「思考実験」について ヴィレム・フルッサーのこと/一日一微発見216
よく「書斎」とか、本のつまったお城のような中にいる「文化人」の写真がある。僕も往々にしてzoomとかやる時に、背景を本棚にしたりするが、本音では、いただけないね。
カッコ悪いナと思うから、大好きなマイラ・カルマンの犬の絵本とか、同じく大好きな片山健の絵本がチラリと見えるようにして、見る人の気を散らしたいな、と思ったりもする。
まあ、暫くしたら背景が本棚というのは、やめたいと思う。
やっぱり所有する本とか、出来るだけ少ない方がいいのだ。だけど、少数の、自分にとって不可分な本に行きあたるまで、死屍累々の本の山ができてしまう。
それにオンラインは便利だが、それが地球レベルのカタストロフとかが起こって、ある日突然、全データが吹っ飛んだら、やっぱり人類は丸裸になるのであろう。ロゼッタストーンのような石の石碑の凄みを思い知る日もくるやもしれない。
そう考えると、我々は枕の下やカバンの底に、少ない数の本をひそませておかないといけないだろうな、と思うのだ。
僕は宗教の信者ではないから聖書という選択はないし、特定のイデオロギーの信奉者でもないから、マルクスなんぞもない。
大学生の頃に、雑誌を読んでいたら作家の稲垣足穂の談話が出ていた。
家が火事で全焼したのだ。足穂は達人だから、すぐに知り合いに電話して「燃えているのが綺麗だから見に来い」と言ったらしい。
知り合いが心配して「蔵書とか全部焼けてしまって何もなくて、お困りでしょう」といったら、「いや、なくなってせいせいした。本なんて無くなったら、書けばいいんですよ」と言ったという。
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