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シンデレラの策略3

その日の夜、エラはなかなか寝つけなかった。一日中働きづめで体は疲れているが、明日街に行くことを考えると緊張して目が冴えてしまうのだ。

エラは生まれてこの方、一人で街に行ったことがない。小さい頃に両親と訪れたことは何度もあるが、御者や侍女が一緒だったし、街の中でも貴族達が集まるような場所しか足を運んだことがなかった。

自分にできるのがろうか。そんな不安が頭をもたげ始める。しかしエラは同時に、今までにない高揚感も感じていた。何かが起きそうな気がする。そんな期待めいた予感が彼女の不安で押しつぶされそうな心を励ました。

エラは硬いベッドから抜け出して、窓の外を見た。爪のような形をした月が暗い空を照らしている。星はなく、遠くでフクロウが鳴いていた。

窓枠にもたれて夜空をぼんやり眺めているうちに、エラは僅かな話し声に気が付いた。話し声はエラの部屋のすぐ近く、外から聞こえてくる。窓ガラスに耳をつけて聞いてみると、どうやら夫人と聞いたことのない男が何か言い争っているようだった。

『本当にやるんですかい?見つかったら、ただじゃぁ済まないって話ですよ』

『うるさいわね。見つからなければいい話でしょ!あの子さえいなくなれば、この屋敷は私のものになるのよ。それに、あの子が高値で売れればアンタの取り分だって多くなるわ』

『そりゃあそうですが。気が進まねぇなぁ…若ぇ貴族の娘さんを売っぱらっちまうなんて』

『ふん。何が貴族の娘よ。今はただのメイドに過ぎないわ』

エラの身体は凍りついたように動かなくなった。夫人の言う「あの子」とは、自分のことに違いない。夫人がこの屋敷を手に入れるために、私はどこかへ売られてしまうのだ!冷酷な人だとは思っていたが、まさかここまでするなんて。

エラは硬直した足をなんとか動かして、そっと窓から離れた。こうしてはいられない。何か手を打たないと!

窓の外から差すわずかな月明かりを頼りに、エラは部屋の扉まで辿り着き廊下へと出た。今、この屋敷で信頼できるのはギルバートただ一人だ。一刻も早く彼にこのことを知らせて、力を貸してもらわなければ。エラは恐怖と焦りでドクドクと鳴る心臓を必死に落ち着けながら、真っ暗な廊下をなるべく足音を立てないように進んだ。

ようやくギルバートの部屋がある1階に来たとき、エラは心底ほっとした。あの角を曲がれば、直に彼の部屋に着く。

しかし安心したのもつかの間、後ろから人の気配がした。振り向くと、ロウソクの光が壁に反射している。エラはすぐに階段の下に身を隠したが、光はどんどん大きくなっていく。もしかしたら男と夫人は階段を上って、エラの部屋に向かっているのかもしれない。エラは震える身体を抱きしめて息を殺した。

―どうしよう。このままじゃ見つかってしまう。そうしたら私は売られて、2度とこの屋敷に戻ってくることができないかもしれない。そんなの、絶対に嫌だわ!

そのとき、エラは胸元に違和感を感じた。寝間着の上から触ってみると、何かが指に当たっている。小さくて金属のように硬く、丸いもの…コインだ!
エラは迷うことなく、コインを空中に向かって投げた。そしてそれは、派手な音をたてて壁に当たり、床に落ちた。

ロウソクの光が大きくなるのを止め、足音が止まる。時が止まったかのように、長い一瞬が流れた。しかしエラの期待も空しく、ただ時が止まったように感じただけで、それ以外は何も起きなかった。

「そこにいるのは誰?」

夫人の声が、暗闇から響いた。それはエラに無理難題を押し付けるときに発せられる、命令することに慣れた者の威圧的な声だった。

エラは恐怖した。

「出ていらっしゃい」

夫人の声がすぐそばまでやって来ている。万事休す―そう思ったとき、エラの背後、夫人たちがいる位置とは反対の方から声がした。

「奥様」

その声はエラの良く知っている人物の声だった―ギルバートだ!

「あら、ギルバートだったの」

夫人の声色はすぐさま、媚びるようなものになった。

「物音がしたので見に来たのですが、こんな夜中に何をなさっているのですか?」

ギルバートは夫人を見据えてから、視線を夫人から隣の男に移した。可哀そうに男はおどおどして今にも泣きそうだ。

「ちょっとした用事があって、この男に使いを頼んでいたの。どうしても今日中に片付けておきたいことだったから。ねえ、そうよね?」

「へっ、へえ…」

「無理をして来てもらったのだけれど、もう済んだからいいわ。さ、早くお帰りなさい」

夫人は半ば急き立てるように男を玄関へと追いやり、男はこれ幸いと一目散に館から出て行った。

男が出て行ったあと、ギルバートは夫人に丁寧に尋ねた。

「奥様、差し支えなければその用事について詳しく伺いたいのですが」

口調はいつもと変わらないが、その目は獲物を逃すまいとする動物のように鋭い。

「女性にはね、男性には知られたくないことがたくさんあるのよ」

「私には話せない内容ということでしょうか?」

「うふふ、まあ、そうねえ。秘密は女の魅力の一つだって、あなたぐらい素敵な男性なら、理解してくれるわよね?さあ、夜も遅いし、私はもう寝るわ」

そう言って夫人はエラが隠れている方とは別の階段を上って、寝室へと向かって行った。夫人の姿が見えなくなると、エラは階段の下からそっと出てギルバートに対峙した。

「お嬢様、大丈夫ですか?」

ギルバートの気遣わし気な顔を見て、エラは身体から力が抜けるのを感じた。自分はギリギリのところで窮地から脱したのだ!鳥は来なかったが、ギルバートが来てくれて助かった。彼が物音に気付かなかったから、私は今頃どうなっていたことだろう。そう考えると、エラは背中がスッと寒くなるような心地がして身震いをした。

「一時はどうなることかと思ったわ。でも、お前が偶然来てくれて助かりました」

「偶然ではありません。お嬢様はコインを投げられたでしょう?」

ギルバートは床に転がったコインを拾って、エラに差し出した。

「これを渡したとき、私は鳥が助けに来ると申し上げましたが、正確には鳥になった私が駆け付けるという意味だったのです。その方が遠い場所にお嬢様がいらっしゃっても、早いですから」

それを聞いてエラは驚いたが、なるほど魔法使いなのだから鳥に変身することも可能なのだろう、とすぐに納得した。それよりも、極度の緊張のせいで心も体も疲れ果てており、ギルバートの言葉の意味を深く考える余裕がなかったのである。

その日の夜は遅いこともあり、翌日夫人の件について詳しく話すとギルバートに伝え、エラは自室へと引き上げて行った。その後ろ姿を、ギルバートは長い間見つめていた。

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蒼樹唯恭
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