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目は旅をする・後藤繁雄による写真集セレクション

ヴィジュアルの旅は、大きな快楽を、与えてくれるし、時には長編小説以上に、人生についてのヒントを与えてくれます。 このマガジン「目は旅をする」は、長く写真家たちと仕事をして、写真…
後藤繁雄おすすめの写真集についての記事を月に2~3本ずつ投稿します。アーカイブも閲覧できるようにな…
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#アート思考

ロバート・フランク『Storylines』/目は旅をする093(写真の未来形)

ロバート・フランク『Storylines』 (Tate Modem/Steidl) 2025年の1月の半ばまで、ニューヨークのMo MAで写真家ロバート・フランクの生誕100年記念展「Life Dances On / Robert Frank in Dialogue」が開催されていた。残念にも見に行けなかったが、年末から年始にかけて、手持ちのロバート・フランクの写真集を見直して過ごした。 彼は2019年に94歳で死んだ。彼が死んだ4日後、僕は偶然にもベルリンにいてCO/B

佐内正史『写真がいってかえってきた』/目は旅をする093(風景と人間)

佐内正史『写真がいってかえってきた』 (対照 刊) 毎年、G/P+abpでTOKY ART BOOK FAIR(TABF)に出店している。僕らはNEOTOKYOZINEという新しいシステムの写真集/アートブックのプラットフォームをすすめていて、販売はオンライン中心なのだが、同時にアートブックフェアでのフィジカルな対面を重視している。 ブースによっては、アーティストが自ら作品集を販売していることもあり、話ができたりして、ミーティングプレイスとしても、楽しいのである。 佐内

オリアンヌ・シアンタル・オリーブ『Les Ruines Circulaires』/目は旅をする091(地図のない旅/行先のない旅)

オリアンヌ・シアンタル・オリーブ 『Les Ruines Circulaires』 (Dunes Editions 刊) 詩人で画家のエテル・アドナンもまた、この写真と詩文を作ったシアンタル・オリーブと同じくレバノンの人だった。僕がアドナンを知ったのは、スイスのクレーセンターで、たまたま彼女の展覧会をやっていた時だ。売店にキュレーターのハンス・ウルリッヒ・オブリストと対談した小冊子を見つけた。 アドナンは中近東というコトバが嫌いで、、「日の出の場所」を意味するマシュリクと

赤瀬川原平 『1985-1990赤瀬川原平のまなざしから』/目は旅をする086(幸福)

赤瀬川原平 『1985-1990赤瀬川原平のまなざしから』(りぼん舎)刊 コンテンポラリーにおけるアート思考は、アートの価値生成にまつわる要点だが、これは反芸術や非芸術による切断体験や、変成のプロセスが必須である。それは暴力的な「破壊」の場合もあれば、そうでない「脱構築(デコンストラクション)」の場合もあって、しかしいずれにせよ「破壊的創造(ディスラブション)であることには変わりない。 この「やり口」はマルセル・デュシャンの「レディメイド」という既製品をアートの言語に転用

佐藤ヒデキ『OSAKA 大阪残景』/目は旅をする085(都市と写真)

佐藤ヒデキ『OSAKA 大阪残景』 (アートビートパブリッシャーズ刊行) この写真集『OSAKA 大阪残景』は、1989年から90年代初めにかけて写真家・佐藤ヒデキ(1953年生まれ)が撮影した大阪の環状線の内側の街の風景をフィルムで撮影した195点の写真から51点をセレクトし構成した。 企画・編集・発行はワタクシ後藤繁雄(1954年生まれ)が行った。写真は「アカ」「アオ」「キイロ」の3冊に分冊され、収録された写真は3冊全て違う。「信号機の3つの色」に分けた意図は、別に無

ザネレ・ムホリ「Zanele Muholi」/目は旅をする084(私と他者)

ザネレ・ムホリ「Zanele Muholi」(Tate刊) コンテンポラリーアート、そしてコンテンポラリーフォトを考える時に、それらがたどって来た非対称的(アシンメトリー)な歴史(美術史/写真史)をリシンクすることは、避けて通れない必須課題であり、作業である。 西洋の白人男性、それもストレートの性意識の眼差しによって、多くの表現がうみだされ、文脈化、ひいては歴史化、価値の制度化、権力化が行われてきた。近代国家の多くが、奴隷制や植民地支配による搾取で成り立ってきたのだ。

