編集者ではない人の中にある甚だしい編集の力・ENDLESS NOTEのちょっと早いあとがきのようなもの/一日一微発見136
梅雨はどこかに行ってしまったのか?
窓の外を見ると、都市が砂漠の街のように白く炎上している。
あわててカーテンを閉める。
部屋の中は、観葉植物のために年中、気温と湿度を一定にしているから、ひんやりして、今が夏か冬かはわからない。
無季節のなかに僕はいる。
それは快適だ。
こう書くと隠遁しているように思うかもしれないが、メッセンジャーやショートメールなどが次々に時間差攻撃でやってくるから、snsによって、「今・ここ」のすべてはコネクトされていて、メガシティの時空とあまり変わらない。
しかし、ともあれ、ここはメガシティからは遠く離れているし、
部屋には朝から晩まで、好きなジャンゴ・ラインハルトやボサノヴァの楽曲が流れていて(夜になるとゴールディーズやクラブミュージックになる)、「仕事」をしているのだから、全くこれは時代の恩恵というものだ。
さて、途中報告だけれど、「ENDLESS NOTE」と編集のことについて、書き留めておきたいのである。
「ENDLESS NOTE」は、DMM.comのオンラインサロンで毎月3年間にわたって今も連載し続けている動画だ。
「ブライアン・イーノと編集」からはじまり、31回の連載で、ひとまず終了しようと考えている。もうやりたくないとかいうのではなくて、本にまとめてみたいと思っているからだ。
2年半前にオンラインサロンを始めた時、コンテンツとして何が有効か、全く手探りだった。
スーパースクールは長くやっていたが、いよいよオンラインの時代だから、「開発」してみたいと思ったのだ。
妻が毎月苦労して収録・編集してくれた(ありがとう!)。
しかし、オンラインサロンを有効に運営するやり方がわかっていないし、始めた当時はまだコロナによって「オンライン」がブレイクする前だった。
しかし、僕はいい機会だから、「エンドレスノート」というタイトルで、「編集者ではない人の中にある甚だしい編集の力」についてとりあげたかった。
実用というオンラインサロンの目的からは、かなり浮いていたと思う。
無理解を被ることは承知で、「エンドレスノート」は始まった。
バックミンスター・フラーや、チャールズ・イームズ、レム・コールハースや、ハラルド・ゼーマンなどが登場した。
人選は、ジャンル横断的だし、評価点もまるで違う。
現在、29本までやって、あと2本まできた。
30本のほうがキリがいいではないかと言うかもしれないが、それが僕のひねくれたところで、31という中途半端な「素数」(その数字でないと割り切れない数)がよいと思い、31で「まずは」打ち止めにすることにした。
30回はジョン・ケージとフルクサス。
ラストはめちゃめちゃ悩んだあげく「ロバート・フランクと編集」である。
写真集の編集?
いや、そんな簡単な話は、しない。
フランクは「ストーリーA」「ストーリーB」を考える写真家なのだ。
これは「ストーリーテリング」についての話になるだろう。
さて、さらに重要なことをメモしておきたい。
それはケージやフランクをなぜとりあげて、「いわゆる名編集者」と呼ばれるヒトたちを「ENDLESS NOTE」ではとりあげないのか、という疑問への回答を先に書いておきたいのだ。
例えば、伊丹十三である。
彼は雑誌『モノンクル』の編集長もやったし、TVの企画における編集も鬼才ぶりを発揮した。
なぜ、取り上げないのか。
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