「ノマドランド」が教えること/一日一微発見211
最近はどういうわけか東京ではなく、京都の小さな映画館に行くことが多くなった。
大学の授業の翌日の昼に、久しぶりに京都シネマに渚と一緒に、クロエ・ ジャオ監督の『ノマドランド』を見に行った。
最初に感想を言うと、この映画がアカデミーを獲るというのは、本当にコロナ時代の象徴的なことであり、また「ノマド」という流動的な存在が生み出されていくグローバル経済の矛盾が生み出したものが映画のモチーフになっていることもまた、見事だと思った。
主役の名女優フランシス・マクドーマンの演技も、ジャオの演出力も、非常に賞賛したい。
しかし、まず書いておきたいこともある。
映画のはじめに台詞で出てくるが、「ノマド」は「ホームレス」のことではなく「ハウスレス」だという説明のこと。
つまりこの映画は、ノマドを「車上生活者」に限定して描いているのだということ。
ノマドというコトバや実態には、もっと複雑な「事情」がたくさん入っていることをわすれてはならない(哲学者のジル・ドゥルーズが言ったような、あるいは映画監督トニー・ガトリフが一貫してロマをテーマに描くような)。
ジャオは、この映画をポリティカルなものにしたくなかったと、インタビューでも語っているが、いや、はっきりと政治性(かたより)があることは、看過できない。
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