サム・フォールズ『THE ONE THING THAT MADE US BEAUTIFUL』/目は旅をする083(ニューネイチャー)

サム・フォールズ『THE ONE THING THAT MADE US BEAUTIFUL』 (G/P+abp刊) 彼は野外で、感光溶剤を染み込ませた布のキャンバスを野っ原に広げて、その上に、植物の花や葉、茎や蔓を配置して、長い特には、1年間も放置したままにする。大型の日光写真と言っても良いだろう。最近では、布の上に置いた植物の上から顔料をちらし、それが幾層にもなった美しいレイヤーからなる「絵画」や、陶板にも発展させているが、基本的には写真の考えの発展形態と言ってもよい。

ニック・ワプリントン 『Comprehensive』/目は旅をする082(地図のない旅/行先のない旅)

ニック・ワプリントン 『Comprehensive』(Phaidon Press刊) ニック・ワプリントンの「包括的」を意味するComprehensiveという名の写真集が出た。30年以上にわたる膨大な写真を新たにリエディットした分厚い写真集である。パリのヨーロッパ写真美術館館長でキュレーターであるサイモン・ベーカーの手になるものだ。初めて知るプロジェクトも沢山あり、その軌跡を、見ながら考えさせられることが多かった。 僕がワプリントンに会ってインタビューしたのは1998年

『安井仲治 写真のすべて』/目は旅をする080 (写真の未来形)

『安井仲治 写真のすべて』 (共同通信社) 写真とは残酷なアートである。 写真の学校に行って技術を学んだから写真家になれるわけではない。大学で理屈を学んだから写真が分かるわけでもない。ベテランだから傑作が撮れるわけではない。写真機によりイメージは考えるより早く取得される。言語的な思考より容赦なく速くやってくる。 まして誰もが、「携帯」という名の高性能な「デジタル写真機」を手に入れた時代に、写真の概念はどんどん流動的になって行く。写真における「素人」と「プロ」の対立項はAI

リチャード・アヴェドン『Richard Avedon: Avedon 100』/目は旅をする068(人間の秘密)

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森山大道『Nへの手紙』/目は旅をする067(地図のない旅/行先のない旅)

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ジョセフ・クーデルカ「Josef Koudelka. IKONAR: Archival Constellations」/目は旅をする066(人間の秘密)

ジョセフ・クーデルカ 「Josef Koudelka. IKONAR: Archival Constellations」 (Photo Elysée / Les Éditions Noir sur Blanc) 最初に好きになった写真家はジョセフ・クーデルカだった。そして、その気持ちは今も変わらない。 ロベール・デルピールが編集した写真集シリーズ「Photo Poche」で買ったのもクーデルカが最初だったし、いや、その前に、中学2年生の時にソ連のチェコ侵攻があり、なぜか衝撃

安部公房写真展 Kobo Abe as Photographerカタログ『安部公房全集026』(新潮社刊)/目は旅をする065(都市と写真)

安部公房写真展 Kobo Abe as Photographerカタログ(ウイルデンスタイン東京刊)『安部公房全集026』(新潮社刊) 安部公房は、1993年ちょうど30年前に68歳で急死した。1924年生まれだから、来年生誕100年ということになる。 だからと言って僕には過去の人ではまるでない。彼が書いた小説やインタビュー、戯曲などを読むと、僕にとり彼は最も刺激的で、「存在の新しいモデル」なのだ。だから、全く死んだ感じがない。 今でこそ、村上春樹や多和田葉子がノーベル文

志賀理江子 東京都現代美術館におけるTCAA受賞記念展「さばかれえぬ私へ」モノグラフ『SHIGA Lieko』/目は旅をする064

志賀理江子 東京都現代美術館におけるTCAA受賞記念展「さばかれえぬ私へ」モノグラフ『SHIGA Lieko』(公益財団法人東京都歴史文化財団東京都現代美術館トーキョーアーツアンドスペース事業課発行) 展覧会のフライヤーの解説にはこう書かれていた。 「第3回受賞者の志賀理江子と竹内公太による本展には、「さばかれえぬ私へ / Waiting for the Wind」という言葉を冠しました。この言葉は、TCAA授賞式から始まった志賀と竹内の対話から生み出された、いわば本展で