、シモーヌ・リーやソニア・ボイスらがヴェネツィアで大きな賞をとったが、気がついてみると雑誌『ART Review』が毎年行うPOWER100では、10位内には、西洋白人男性は一人もいなくなってしまった。

ブラックネスへの視点も「ポストコロニアル」なソーシャルな視点を、西洋の思想家が語るのではなく、黒人たち自らが理論化するようになった。ブラックネスは文明の傍流ではなく、しっかりと主流に浮上した。

バーゼル美術館で1920年代以降のアフリカ具象画をキュレーションした展覧会「When We See Us」を見たショックは実に大きかった(そして、その流れでクンストハレバーゼルで見オジ・オドトゥラの個展は、そのショックに追いうちをかけた)。

「When We See Us」展は南アフリカのケープタウンにあるツァイMOCAA(アフリカ現代美館)でのキュレーションがバーゼルへと巡回したもので、161アーティスト200点以上の作品が選抜構成された、かってない「絵画展」である。

僕がショックを受けたのはそれがエキゾチシズムでもポスト・コロニアルでも、東洋美術史のような西洋に対する異質性でもなくて、これが全くの「可能性としてのコンテンポラリーペインティング」を示していたことだ。

「When We See US」はネットフリックスでの番組名から取られたそうだが、重要なのは100年間「我々が見た我々」ということだ。内なる原理、内なるスタイルの発見、肯定なのである。

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