「旅する家」とは何か 10
10 「旅する家」はどんな活動なのか
「アートプロジェクト」には、様々な進行の仕方がありますが、私の行うプロジェクトには以下のような特徴があります。
1、<場と関係> 活動が行われている場所とそこに関係する人とのつながりをもつ
2、<出来事>活動の本質は、物、人、時の関係の中に現れる出来事の中にある。
3、<新たな価値> まだ見たことのないものを生み出す。
1と2については、「美術史」のところで説明したように、「アートプロジェクト」が「場」と「関係性」に注目した美術史の流れから生まれてきたことを考慮すると、分かりやすいでしょう。外から来たアーティストが、ただアイディアを持ち込んで、その実現に協力してもらうことはあまり良い結果を生みません。なぜその場で行う意味があるのか、活動場所の背景や歴史、風土などを考慮して、そこで出会った参加者と、どんな関係性を持って行くのかということを考えて、プロジェクトを進行させて行きます。
「旅する家」でミーティングを執拗に行ったのは、この関係性をどう作って行くかが重要なため、ただ僕の意向を押し通すのではなく、参加者からどんな発想や興味が出てくるのかを見たかったからです。またその中から、「表現の種」になりそうな物を探していたからというのもあります。
2について、活動の中では、シンボルとなるような物を作ってゆくことが多いのですが、それそのものが本質ではないということです。今回はそれが「旅する家」という建造物でしたが、それはシンボルであり、場であり、活動そのものではありません。この活動の本質は、「旅する家」があることで生まれてくる出来事にこそあります。
私はよくこのような活動を「お祭り」を例に説明します。お祭りというのは、形のない出来事です。神社などの場、お神輿、出店、参加する人たちなど、お祭りを構成する様々な要素は目に見えるものですが、それは、お祭りという目に見えない出来事(もっというと神様)を見えるようにするための依代(よりしろ)で、一番大切なのは、そこに宿る目に見えない力や存在に向かう気持ちや状態です。
普段は感じられないような心の動きを、その場に呼び寄せるために、お祭りがあり、それを分かりやすく伝えるために、神輿などのメディア(語源はメディウム=媒介するもの)があるのです。芸術作品もまた、日常では感じられない、大きく心が動くような感動を呼び寄せるための依代なのだと思います。
3については、この活動がなぜ「芸術」となるのか、ということに関係しています。「現代美術」は様々な分野とのコラボレーションによって、他のジャンルとの境界が曖昧になってしまったことは、以前述べましたが、「旅する家」のようなプロジェクトも、作った家を地域住人の憩いの場として解放したり、モバイルハウスとして宣伝したりすることで、進め方によっては「芸術」ではなく「社会福祉」や「ライフスタイルデザイン」など、別ジャンルの物になってしまう可能性があります。
それはそれで悪いことではないのですが、私自身はあくまでこの活動を「芸術」に向かう「表現」として行っていきたいのです。では、そのためには何が必要なのか、それが「まだ見た事のないものを生み出す」ということなのです。これまでの枠組みとは異なった関係や、価値を生み出すことが、「表現」となり、この活動が「芸術」を志向するための手がかりとなります。
しかし、「表現」を説明した時に書いたように、「まだみたことないもの」も、それ自体が独立して存在するわけではなく、今現在の場にある枠組みを見つめ直すことで、その輪郭が見えてくるものです。常陸太田の現在の場にある枠組み、それは歴史や風土、そしてそこに今生きている人々の生活です。家を作っていく中で、「上棟式」がその「表現」のベースになっていったように、場に生まれた要素をどのように捉え、そこから発見した表現の種をどのように自分たちのものとして、新たに表出して行くかが「旅する家」の「表現」となります。
「表現」「表現」と、なぜ、わたしが「表現」にこだわるのか。それは、その力がこれからの時代に大変重要になるからだと感じているからです。
「旅する家」は、「面白い事がしたい」という言葉が発端で始まりました。では、「面白いこと」とは何でしょうか。思い返してみれば、私自身も芸術の世界に足を踏み入れたのは、自分にとって最上の「面白いもの」を探すためだったような気もします。10年ほどこの世界でいろんな事をやってきましたが、どうやら「面白いもの」それ自体が存在しているわけではないという事がわかってきました。
いや、でも安心してください。「面白いもの」それ自体があるわけではないのですが、面白いと感じられる心があれば、全てのものが面白くなる可能性を秘めているという事も同時にわかってきたのです。
多種多様で質の高い娯楽や文化、また生き方の選択肢で溢れている私たちの国は、本来なら面白いことで溢れていて、人は自分の生きたいように生きる可能性と自由を得ているはずです。それなのに「何がしたいかよくわからない」「面白いことがない」という声もよく耳にします。社会から提供される莫大な数の「面白い事」と、それを選ぶ選択肢により、かえって豊かさや価値が、見出しにくい世の中になっているのかもしれません。
そんな中で必要になってくるのが、自分にとって面白くなりそうなものを世界から見出し、それを自らの手で面白くしてゆく力です。複雑な環境の中で自分のやりたい事を見つけ、それを実現してゆく力は、自分でどう生きて行くかを選択してゆく力であり、それぞれの生き方を豊かにする力でもあります。これは子供達だけでなく、これからを生きる全ての人に必要となる力です。
そのような力を、学び、応用する方法が「表現」であり、その実践の場が「芸術」であると私は考えます。「アートプロジェクト」のように、「芸術」が社会とリンクする役割は、教養やセンスの向上のためではなく、この「表現」する事の必要性を実践によって伝えて行く事ではないかと思います。
ネットを始めとした技術革新によって、10年前とは比べものにならないくらい、いろんな事が技術的、コスト的に簡単にできるような世の中になり、それぞれの「表現」の能力が高まれば、誰もが自分のやりたい事をよりおもしろく実現できる世界になってゆくのではないかと思います。そんな世の中を豊かに生きるための練習台として、「旅する家」のプロジェクトが機能すればと考えています。