IN&OUT of TOKYO 15「TOKYO FRONTLINE PTOTO AWARDのこと・スクワットされた場所から」/一日一微発見140
その場所は、地下鉄の表参道駅の地上出口の1つから、歩いて5分もかからないところにある。
ここは急速に変貌しようとしているエリアで、3年前まで表参道ヒルズの4
Fに住んでいたので、よく行った表参道交差点のスーパーのアズマや、2Fにギャラリー360°があったビルも、隣のパン屋アンデルセンもすべて地上げされ姿を消してしまった。
小松ふとん店は、1970年代末に僕が東京に出てきて、初めて神宮前に住んだ時にフトンを買った店だったが、これも地上から消失してしまった。
交差点裏には、たしか糸井重里さんの事務所も入っていた第1マンションは、工事の囲い壁ができていたが、なんだか工事がストップしている。
コムデギャルソンは無傷。だが、そのウラにあったラットホールギャラリー(ヒステリックグラマーがやっている現代アートギャラリー)は休廊して、たった今、解体工事中だ。
さすがにヘルツォーク&ド・ムーロンが設計したプラダのガラスの城がびくともしないが、バレンシアガの裏にあるスペースは、いくつかのブランドが入っては出たりしていたが、ついに退店になり、
設計事務所のダイケイミルズとアートブックのtwelvebooks連合軍が、期間限定で超一等地をスクワットした。
もちろんスクワットと言っても不法占拠ではなく、オーナーからは、入居が決まるまでの限定期間、クオリティと話題がとれるプロジェクトとして了解をとりつけ、その「時空のスキマ」を見事にスクワットしたのである。
本来ならば、「今」東京オリンピックが開催され、日本は「この時代の華」として東京の映像を世界に発信するタイミングだったのだ。
ところが地下鉄の改装も、渋谷の街の再開発も、そのスピードはほぼ停止したまま。まさしく東京という「時空」は、迷子のように彷徨いはじめた。
そんな東京に、忽然と出現したSKWATでイベントをやった。
「コンテンポラリーアートとしての写真」の新鋭を輩出することを使命とした「TOKYO FRONTLINE PHOTO AWARD」は、今年で9回目になる。
東日本大震災の年から始めて、よく続いてきたと我ながら思う。
コロナで多くのアート活動が延期・中止になるなかでも、作品応募は遂行し、先日第一次審査を11名が通過し、そして当初の予定通り、「公開審査」を7月12日に行うことにした。
とても綱渡りの判断だった。
毎年のように審査会場としている東京都現代美術館は三密を避けるために、使用がはばかられ、諦めた。
どうしよいか?と悩んでいた時、SKWATが現れてくれて、ラッキーだった。
twelvebooksの浜中君が相談に乗ってくれて、SKWATの「店内」で公開審査会を行うことにした。
スクワットされた空間を、さらに「現代写真」がスクワットするのが面白いと思ったのだ。
長引く梅雨はこの日は休止で、極端にむし暑い夏が東京を襲った。
公開審査は12時からスタートし、1人のもち時間に約20分。
今年の審査員はホンマタカシ、千葉雅也、大山光平、川島崇志、多和田有希、後藤繁雄(佐々木敦はスケジュール変更のため残念ながら欠席)。
ちなみにホンマ君はZOOMで審査だ。
そびえ立つ本棚のスキマに、椅子を散在させ、観客は自主判断で「ソーシャルディスタンス」を取る。
この日は、東京での感染者数が200人をこえ、非常事態宣言の頃をうわまわる日々が戻ってきてしまっている。
コロナの真っ只中。
むろん、このイベントが新たなクラスターになることは、絶対避けなければならないことだが、この事態だからこそ、オンラインとオフラインの両方をミックスさせながら「時空のスキマ」で、現代写真の作業を決行することも、リアルだと思うのだ。
かつてない危機感と空転する日々に、「写真をさらす」ことは、どんな体験をわれわれにフィードバックするだろうか?
2011年の3月末に、僕はSKWATから歩いて5分の場所にある表参道ヒルズの地下スペース「O:」(オー)で、「PHOTO/BOOKS HUB」というアートブックフェアをやった。
そのイベントで、東北のための義援金を集めたし、そしてその会場で横田大輔と初めて出会ったのだ。
それはG/P galleryと2010年代の日本の「現代写真」を運命づけた「時空のゆがみ」だったのだと思う。
事態は異なってはいるが、カオスや混乱の中にこそ次の事態が集備されているものだ。
今回もまた、僕のセンサーがサインを告げている。
正直言って、今年のアワードは箱をあけてみないと全くわからなかった。
コロナによる現実の非現実化のエネルギーのほうがアートよりまさっているし、この春から夏にかけての展覧会や作品のあり様は、それ以前とずい分変わってしまったと思う。
それは、現在のアート作品がグローバルな都市速度とリンクして存在していたせいだ。
都市速度がコロナ禍で失速したときに、脆弱な表現は、根底から存在を問われる。
無風になった空を漂う凧のように。
しかし、アワード審査結果は、僕だけでなく全審査員の予感をくつがえすエキサイティングなものだった。3名のフォトアーティストたちが、審査員から、ほぼ等しい得票をしたのである。
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