AI写真時代の「写真力」篠山紀信をどう「偲ぶ」のか?/一日一微発見484
12月3日にホテルオークラで行われた「篠山紀信を偲ぶ会」に参加した。会場正面のまん中に先生(彼は篠山さんのことをそう呼んでいた)の「遺影」が大きく飾られていて、その下に深く関係した人が集まっていた。その写真を誰が撮ったのか、昔の「助手さん」をつかまえてきいてみたが要領を得なかった。
どうやら、ある日事務所でスタッフが撮影したもののようだとのことが、まるではっきりしない。しかし、誰が撮影していようが、その「遺影」の大きさからして、これは金字塔的な写真展「篠山紀信展『写真力』」の再演に他ならないものだった。
写真展「篠山紀信展『写真力』」に、僕は企画・構成に深くかかわり、その日本と台湾での34ヶ所の美術館にはすべて担当し、ついには前人未踏の入場者数100万人を達成した。
今後もそのような「写真展」を実現することは誰も成し得ないだろう。
「写真力」は、その名の通り、写真がもつ甚だしい不思議な力を、篠山紀信が撮った写真を使ってキュレーションするというきわめて「メタな意図」にもとづいて構想された写真展であった。
その最初の部屋が「鬼籍に入られた人々」というものであった。写真はその被写体が亡くなると意味が変容する。そんな不思議な力があるというのが先生の持論の一つであった。
では、写真力の部屋に入るべき、先生が撮ったセルフポートレイトはどこにあるだろう? 会場を見回すと、それは式典会場に入るところ 8×10のカメラとともに並んでいた。
それは、若き篠山紀信のモノクロームの自写像であった。これが中央正面の写真でもよかったのかもしれない。そうだったら、いったいどんな印象だったのだろうか?
若い元気な遺影?
他にも2回プロジェクションがあったが、1つは決闘写真論でもおなじみの、先生の子ども時代の写真(実家が寺なのでお坊さんのかっこうをしている)などがうつし出された。
そしてもう1つは、80年代にNHKで放送された「近未来写真術」の動画の抜粋であり、そして写真美術館でのラストショーの時のインタビュー動画であった。
つまりは、この会場には、いろんな時代の篠山紀信の写真(イメージ)が跳梁跋扈していて、観ている側は、決して「しんみり」したくてもできない会、つまり、死という現実が写真によってフィクション化してしまう、死などない奇妙な体験の場となったのであった。
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