「旅する家」とは何か? 2

2:「表現」と「芸術」について

さて、前回お伝えしたように、「価値があると思える物や状態を作り出すこと」=「表現」だとすると、それが扱う領域は非常に広いものになります。絵画、彫刻、音楽、踊り、映像、写真などわかりやすいものから、日常会話や料理、行事やイベントまで、人間が「うまくなりたい」とか「いい物を作りたい」「誰かに伝えたい」などの気持ちを持って行う多くの事が「表現」になります。

そして、このような数々の「表現」に価値をつけて分類し、組織化したシステムを「芸術」と呼びます。どの「表現」が、どのように価値が有るかという事を説明でき、共有できる世界が「芸術」と言っても良いでしょう。

なので、ただ「表現」しているだけでは「芸術」にはなりません。「芸術」がこれまで作り上げてきた「表現」のいわば格付けの歴史=「美術史」と、その「表現」がどのように結びついているかという関係が明らかになってこそ、初めて「表現」は「芸術」となります。

絵画、彫刻、音楽、舞踊、映像、写真など、すでに芸術としての枠組みが決まっている物作りのルールに従って「表現」を行えば、それはもちろん「芸術」になります。また日常の会話や料理、行事やイベントなど、美術史と関係が薄い「表現」でも、作者が「これはこんな風な意図をもって表現しているから、芸術なのだ!」と美術史に接続する方法を考えつき、それが認められれば、その「表現」は「芸術」として承認されます。その接続の方法が斬新であればあるほど、かえってそれまでの方法で作られた作品よりも、その価値は高まります。

例えば、今六本木の森美術館で展示が行われている、村上隆さんは「日本のオタク文化」を「美術史」に接続させるという荒技に成功し、一躍日本アート界のトップにたちました。

彼の作品は、日本のアニメや漫画のキャラクターがモチーフとなっている物が多いのですが、彼はそのマンガ、アニメ的表現を、ただ絵として表すだけでなく、伝統的な日本の文化や精神性と関係付けて、世界に発信したのです。ゆるキャラなどのキャラクター文化は、八百万の神々がいるという、日本のアニミズム的な精神性から来ているとか、二次元的で形式化したマンガアニメ表現は、浮世絵や日本画の手法を踏襲しているなど、日本のサブカルチャーがただの娯楽ではなく、世界に対して先進的で高度な文化なんだ!だからそれを踏まえた自分の表現は「芸術」なんだ!という主張を、作品とともにきちんとした論理で説明したのです。

それが海外へ乗り込んで行って認められた結果、彼の作品は、「アニメキャラっぽいイラスト」ではなく、「日本の美術史を継承する新しい表現」として、芸術の世界では価値ある物と見なされる様になったのです。

ところで、「旅する家」が「芸術」であるのか?という事については、今のところは「表現」から「芸術」へ移行中の段階かなと僕自身は思っています。「表現」であることは確かなのですが、「美術史」への接続としては、まだまだ続けて活動を充実させていかないと弱いかなと思います。

また、その半面で「旅する家」の活動をそもそも「芸術」にして良いものか?そうする事は最初に始まった時の気持ちとは関係ないものじゃないのか?という思いも正直あります。「芸術」じゃなくたって、おもしろい「表現」はたくさんあって、そんな「表現」で今日もyoutubeやSNSはあふれています。

しかし、「芸術」とは関係なく、とにかく自分たちで面白いと思うことをすればいいのでは?と思いながらも、僕自身がやはりアーティストである限り、自分の活動がたとえ「芸術」じゃないところに向かっていったとしても、それはそれでやはり「芸術」との関係性、「芸術」の側からの見られ方については、ちゃんと説明をすべきだと考えているので、ここからは、まだ判断が未定の「旅する家」を「芸術」だと仮定して、話を続けていきたいと思います。

では、「旅する家」が「芸術」だとみなされるならば、「美術史」のどこの部分に接続出来そうなのかを、次に話していきたいと思います。

*「美術」「芸術」「アート」呼び方の区別についてはいろいろあるので、今回は3つをほぼ同義として扱い、基本的に「芸術」で統一して文章を書いていますが、「芸術史」や「日本芸術」という言い方は一般的でないので、「美術史」「日本美術」という記載になっています。

参考リンク:村上隆 http://gallery-kaikaikiki.com/category/artists/takashi_murakami/works_takashi_murakami/

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