逸脱する編集04 ロベール・デルピール/一日一微発見365
「逸脱する編集」の4回目では、このシリーズで初めて「編集者」をとりあげたい。ロベール・デルピールである。僕は彼を心からリスペクトしている。
デルピールこそ、20世紀の稀代の写真編集者だと思う。
彼は編集者だが、さらに、グラフィックデザイナーであり、広告のディレクターをこなし、またパブリッシャーでもあって、映画のプロデュースすらもこなした。
パイオニアである人に共通する特性として、万能であり、先例が無くとも、未分野にかかわらず挑戦するということがある。デルピールもまた、常識的な「編集者」ではない。量と質以上に、はるかに逸脱している。
僕は彼をリスペクトするが、彼が何者であるか、その全体をあらかじめ知っていた訳ではなかった。少しづつ近づいて行った。
僕が最初にデルピールを知ったのは、大学生の時だ。ウィリアム・クラインが監督・撮影した映画「ポリーマグおまえは誰だ?」を1970年代に、偶然に自主上映することがあった(映画の中身は上映前は、全く知らなかった)。
偶然の出会いほど、決定的なものはない。
「ポリーマグおまえは誰だ?」は、めくるめく異彩なイメージに溢れ、大きなショックを受けた。しかし、その時はまだ、クラインが写真家だとすら全く知らなかったのだ。
そしてこの映画の製作者、プロデューサーであるデルピールが、実は、写真史に残る辣腕写真編集者であることを知った。
あとで説明するが、小さな写真集シリーズ「フォト・ポシェ」もその一つ。
僕が、初めて買った「写真集」は彼が企画編集したアレクサンドル・ロトチェンコの巻だった(これも編集がデルピールと知らずに買った)。
デルピールは、1950 年代の半ばに、パリで出版社 Delpire & Coを始めた。作った写真集は、どれもエクストリームである。穏やかではない。写真家と格闘し、共創している。
ロバート・フランクの『アメリカ人』。ウィリアム・クラインの『東京』。アンリ・カルティエ=ブレッソンの何冊か。それから、ジョセフ・クーデルカの『ル・ジターヌ』など傑作写真集の数々。
それらは苛烈であり、かつ美しい。
また、ラルティー グやデルピールの妻であるサラ・ムーンの写真集は甘美さも忘れられない。
僕は彼を心からリスペクトしているが、一度だけ会ったことがある。2009年にパリにあるヨーロッパ写真センターで、デルピールの回顧展があった時、幸運にもパリにいて、それを見た。それは、多面的な彼のすべての仕事を見せるというものだった。
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