「僕たちは編集しながら生きている2.0」にあたっての挨拶
激変する時代にサバイバルするための「進化する編集」
僕は1996年以来、「スーパースクール」を主宰、継続してきました。始めた当時は、現役の編集者で、編集を教える人なんてだれもいませんでした。
当時は、編集を教えるということは、つまり本や雑誌をつくる人を作るということであり、現在のように皆んながパソコンを持ち歩き、ネットで繋がり、SNSやブログで発信する、ある意味では、全ての人が潜在的に編集者であり、発信者として有効なスキルが必要になると、リアルに想像できていた人はいなかったでしょう。
スーパースクールが始まった場所は、青山ブックセンターの本店が青学前にオープンした時です。
それがきっかけとなり、「東京を編集するワークショップ」ということをコンセプトにして、当初は、1シリーズを1回だけやってみようと思いました。
90年代カルチャーを牽引する雑誌編集者やホンマタカシら、当時台頭してきた若手アーティストやデザイナーが結集した、編集についてのトークシリーズがスタート点でした。翌年からは、僕1人で本格的なスクールを始めることになりました。
90年代は、消費の80年代バブルが終わって、オルタナティブな価値観へシフトする季節の始まりでした。
「編集」は、それまではずっと、「文章術」とか、「いかにベストセラーをだすか」みたいな「出版業」に限られたスキル、ノウハウだと思われていましたが、しかし現実的には、「モダン」から「ポストモダン」への社会の変化の中で、すべての分野、クリエイションや、ライフスタイル自体も「編集」の性格を強く帯びるようになったのです。
例えば、商店はスーパーやコンビニにシフトし、百貨店はセレクトショップやオンラインショップにその座を奪われました。
そして、パソコンや携帯の中にも「編集」や「アプリ」の機能が入りこみ、誰もがあたりまえのように「編集能力」が問われる時代になったのです。
それまでの時代のように、知識や思想を身につけ、イデオロギーで武装すればオーケーの時代の終わったのです。
これは実に特筆すべき編集の変化、進化です。
編集が固定したノウハウではなく、エンドレスに変容するものになったという認識は、編集のベーシックが、根本的に変わったということを意味します。
極めて重要です。
スーパースクールは、そのシフトにいち早く対応した「編集学校」として始まったのでした。
僕は本や雑誌の編集だけでなく、音楽関係のヴィジュアル表現、広告のクリエイティブ・ディレクションなどの幅広く現場仕事を、20代からずっとやっていました。
京都から東京に出てきた70年代末には、今や伝説の出版社・工作舎で雑誌『遊』の編集担当を皮切りに、独立後の80年代には、ニューアカデミズムの中沢新一やYMO散開後の細野晴臣の本を企画・編集。
そして「現代思想系の編集者」のヴィジョンは持ちつつ、90年代には企業キャンペーンやコマーシャルのクリエイティブ・ディレクションの仕事も多く手がけるようになりました。
またゼロ年代以降は、コンテンポラリーアートや現代写真への関心から、数々の写真集やアートブックの編集、展覧会のキュレーションへと発展し、今にいたります。
ある意味で僕自身が、「編集者」の変化や拡張を体現し、編集を開発し続けてきたという実感があります。
アカデミックな専門領域から知識や技術を「教授する」のではなくて、時代の変化、時にはそれを先取りした「編集を開発しよう」という視点で仕事を続けてきたのが、先駆的となり、よかったのだと思います。
「できあがったノウハウ」を教えるだけではなく、「編集の可能性」「編集の新しい方法」をワークショップしながら共に開発、開拓すること。
だから、ある意味でスーパースクール自体が、僕にとっては「編集の開発」の場になったと言っても過言ではないのです。
