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編集とアーカイブと本棚のこと アジア・アート・アーカイブにて/一日一微発見468

割引あり

編集とアーカイブのことについて考えている。
このあいだ香港に行った時に「アジア・アート・アーカイブ(AAA)」に4年ぶりに行ったら、前は工事中だったが、コンパクトながらみごとに部屋ができあがっていた。

これはどうやら、デベロッパーが文化装置として、アジアのアートに関する出版物を集めて「利用」できるようにして、開かれたアーカイブをつくり、発展させようとしている(らしい)。

それにしても受付の対応から、本棚の構成から、空間は何ら権威的でなく、リラックスして、まさに開放的で気持ちが良い。

アーカイブの入口には、どうやら寄贈者たちの「本棚」もつくられていて、なるほどこうやってアーカイブとは成長していくものなのだと合点する。

なぜこんをアーカイブのことを書くかというと、浜松の仕事場(本の部屋)を引っ越ししたからである。
僕は離婚した時に、前の家にあった「蔵書」はすべておいてきたので、今持っている仕事場の本は、この15年ぐらいのものでしかない。

だから現在の「蔵書」といっても3000冊ぐらいのもので、おまけにその大半がアートブックである。
あと重要な小さなブックレット類などは、オレンジ色の箱に別に収納している。
海外に行き出した頃は、ずいぶんアートブックや写真集をトランク一杯に買ったが、今はAmazonの世の中になったから、ネットに載らないものばかりを買うようにしている。小さな本やブックレットは、かえって「思考のエコロジー」形成に重要だと思われる。

その一方で、僕の「日本語の本」についての基本的な態度は「思考の道具」である。
もっと言えば「知的な食べ物」ゆえに、本はガツガツと食べるものなのであるから、線は引くわ、ページは折るし、まるで「愛書狂」とは程遠い。
しかしアートブックや写真集にはそのような過酷なあつかいはしていない。

香港のアーカイブの本棚を見た時に、本が図書館のようにキレイに整理されているのを見て、ちょっと違うかも、と奇妙な違和感に襲われた。アーカイブとはこんなことだっけ?

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