ヘタウマ生活曼荼羅 © Shusei Matsui 2024
2024/08/10 初稿 2024/08/22 最終更新
はじめに
みなさん、はじめまして。shuseimatsui と申します。僕のnoteにご来訪くださり、ありがとうございます。
まずは、簡単に自己紹介をさせていただきます。
私は、1997年生まれ、新潟県出身の26歳です。幼少期を新潟と富山で過ごし、地元・新潟高校の普通科を卒業した後、東京外国語大学のスペイン語科に入学。環境学、経済思想にかかわる研究を行いました。
卒業後は日本国内の、ある社会福祉法人に所属しています。いわゆる「福祉」の仕事と考えていただければ認識に相違はないです。
ちなみに名字がmatsui、名前がshuseiです。それをひっくり返してつなげたのがアカウントネームですが、語呂が良いみたいで、よくあだ名みたいな感じでshuseimatsuiと呼んでくる人もいます。ということで、それを採用させてもらいました。
国籍は日本ですので、実名には漢字が当てられていますが、さしあたり、現時点での公開は控えようと思います(場合によっては、いつか公開するかも)。
と、ここまでは、いわゆる形式的な経歴の紹介であり、これだけでは私の人物像は伝わらないだろうと思います。それはきっと皆さんも同じでしょう。
というわけで、より立体的に自分自身を紹介するために、僕の愛好するモノをいかにまとめてみます。
shuseimastuiの愛好するモノ
作家:村上春樹、坂口安吾、又吉直樹、坂口恭平。
研究者:千葉雅也、今福龍太、ヨアヒム・ラートカウ、石山修武。
音楽:羊文学、eastern youth、カネコアヤノ、Green Day、前川清、坂本龍一、オズワルド・プグリエーセ楽団。
映画:ジム・ジャームッシュ、濱口竜介、ペドロ・アルモドバル、松本人志。
画家:エドワード・ホッパー、ホアキン・ソローリャ、パウル・クレー、黒田清輝。
彫刻家:コンスタンティン・ブランクーシ、イサム・ノグチ、小林さらん。
アート・ディレクター:カワサキ・ツグコ(僕のアイコン写真を撮った人です)
アイドル:=LOVE、Perfume(瀧脇笙古、あ〜ちゃん推し)。
スポーツ:アルビレックス新潟、広島東洋カープ。
お笑い:ランジャタイ、ニッポンの社長、ZAZY、滝音。
趣味:ロードバイクに乗る、サラブレッドの血統表を読む、ビールを飲む。
(※人物名は全て敬称略です。偉大な先生方、小生の無礼をお許しください)
こんな感じです。どうでしょう?私の興味関心の一端がみなさんに伝わると良いなあと思います。
それはそうと、このように自分の好きなものや興味関心を羅列したり、整理したり、その順序をいじったりしていると、とても幸せな気持ちになりませんか?僕はこのリストを見ているだけで、一日ニコニコ過ごせそうです。書いているうちに、「〇〇のあの曲はもう一度聴きなおそう」とか、「好きな画家の4番目は誰になるだろう?」とか、「『〇〇が好き』と言えば、格好がつくんじゃないか」とか(それは少し邪ですね)、とにかく色々なことが思いつく。そして、夢中になって気がついたら時間が経っている。キーボードを打つ手が止まらない。これほど幸せなことはありません。
このような、自分自身の興味関心の可視化を、僕はさしあたり「自分の曼荼羅をつくる」と表現しようと思います。このページのタイトルにも「曼荼羅」とありますが、これは明確に意図を持ってつけています。
自分の曼荼羅をつくる。このことを提唱したのは、僕がいまもっとも支持している坂口恭平さんです。著書『自分の薬をつくる』において、「医師」となった坂口氏が、ある「患者」に対して「曼荼羅」をつくってみなさい、とアドバイスをします。この原稿は後ほど改稿する予定で、そこではきちんと引用をしようと思いますが、話の論旨はこうです。
興味の関心が一つに定まらなかったり、自分のやりたいことが何なのかがわからないという「患者」に対し、坂口は「興味や関心を徹底的に可視化せよ」と説きます。例えば僕の場合も、上に興味関心を示しましたが、僕と全く同様の興味関心を抱いているという人間はいないだろうし、「=LOVE」と「ブランクーシ」と「サラブレッドの血統表」を3つ同時に追求している人物は、もしかすると世界に私一人だけなのかもしれない。だからこそ、それらのつながりを探究してみることには、一定の意義があるのではないか。坂口の論はこのようなものであったと記憶しています(のちに原典を確認します)。
そのテキストを読んだ時に、僕は概ね同意しましたが、その後一定の間は、自分でそれを実践しようとは思いませんでした。というのも、それをやって何になるんだろう?お金が稼げるわけでもないし、時間の無駄じゃね??みたいに思ってしまったのです。
しかし、これは後の回で詳しく論述することとしますが、その後22歳を皮切りに、自分自身を巨大な鬱の波が襲うようになります。文字通り身動きや思考が停止する日々の中で、唯一自分にできたこと、それが「書くこと」でした。
僕は昔からものを書くことが大好きでした。あまり読書はした方ではなかったけれど、書くことには一定のこだわりを持ってきました。小学校の時から作文課題も全身全霊で取り組んでいました。高校で一番好きだったのは現代文で、クラスメイトたちがこぞって眠る現代文の授業では、誰よりも目を見開き、感覚を研ぎ澄ませていました。ちょっと言い過ぎかもしれませんが、それくらいの自負があります。まあ、とにかく、書くことが根源的に好きなのです。