編集を開発すること。
例えば、「座談会」という編集のアイデアは、作家にして雑誌「文藝春秋」を創刊した作家、菊池寛が発明したしたと言われています。
僕たちは、この発明をあたりまえのように無料で使っています。
「インタビュー」や「アンケート」だって、誰かの発明です。これらは紙の上での「編集の発明」でしたが、オンライン世界の出現によって、新しい開発領域が爆発的に広がります。「メール」に始まり、さまざまなSNS、ブログ、チャットなど、これからもその発明は続いて行くのです。
スーパースクールが扱おうとした編集。
その特徴について今振り返ってみると、他の編集教室や編集本と異なった点がいくつもありました。
①「パーソナルな編集力」の本格的な到来を前に、「価値」や「影響力」を形成するためには、どのように文章とヴィジュアルを組織してゆけばよいのか。発信力を持てるか。
部数から影響力へのメディアのシフト。
②編集をいかにしてセルフ・ブランディングに活用できるのか。今の「自分」を「なりたい自分」に変成させるのか。
③「場」の編集モデル。消費社会の中で、いかに消費に抗する情報のサーキュレイションをつくればよいのか。既存の関係を解体して、「自らのコミュニティ」をいかに再編するのか。
④新たな編集を生み出し、開発するために、ワークショップを重視すること。創発的なメソッド開発として編集をとらえること。いかにして集合知(コレクティブ)として編集をするにはどうすればよいのか。
⑤参加者のそれぞれの「自分」「関係」「現場」の中で発生している問題、課題を解くために、どのように編集を活用できるのかということ。いかにして自分の仕事を再編集できるのか。
⑥情報の「再編」を通じた「再生」。それをクリエイティブな「新生」にいかにジャンプさせられるか。情報の寄せ集めを、いかにクリエーションに変成させるか。
そして、編集から、アートへ。
スーパースクールのヴィジョンや授業内容、ワークショップは、『ニューテキスト』(リトルモア1997年刊)との『僕たちは編集しながら生きている』(マーブルトロン2004年刊/増補新版・三交社2010年刊)という2冊の本に「記録」されています。
これらの本は、ありがたいことに、多くの人に読まれることになりました。また、自分で読み返してみても、予見的で、有効な本だと改めて思います。
しかし、今また新たな「編集術」についてのテキストが必要なタイミングなのだと、強く感じるのです。
なぜならスーパースクールは、社会の流動性に対応できる「戦略的」な「思考のフォーマット」として編集を再定義していました。
それは極めて的確な読みであり、今でも有効ですが、我々をとりまく情報資本資本主義の環境は、超高速で変化しており、その事態に対して、さらに「進化した編集」が開発されなければならなくなっているのです。
FacebookやInstagram、ブログなどの仕組みは、はっきりと、それまで有効性をもっていたペーパーメディアや、価値を差配していた批評家や思想家という存在を失効に追い込みました。
フォロワーの数や、オンラインにおける評価を軽視してはいけません。
また、オンラインにおけるセルフ・ブランディングなしには、「個人の価値」を主張できなくなりつつあります。今まで、会社の肩書きが保証していた「自分」を護る信仰は、全く役立たず、解体されてしまうでしょう。
そして、これらの事態の次には、本格的なAIやロボティクスの時代到来による職業や能力の選別。人工知能が人間の脳の処理能力を超えるシンギュラリティの問題は、間違いなく近い未来において、ある日突然、「あなたにはなにができるのですか?」という形で突きつけられることになります。
オンラインのイノベーションは、これに反旗をひるがえす意思を示すことができないほどの高速で進化して行きます。
それに対してあなたはどうするのですか?
