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野菜スープは母の味

「ちょっと、やめてよ!そんなの写真に撮るの」  

母の三奈子は包丁を洗う手を休めないまま、大きく首を後ろに曲げた。

テーブルにはすでに、スープを注がれたお椀が人数分並べられている。

私はおにぎりと卵焼き、ウインナーの載った大皿をテーブルの中央に置くと携帯を手にスープに近付いた。

土曜日の昼。

食事を自宅でとるときはいつも、母があり合わせのもので簡単に食べるものを作ってくれる。

「いいじゃん。加工するから大丈夫」

私は携帯のカメラを起動したままアングルを変え、もう一度シャッターを押した。

上から撮ると自分の手と携帯の影が写りこんでしまって、よくない。

かといって、写したいものと同じ高さで斜めから撮るのもイタダケナイ。

後ろにあるテレビやら干しっぱなしの洗濯物、隅に追いやられた雑誌の山が写ってしまうからだ。

いくら後で加工するといっても、ある程度「いい感じ」に「切り取ら」なければいけない。

たかが写真。

されど写真。

生活感が丸出しでは、良い評価を受けにくい。

しかし、作り込み過ぎてもいけ好かない印象をあたえてしまう。

あくまでも、「自然に」見える範囲にしなければいけないのだ。

『自然光を上手く利用したり、白い壁を背景に使うと簡単にオシャレな写真が撮れますよ』

以前見た人気インスタグラマーの動画を思い出す。

白い壁を探してあたりを見回した私は、肩を落とした。

長年空気にさらされて黄ばんでしまった、元は白かったであろう壁。

ところどころに穴の開いた網戸。

極めつけは、キラキラのシールが所狭しと貼られた椅子だ。

「加工にも限度があるからな…」

私の呟きに母が目ざとく反応する。

「だから言ったじゃない。もっとご馳走のときに撮ってよ」

「そういう問題でもないんだけど」

「何が問題なの」

「…」

「味は良いわよ」

母が指さしたお椀には、みじん切りにした野菜が透明なスープと一緒に入っていた。

にんじん、玉ねぎ、エリンギ、それから薄いベーコン。

全部、冷蔵庫にあった余りもの。

『三奈子の愛情スープ』と母が名付けたそれは、ちょっと塩コショウが効きすぎていることを除けばなんの変哲もない、ただのコンソメスープだ。

我が家では定番の料理であり、一口すすればおなじみの味が口いっぱいに広がる。

決して写真映えするようなオシャレな料理ではない。

しかし母の愛情がたっぷり詰まったスープ。

「おいしいよ、三奈子さん」

私は携帯を伏せて、お椀に残ったスープを飲み干した。

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蒼樹唯恭
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