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ハイパーピクチャーズ①なぜ今、「絵画」についての考えをシフトしなくてはならないのか?/一日一微発見388

さて、今から断続的に書き綴られるのは「絵画」と「写真」をめぐる試論である。
写真が生み出されたのは今から200年ほど前のことであり、そこからこの物語は始まるわけだが、それの前史をデイビッド・ホックニーのような人は、「絵画」の歴史が隠してきた「カメラオブスクーラ」の「事実」「前史」を著書『絵画の歴史』という本によって克明にあばいてきたことも考えに入れておいた方がよいのかもしれない。

目に見える光景を、固定した画像として手に入れたいという欲望は写真が発明される以前から、ずっと人間を刺激してきたことであり、その意味では、「絵画」と「写真」を明確に分離はできないのかもしれない。
「絵画」を生むための道具は数多く発明されてきたわけで、「絵画」の「純血性」は、はなからあったかどうかは、ホックニーの執拗な追求をまつまでもなく、疑わしいものだ。

そして逆に、小説家ミラン・クンデラが作品『不滅』の中で描写したようにナポレオン・ボナパルトのまわりには「見えないカメラ」が無数に存在していことだろう。
ドローンという無人のコンピュータで制御された「装置」が、飛行機や車といったモダンな存在を、あっという間に駆逐して、戦争の主役におどり出ているのを見るにつけ、テクノロジーの急速な進化は、「見ること」や「描くこと」について思想家や美術評論家が頭と手を使って綴ってきた文章を、あっという間に正味期限ぎれにしてしまう。このような事態が、これから10年以内には加速度的に発生していくことだろう。

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