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友達の言葉(2)

仲のいい人と一緒にいても、会話が続かないときがある。
気まずさから無理に話題を振ったり、逆に無理に話題を振られて碌な返事ができず、もっと気まずい思いをしたりする、なんてのはよくあることだ。

大学時代に、よく一緒に帰る子がいた。
同じ電車に揺られる 1 時間弱を、話術に長けているわけでもない私が会話を途切れさせずに乗り切るのは不可能に近い。
それでも私は頑張ったと思う。
ある程度の期間は、沈黙することなく話をし続けられていたと記憶している。

だが、やはり無理があった。
ある時、本当に、何にも、話すことがなくなってしまった。
気まずい。ものすごく。
何か言わなくちゃ。どうしよう。
それで、苦し紛れに口に出したのがこれだ。
「沈黙しちゃったね」
そう言われて花咲く話題とは何か。
言ったほうも言われたほうも、苦笑いして更なる沈黙に甘んじるしかない自滅的発言だ。
ところが、私の友達は違った。
表情を一切変えることなく、当然のていでこう言った。

「沈黙が気になるのは、本当の友達じゃない」

そっ・・・それは、私が本当の友達じゃないということ??
いや、そうではない。
「私は沈黙など気にならない」と言ったのだ。
こんな愛に満ちた返しがあるか!?
私は感動して語彙が死に、「そうだね」と答えることしかできなかったが、それでよかったのだろう。
それ以降、私とその子の 1 時間弱は、話すときは話し、なんとなく黙ればそのまま黙り、気が向いたらまた話す、というとても自然な時間になった。
ストレスフリー!
私はますますその子が好きになった。

ちなみに、この言葉は他の友達との沈黙にも有用だった。
おかげで、私はだいぶ気が楽になった。
ただ、相手が楽になったかどうかまでは知らない。

また、この言葉は離れている友達との沈黙にも役立った。
大丈夫大丈夫、友達だもの。
まあ、連絡しないことを正当化していると言われれば否定はできない。

・・・何かおかしいな?

念のため記しておくが、この言葉の真意は相手への親愛と信頼であり、その真価はそれが相手に伝わってこそ発揮されるということに、疑いの余地はない。
それを独り善がりの助長に用いる私の浅ましさたるや。
よくこの言葉を贈ってもらえたものである。
どうか、これからも末永くよろしくね・・・。


【友達の言葉シリーズ】
友達の言葉(1)
友達の言葉(2)
友達の言葉(3)
友達の言葉(4)
友達の言葉(5)
友達の言葉(6)
友達の言葉(7)

#友達の言葉

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