コロナ、お前が愛だったのか【和解】
最近の私は、コロナにキレ散らかしておりました。でもずっと何に怒っているのか、何が悲しいのか分からず、考えていました。
先日その理由が判明したので、書いてみようと思います。
1.コロナの所在地は愛のあるところ
コロナの感染を避けるためには、密閉・密集・密接を避けることが大事だという。
私がその言葉を聞いてまず思ったのは、それは愛じゃんということでした。
Q.愛はどこにありますか?
A.密閉された場所で、密集し、密接した状態の時、そこにあります。
絶対にそうだとは言い切れない(例:満員電車)けれども、愛があるところは、密閉されていて、密集していて、密接なものだと思う。
また、ハグやキスなどのコミュニケーションができないこと。離れて暮らす大切な家族に会いに行った結果、感染させてしまい、殺してしまうことがあること。それは、どれほど苦しいことだろうか、と想像していた。
台風や地震、火事、悲しい事があったとき、うれしい時、どんな時も人は抱き合い、接触し、会いに行くことができていたのに。
今回の件は、愛が禁止されていることが、私にとって苦しかった。
愛が、人を殺すなんてことがあっていいわけがないだろ。
愛が禁止されていること、愛が人を殺すこともあるということに、ここ最近の私は怒っていました。(あとは土日は自粛を要請されるのに平日は変わらないことや、文化的な部分(図書館、美術館、博物館、外食、娯楽施設)が閉鎖されていくことにも)
2.コロナ、お前いいとこもあるじゃん
しかし、そのおかげで気づいたこともありました。
愛は、なくならないということです。
私は、会いに行くことが愛、という信念?を掲げているのですが、現在それを行うことが出来ないでいます。
自分が無症状で感染している可能性が高いこと、こんな状態(コロナに感染し、感染させるかもしれない不安な状態)をさっさと終わりにしたい、という思いで外出を控えています。
本来であれば、今日はずっと楽しみにしていたまゆこさんたちのliveがあり、晴美さんに本を返し、お話しする日でした。
会いに行くことが愛だといっている自分は、会いに行かないことでこの人たちを愛していないことになるのではないかと、恐れていました。
が、まゆこさんと晴美さんに会えません、と連絡しても二人からは責められることもなく、考えを尊重すると言って頂きました。
そして、自分の心にも、愛がなくなったのか尋ねてみました。
いました。ちゃんといました。
会えなくなったというのに、私の愛は収まるどころか燃え盛り、再び会った時にやりたいことがどんどん思いついている状態です。
会いに行かなかったら心も離れると思っていた自分には、新発見でした。
会えなくても、好きじゃん。会えなくても、ハグできなくても、一緒にご飯を食べられなくても、愛し続けているじゃん、と思いました。
コロナに、普段何気なく行っていたコミュニケーションが実は大事な役割を持っていたこと、しかしそれが出来なくなったとしても、愛はなくなったりしないことを、教えてもらったのです。
そんなわけで、キレ散らかす一方だった私ですが、コロナと和解することができました。
そして、この状況で何か自分にもできることはないかと思い始めました。
今回の件で、考えたり、本を読んだり、ゆっくり休む時間が取れるようになったので、その中で思ったこと、動けるようになったらやっていきたいことなどをnoteに書いていこうと思います。
今考えているのは、パラダイスのクローゼットの事。
私は、スティーブジョブズを模して、平日スーツで会社に行っていたのですが、そのおかげで私服を着る機会が土日の最大8回ぐらいという事態になっております。
せっかくかわいい服を持っていても、何回も着れないまま季節が過ぎ去る、という恐るべき事態です。
そこで、出張クローゼットをして、私の服を持ってって着てもらったら服が喜ぶかもしれない(喜ぶ金色のドレスの話はゆーほさんnoteを参照ください)と思い、今わくわくしています。
普段白の服を着ていらっしゃる方に、ぜひとも原色シャツを着てみてほしいと依頼も済ませました。
また実際にやるとなったら写真などを載せて告知をする予定ですので、
( ゚д゚)ハッ!と思う服があったら是非きてくださいね。
私はシャツなどのトップスはなかなかの品揃えなのですが、下に関しては弱小です。共同開催もやっていきたいので、お声がけください。
とりあえず今日はこのへんで!
ゆーほさんのドレス名言note