IN&OUT of TOKYO20「差別のことについて考えている」/一日一微発見148
ここのところ、パワハラやセクハラで失脚してしまう人のニュースが多い。
アートワールドでも、そんなニュースが聞こえてくるし、同時に、人種差別や性差別についての問題点が、噴出しているのだ。
ハラスメントや差別は、職業や年齢などの属性を超えて、現在の人間の根幹を問う、大きな問題だと思う。
アートは確かに、かつてに比べればソーシャリーな問いを提起するものになった。
それは人間の根本的な規範を問うものなのだが、当の人間はどんどん「劣化」している。
コロナ以降、社会と人間性の綻びが拡大しているのは、「自然としての人間」が、厳しく問われているということだ(にもかかわらず権力を持つ者たちは、ウソを事実として粉飾することを独裁的に強行している)。
僕はコンテンポラリーアートの領域、つまり人間の創造性において最もラディカルな領域で活動しているがゆえに、「差別」に対しては毅然としなければならない、と今まで以上に思うようになった。
たしかに、僕のような世代は、モダニズムとポストモダニズムのあわいで生きてきたから、真善美を相対化する流れで生きて来た。
しかし、人生はゲームだ、とプレイフルに振る舞えない時代に突入していると思う。
先日、ある勉強会があり、ゲストでお招きした現代美術研究者の方に「黒人差別」のことについて教えをこうた。
もちろん僕も質問するからには、問題意識がしっかりしていなければならない。
しかし、学び続けなければ、誰しもすぐに劣化してしまう。
「ブラックアート」という領域は、マーケットに於いても、批評においても、またたくまに拡大している。
しかし、現代思想やロザリンド・クラウスの難解な文章を読んだことはあっても、トニ・モリスンの小説や本を必読として来なかったではないか、と自責の念がある。
表面的な現象を云々するだけでは、だめなのだ。
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