見出し画像

かぐや姫の憂うつ(短編小説)

これは、ありえたかもしれない「かぐや姫」のお話。
人間の男の精子を得るため、月から地球にやって来たM-10009。彼女は竹取を生業とする老爺に、竹の中から発見される。老爺は彼女を家に連れ帰り、
かぐやと名付けて大切に育てた。
かぐやは美しく成長し、彼女を育てた老爺と老婆の家は大変豊かになった。多くの男たちがかぐやに求婚を申し込んだが、彼女は全てを断る。彼女には「優秀な」遺伝子を持つ男を探し出し、その遺伝子を月に待ち帰るという任務があった。
条件を満たす男を探す過程で、帝に出会い心を通い合わせるが、結局、妻にはならず月へ帰る。
彼女が本当に愛していたのは、ずっと自分に仕え続けてくれたヨウだった。

あらすじ

1:地球へ

ピピッ、ピ…ピピ…ピ…ッ…ブーブーブー。
ジ、ジジ、ジジジッ…ジジッ…ジジ…。
『▶‘$))~!』
『=|%&””・>>』
目の前の画面に次々と記号が表示される。
『%・>*+」「α』
通信時間は限られている。本部への報告は簡潔、かつ的確にしなければならない。
「目的地に到着。地球、海に囲まれた島国。固有植物である『タケ(竹)』が密集する地域。現在、タケの中で待機中」
「この後『ニンゲン(人間)』と接触し、任務に移る。任務遂行後、月に帰還。任務の期間(予定)は○○」
『Oー「:』と画面に表示されるのを確認した後、M-10009は目を閉じた。


2:かぐや姫の任務

目が覚めたとき、M-10009は人間の手の中にいた。
人間は、M-10009を手のひらに収められるほど大きい。その理由は、M-10009がタケに入るために、あえて小さくなったからだ。なぜ竹に入ったのかというと、目の前にいる人間に自分を見つけてもらうためだ。
竹を取って生活するこの人間が、地球におけるM-10009の『ヨウイクシャ(養育者)』になることは、事前調査の段階で決まっていた。
M-10009はすぐに彼の住居に連れ帰られ、「かぐや」と名付けられた。

数日後。
かぐやは、目の前で自分の世話をする人間をまじまじと見た。
この人間は、全身から水を搾り取られたかのような外見をしている。骨と皮だけで出来ていると言っても差し支えないだろう。
月に住まう者(月人)と人間の外見はよく似ているが、月人にこのような容貌の者は存在しない。そうした人間をここでは『ロウジン(老人)』と呼ぶらしい(月人は皆、人間で言う十~二十代ぐらいの外見をしている)。かぐやは、隣にいるもう一人の人間に視線を移した。
最初の人間と似ているが、よく見ると体の細かな作りが異なっている。
その違いは『セイベツ(性別)』に由来し、それぞれの特徴を有する個体を『オトコ(男)』『オンナ(女)』と呼び分けていると、月に来る前に学んだ。
人間は、ある一定の年齢に達すると、男と女で契りを結び『フウフ(夫婦)』になる。事前調査によると、目の前にいる二人の老人は『コドモ(子ども)』のいない夫婦らしい。

この夫婦の子どもとして暮らし、人間の男だけが持つという『セイシ(精子)』を持ち帰ることが、かぐやの任務である。
なぜなら、月には男が存在しないからだ。いるのは女だけ。
しかし、女だけで子孫を残すことは無理である。そのため、定期的に外部から精子をもらってくる必要があるのだ。
つまり、今回の任務遂行には、月人の生存がかかっている。
かぐやは心の中で「早く大きくならなきゃ」と呟いた。


3:ひっきりなしの求婚

数ヶ月後、かぐやは文字通り大きくなっていた。人間の手のひらサイズから、背丈は平均的な子どもと同じぐらいだ。
かぐやを育てた夫婦はその成長の早さに驚いたが、長く子どもがいなかったこともあり、彼女を大切に育てた。
かぐやの入っていた竹の周りからは、『オカネ(お金)』がザクザク出てきた。
夫婦の住む地域では、お金があれば様々なものが手に入り、多くの人間を意のままに動かすことができる。夫婦はお金で得た豊かさを、全てかぐやに注いだ。 
もう数カ月後には、かぐやは美しい女へと成長していた。「まるでこの世のものとは思えない」そう称賛される度、かぐやは肝を冷やした。
彼女の評判がパッと世の中に広がる頃には、夫婦は『キゾク(貴族)』になって立派な御殿を持ち、より多くの人間を働かせるようになった。