だから、身動きが取れなくなり、自分自身が何なのか(極めて陳腐ですが)わからなくなった時、よすがとなったのが、書くことでしかなかった。それで、書いてみると、そこに回復の予兆があったのです。だから、僕は書いてみようと思いました。
先に断っておきますが、僕は決して優れた文筆家ではありません。極めて平凡な、一介のアマチュアです。大学の研究室では「お前の文章には論理がない」と、毎回酷評されていました。僕はそれで半ば神経衰弱になり、3年くらい全く書けなくなりました。本当です。このこともまた、どこかで語ろうとは思いますが。
それでも、書くのです。なぜならそれがやってみたいことだからです。今なら、誰になんと言われようと書きたい。そういう気持ちです。僕は今、とても幸せな気持ちです。いくらでも書けそうだ、と思っています。では何を書くのか?それが先ほどの曼荼羅です。
僕は、今日からここに記述していく原稿の一つ一つをつなげて、曼荼羅にしてみたいと思っています。先ほど示したリストは、実は、僕の曼荼羅の初稿というか、スケッチというか、まあ、見取り図のようなものです。僕は自分自身の興味関心が、どこでどう繋がっているのか、どういう論理で成り立っているのかということに興味関心があるのです。だから、書いてみることにしました。
ただ、一人で黙々と書いてその世界に没入するというのは僕のスタイルではなく、できればリアクションが欲しい。それで議論してみたい。そういう思いがあります。そんな時に、僕は友人であり、幼馴染である彫刻家の小林さらんに、言われたある一言を思い出しました。
不思議ですね。坂口の曼荼羅論と、ほとんど一緒のことを言われていたのです。僕はそのことをふと思い出しました。そしてこの原稿を書くと同時に、サランに連絡しました。すると、書いたことを褒めてくれました。そして、サランの名前も使って良いと、快く承諾してくれました。ありがとう、さらん!サランの作品は本当に素晴らしいので、ぜひみなさんインターネットで検索してみてください。
さらん ホームページ
さらん インスタ
https://www.instagram.com/sarang_kobayashi?igsh=MWN4Z25nMmM5bXhkeA%3D%3D&utm_source=qr
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さて、曼荼羅をつくるのは良いのですが、じゃあタイトルはどうしようか?ということになりました。そこで色々と思案したのですが、このページトップにもある「ヘタウマ生活曼荼羅」という表題をつけることにしました。試しにネットで「ヘタウマ生活曼荼羅」と検索すると、同じ名前のついたものは、僕の調べる限りは出てきませんでした。ということで、著作権は僕にあるということで、マークを表示ています。この名前は僕オリジナルのものということにしたいと思います。
「曼荼羅」という言葉を使う意味はわかったと思うのですが、「ヘタウマ」と「生活」はまだ「???」という人も多いかもしれません。順に説明していきます。
まずは「ヘタウマ」。これは僕は3週間前くらいに初めて覚えた言葉です。きっかけは、千葉雅也さんの『センスの哲学』を読んだことでした。ここでも現時点での正確な引用は差し控えますが、大雑把に言えば、「芸術とはヘタウマ」だというのです。
たとえば印象派のような、写実的な絵を描こうと思った時には、写真のように正確な絵が好まれるというわけでは必ずしもない。どうみても写真そのままではない、写真より「ヘタ」ではあるのだが、画家それぞれの筆致や解釈が絵になっている。それが「ウマ」いのだ。だから、「芸術はヘタウマなのだ」ということです。
僕はこれを読んだ時に、めちゃくちゃテンションが上がりました。これでいいんだという勇気が湧いてきて、「書きたーーい!!!!」と思いました。つまり、僕は明らかに「ヘタ」なのですが、それが「ウマ」と評価されうる余地もあるかもしれない、そんな可能性だってあるということが判明したのです。その瞬間、僕はこの「ヘタウマ」という言葉が大好きになりました。うまくいかないことがあっても「ヘタウマ」、「ヘタウマ」と心に言い聞かせています。そんなわけで、僕の曼荼羅も「ヘタウマ」であれば良いなあと願い、タイトルにつけてみました。
もう一つの「生活」という語ですが、これは僕の思想的立場からきたものです。これもここで論述すると、長くなって皆さんに読んでもらえなくなります。なので、端的に言いますが、生活が一番大事ということです。なぜなら、生活のない人間はいないからです。僕にも、岸田首相にも、スティーブ・ジョブズにも、クレオパトラにも生活があるのです。だからこそ、生活の奥深さ、生活とは何かを探究したいし、生活の視点でものを考えて生きたい。そういう意味です。
というわけで、僕はこの一連の試みに、「ヘタウマ生活曼荼羅」という名前をつけることにしました。僕のいのちとやる気が続く限り、一旦はこの場において、自分の関心を書き続けていきたいと思います。もしよかったら読んでくれたら嬉しいです。読んでくれなくてもいいです。それでも僕は書き続けます。また、どんなことでも良いので、感想や意見を下さると、嬉しいなあと思います。批判や誹謗中傷はちょっと怖いけど、それも受け止める覚悟でいます。それが、「共に生きる」ことだと思うからです。
気がついたら、原稿が4000字を回ってしまいましたので、一旦今日はここで閉じようと思います。それではみなさん、ご機嫌よう。shuseimatsuiでした。