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がんばればいいわけじゃない

ただ努力したり
ただがんばればいいわけではない。
そしてマグロを並べれば良いわけでもない


日常生活において、学校、会社、場合によっては家庭で、努力、がんばれと言う言葉がたくさん出てきすぎる世の中になってしまってる

決して努力を否定しているわけではない。
しかし、他人から言われる努力と頑張れの言葉だけだと、本人の心と体が疲弊していく。
マグロにがんばれ、新鮮さを保つ努力をしろと言っても、時間と共に腐るように。

だから、大人は子供や年下の人に対して、
「本人が一番やりたいことに努力したり、
がんばったりすることが大事だよ」と
教えてあげることが重要だと思う。
回転寿司で子どもが600円の皿を食べたいなら食べさせてあげれば良いのとはちょっと違う。

本人がやりたくないことをやっていると、
結局 どこかで心が反発し、反作用が出てしまう。

周囲は、成功を望んでいる割には、
失敗やチャレンジの怖さばかり伝えてくる。

そう、努力しろ、がんばれの前後には、
努力しないと、がんばらないと、
失敗するぞと言う言葉が隠れているんだ。

しかし、成功というものは、失敗やチャレンジしなければうまくいかないことを、うまくいくようにした結果であることを忘れてはならない。

だから、本人のやりたいことにおいて、失敗やチャレンジをする環境を作ってあげるのが大人の役目、年長の役目ではないだろうか。

ステーキ屋にいったら、添えてるニンジンやポテトは後から食べる。
まずステーキを先に食べるでしょ?
だけど、人生においては、そのステーキを先に食べずに、
ニンジンやポテトを食べることに力を入れていないか?
周囲の努力しろ、頑張れは、実は、ニンジン・ポテトを食べることを
応援する言葉になっていないか?

寿司屋に行ったら、寿司を食べずに、ガリばかり食べていたら、おかしいと思うでしょ?
寿司屋に行ったら寿司食べるでしょ?
でも周囲の努力しろ、頑張れは、ガリをもっと食べろと応援している状態になってる場合もあるんじゃないだろうか?
そんな風に自分に問いかけてみると、あれって思うこと発見があり、見つめ直すキッカケが生まれるかもしれない。

これは周囲が悪いのではない

やりたいことへの真の答えは、自分自身しか持っていないし、自分がやりたいことを周囲へ伝えられていないんだと思う。

言いたいことは、人生という時間制限があるなかでは、
真っ先にやりたいことを自分で決めてやろうということ。
ステーキ屋では、ステーキを楽しむ。ステーキを食べて、
ポテトやニンジン食べる余力があれば残さず食べる。
決してステーキを残すことをしない。
そして、自分はステーキが好きなんだと伝えることだ。
マグロをたくさん並べられても、今じゃないんだと伝えることだ。

寿司屋に行ったら、食べたい寿司を楽しむ。
寿司を食べてる合間に、ガリも食べる。
マグロだけをたくさん並べても、他の魚も食べたいんだと伝えることだ。

例えが下手すぎて、申し訳ないですが、
やりたいこと(メインディッシュ)に先に取り掛かり、
そして集中するべきということ。
そうすると、周囲の努力、がんばれの言葉はなくとも、
自ずから、努力するし、頑張っている状態になる。

全員にやりたいことをやらせることができないのが、学校や会社や家庭です。
だから、やりたいことをやれーという教育がない。これはしょうがない。

だから、自分でやりたいことを、一番にやるという考え方を
実行していくしかない。
努力しろ、がんばれという言葉が聞こえてきたら、
冷静に、
「自分は何を努力するのかを考える」
「その何は、本当に一番やりたいことなのか?
または一番やりたいことにも生かせることなのか?」を
自分自身で問うてみましょう。

知らぬうちに、君の人生を、ニンジン、ポテト、ガリで
埋め尽くさないようにね。
そして、周囲にも、ニンジン、ポテト、ガリを応援させないこと。
せっかく周囲の人が君を応援してくれているなら、
ステーキと寿司に対峙している君を応援してもらいましょう。
ほなね👋

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