山の向こうに、夕日が沈む。
かぐやは橙色の光を全身に浴びて、次々訪れる来客に対応していた。
かぐやが住む御殿は、この島国特有の造りになっており、柱はあっても壁がない。天井は低く、部屋は広く、間仕切りは『ミス(御簾)』や『キチョウ(几帳)』、『ビョウブ(屏風)』といったものでされる。
今、かぐやが座る場所も、御簾という大きな布のようなもので、来訪者から隠されていた。
かぐやはあくびをかみ殺して、側仕えの少年に尋ねた。
少年はヨウと言って、実際は青年と言っていいほどの年齢だ。幼く見えるが、しっかりした性格で、いつも彼女の手足として忠実に働いていた。
「ヨウ、外の様子は?」
「あと、お一人です」
それを聞いて、かぐやは大きくため息をついた。
頼みもしないのに、毎日、様々な人間(特に男)がかぐやに会いに来る。自ら動かずとも男がやって来るのは助かるが、数が多すぎる。任務のためだと自分に言い聞かせてみても、連日こんな状態であったから、かぐやはほとほと疲れていた。
「…別の日にしてもらえるよう、お願いしますか?」
かぐやは両方の目頭を強く揉んだ。
「いいえ、いいわ。通して」
ヨウは頷き、別室で待つ来客を呼びに行った。

新しく入ってきた男は、きらびやかな衣服を着て、腰に見事な飾りをつけていた。しかし、身体の線が細く、完全に服に着られている。男の顔にはやつれ、目だけが爛々と光っていた。
「はっ、はじめ、まして…私、骨皮君(ほねかわのきみ)と申します…っ。あなたのような、うっ、美しい人に、おあいできて…こっ、光栄で…!」
最後は言葉にならず、消えた。
紅潮する顔を簾越しに見て、かぐやは2度目のため息をついた。この男では確実にない、と言い切れる。
かぐやに直接会えるのは、貴族の中でも高位のものに限られる。竹から出た多くのお金が、夫婦に貴族という身分だけでなく、大きな権力も与えたからだ(もちろん、お金はかぐやの同僚である月人が仕込んだものである)。
多くの貴族の男に会いながら、かぐやは焦っていた。どの男も彼女の求める条件を満たさないものばかりだったからだ。
月人が持ち帰るものは、精子であれば良いわけでは決してない。「優秀な」遺伝子を持った精子でなければいけないのだ。
かぐやが会ってきた貴族の男たちは学識は高いが、「優秀」とは言えず、傲慢で、あしらうのが大変だった。
目の前にいる骨皮君もご多分に漏れず、である。
家柄は申し分ないし、裕福。他の貴族たちに比べて傲慢ではない、と言えなくもない。しかし、身体が弱いことが、かぐやにとっては致命的だった。
体つきや肌の状態から判断して、骨皮君はいくつかの病気を併せ持っている。それもおそらく先天的に。だから、遺伝子を得たとしても、丈夫な個体に育つ可能性は低いのだ。結果的に「優秀」とは言えない。
計画上、精子を有するオトコが健康であることは、必須の条件だ。
計画―月人救済計画を成功させるためには、貴族以外の男も対象範囲に入れる必要があるだろう。
かぐやはパチンッと扇子を閉じると、御簾の向うで控えているヨウに視線を送った。
骨皮君は緊張のためか、そのやり取りに気づかず、顔を真赤にして話続ける。
「御簾越しではありますがっ、あなたの、ひっ光り輝く、美しさは…ま、まぶしいばかり。しかし、少しでも、お顔を見せていただけたら…!」
勇気を振り絞る、細い身体に力が入り、それを包む服が大きく揺れる。
「まあ、私よりもまぶしいものは、他にもありますわ」
「は、はぁ…でっですが…」
食い下がる骨皮君に、かぐやは言った。
会う、つまり、女が御簾越しではなく顔を見せるということは、貴族の世界では『結婚(ケッコン)』を意味する。結婚は、自分たちの一族を繁栄させる目的で、男女それぞれが一族の代表として行うものだ。
そして通常、貴族の女は家族や結婚相手以外の男に(御簾越しなどは除いて)姿を見せない。
「そうだ、雷!天を裂くように輝く、雷を私にくださいな。そうすればお会いしましょう」
「しかし、雷を持ち帰るなど…」
かぐや姫は「お待ちしていますわ」と一言告げると、なおも言い募ろうとする骨皮君を残して、立ち上がり部屋を出て行った。


