2.予約
「じゃあ私が通っている歯医者に行ってみようか?」
「うん」
「自分で電話してみる?」
「…お願いしてもいい?」
もちろん、想定内だ。この10年歯医者に行けなかった人にとって歯医者へ電話することがどんなに難関か、それくらい分かる。そして10年越しの決意が如何に柔らかく脆いものかも。この決意は非常に繊細なのだ。ギリギリの気持ちの上でどうにかこうにか宣言したのだろう。ともすれば、やっぱりやめたと布団の中に閉じこもってしまう可能性だって大いにある。
30をとっくに過ぎた大の大人が歯医者への予約も自分でできないなんて。などと哀れんでいる場合ではない。とにかく大事に大事に、今私の掌の上に回ってきたデリケートな決意を落とさないように、かつ迅速に、携帯を持って別の部屋に移動した。
行きつけの歯医者へ電話を掛ける。新規の予約を告げるが、お盆明けの歯医者は混んでいるようだった。最速で2週間後だと言う。できるだけ間を空けたくは無かったが、仕方がない。患者の名前を聞かれ「私ではないんですけど」と前置きをして夫の名前を告げた。続けて年齢を言った時、ほんの一瞬だけ相手の動揺が受けて取れた。おそらく子供の予約だと思ったのだろう。妻が夫の歯医者の予約をするなんて、どのくらいいるのだろう?ここで夫の歯医者嫌いを話しておくべきだろうか?予約の時点で話しておけば、歯医者側が何かしらの配慮をしてくれるかもしれない。しかし、迷った挙句、何も触れずに予約だけで電話を切った。
妻が予約をしてきた時点で、向こうにもそれとなく伝わっているはずだ。
(続く)