そのことに対する処方が、「進化する編集」で考え、開発したいことになります。
僕が2004年でまとめ、2010年に改定した『僕たちは編集しながら生きている』のメソッドを、全くアップデイトすることになるでしょう。
こう書くと、「進化する編集」は、新手のオンライン編集術と思われるかもしれませんが、そんな単純なものではありません。
ユニークな編集物を作ること。
人に役立つ編集物を作ること。
雑誌や書籍が衰退しているのは、間違いありません。しかしその原因は、一度当たった企画の焼き直しの企画や本が平気で作られることにあります。
書物をつくる可能性が失われているわけでは全くありません。
僕は書物に対して、ますますオプティミスティックです。
また、「生活をいかに編集するか」についてもポジティブです。
「進化する編集」は、決してオンラインについての編集術に特化するわけではありません。
かえってオフライン、オフグリッドの「生活編集」の活性化も同等に重要です。僕たちはよりよく編集しながら生きなくてはなりません。
「編集」自体をリノベーションし、発明することには終わりはありません。
「選択」と「開発」が、僕の編集術の要です。そして「流動性」と「戦略性」のスキル。
大切な、「発信」と「場作り」です。
この「進化する編集」は、エンドレス・ノートとなるでしょう。
スーパースクールは、過去においても、時期と場所によって、考えたり、開発したりするペクトルを随分変えてきました。
90年代後半に、小説家・辻仁成さんと文芸誌『ウェイストランド』(荒地 出版社)をやっている時は、「コトバとオンガクとポエジー」にシフトしたし、ゼロ年代に坂本龍一さんたちとcodeという組織をつくり、自然環境に負荷をかけないグッズや想像力豊かに生きるクリエイティブを考えていた時には、エコにシフトしました。
また10年代の始めにはオルタナティブなアートセンター3331Arts Chiyodaで、編集室(editroom) + 編集教室(superschool) +ギャラリー(gallery) が融合した実験スペースg3を運営したのですが、ここでは、ファッション(西谷真理子)、料理(三原寛子)、ボディワーク(手島渚)、デザイン(森本千絵)などの分野だけでなく「笑い」(倉本美津留)など、幅広く新編集学校を展開したのです。
また、G/P galleryをホームとして展開している時には、写真やコンテンポラリーアートの価値生成、キュレーションなども俎上に上げていました。
「進化する編集」は、個別編というよりは、僕が考える編集についての「再編集」という包括的なものになります。
いよいよら戦略的なスーパースクール再編が始まります。
それは、オンラインサロンという今までになかった「場」の仕組みを使ったスーパースクールになるからです。そして、リアルな場も作り出したいと構想中です。
具体的には、Facebookの仕組みを活用(創造的な誤用かな笑)して、行います。たまにはオフ会もやりますが、対面ではなくオンラインで何が生み出せるか。
日誌的な配信、新たなテキストの配信。
加えて動画配信も行います。
動画コンテンツは2種類を用意しています。
1つは、各界で活躍するスーパースクールのOBたちと対談する「編集を交換する」シリーズです。これは、「学び合う、教え合う」という一種の編集ワークショップです。
互いに教えて欲しい質問を数問づつ用意し、問い、答えるものになります。
本、ネット、料理、建築など多くの分野の「現場」の中で生まれている編集のメソッドが開陳されることになります。
もう1つの動画は、僕が編集的に有効で可能性をはらんでいると思う本やクリエイターをとりあげて解析するというもの。
ブライアン・イーノやバックミンスター・フラー、ミシェル・フーコーなどヴィジョナリーが目白押しとなります。
この動画は、僕が浜松に新たに作り中の「後藤編集基地」からの発信になります。
これらの「授業」を僕はリラックスして、エンジョイしながらやりたいと思っています。
決してアカデミックなものではありません。新しいスタイルの編集学校、編集開発室を実践したいのです。
このスーパースクール オンラインには、何回で卒業するとか、限られた回数のプログラムはありません。僕はエンドレスという課題で、どのように創造的にできるか、日々発明だと思ってワクワクしています。
進行していくに従い、具体的なプロジェクトも提案し、参加をつのることになるでしょう。
この序文はあたらしい本を制作するためテキストとして書いたものですが、このあと、2004年に初版が出版され、2010年に増補新版が出版されて今は絶版となっている「僕たちは編集しながら生きている」の内容を、このマガジンで公開します。
2010年に発行した増補新版の挨拶はこちらです。
僕たちは編集しながら生きている 1/僕たちは編集しながら生きている を読む
僕たちは編集しながら生きている 付録/編集者心得 を読む
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