4:狙いは大物

「もう少し、お優しくしては?あまり冷淡過ぎると、姫様が恨まれます」
ヨウは控えめに、自分の主であるかぐやに進言した。
「優しくって、どうやって?」
「雷を持って来いなどと、無理難題なことを言わないだけでも、十分かと」
「ふん。そんな態度で、あの傲慢な奴らが引くとは思えないわ。恥をかく前に、さっさと諦めなさいと親切に教えてあげているのよ」
「しかし、以前いらした本虫君(ほんむしのきみ)は、本当に、うどんげの花を探しに行ったらしいですよ」
「あら、まあ。バカだとは思ってたけど、本当にバカだったのね。勉強ばかりして実地が足りないお坊ちゃんには、ちょうど良いんじゃない。あの花は、海の向うにある大きな大陸に咲くらしいから、船旅でもして経験を積んだら」
「姫様…」
ヨウは呆れて口をつぐんだ。
「それより、例の件はどう?」
かぐやは、今朝来たばかりの手紙をつまみながら、ヨウに問うた。
手紙の内容は見なくても分かる。送り主は、脛齧君(すねかじりのきみ)。父親は政界の重鎮、母親は先帝の娘という、貴族の中でもかなりの高位に位置する。上に兄が2人いるため背負う責任もしがらみもなく、成人を迎えて随分経つが専ら遊んで暮らしているという噂だ。結婚もしていないため、大方、家族にそろそろ身を固めろとでも言われたのだろう。
かぐやは、つまんだ手紙をそのまま屑籠に放り投げようとした。
「姫様!いくら何でも、それはいけません。脛齧君は、竹取家よりも高位。あとで困るのは、大主様や奥方様ですよ」
「…分かったわよ」
かぐやは、渋々、手紙を文机の上に戻した。主様や奥様─育ての親のことになると、かぐやは弱い。
もちろん、ヨウも彼らには絶対の忠誠を誓っている。しかし、ヨウが真に仕えているのは、かぐやだけだ。
ヨウは大火事の中、かぐや達の手により助け出された。
彼はもともと孤児だ。ある寺で他の孤児たちと一緒に保護されていたところ、その寺が家事になり、偶然通りかかったかぐや達に助け出されたのだ。
かぐやがヨウと初めて会ったとき、彼は燃え盛る寺から死に物狂いで逃げ出して、地面にうずくまっていた。全身火傷だらけのヨウと目が合ったとき、かぐやは直感で彼を助けることを決め、ヨウもまた、その日から彼女だけに仕えることを決めた。
ヨウは文机に向かうかぐやの背中に向かって言った。
「例の件ですが、順調です。なにしろ、姫様の美しさは世に知れ渡っております。帝の耳に届くのも、時間の問題かと」
「そう」
かぐやは大きく開かれた御簾の隙間から外を見た。
『ミカド(帝)』は、かぐやたちが住む島国を統べる王である。
今の帝は、大層女にモテると聞く。齢は30歳前後、見目麗しく文武両道。そんな男であれば、女や女の両親が放っておくはずがない。
唯一の欠点は、後継ぎがいないことだ。現在いる子どもは二人、どちらも女である。それぞれ、正室と側室の子ではあるが、この国では原則、女に継承権はない。
「帝はまだ若いけれど、周囲は焦りを感じ始めているはずよ。先ごろも、北の地域で反乱が起きたというし、後継ぎを作っておくのは早ければ早いほど良い」
「ええ。噂によると、正室と側室のあいだで激しい応酬が繰り広げられているとのこと。帝はそれに嫌気が差して、最近はあまりお二人のもとを訪れないと聞いています」
「まぁ、好機ね」
かぐやは上機嫌に答えた。
「男はいがみ合う女を好まない。そんなこと、なぜ同じ人間同士で分からないのかしら?」
かぐやは心底、不思議そうに呟いた。
「同じだからこそ、分からないのではないのでしょうか。あるいは、分ろうとしていないだけなのかもしれません」 
「私は部外者だからこそ、分かるということね。自分とは違う者を理解しようとする姿勢があるのでしょう」
「…そういった発言は、外ではお控えください」
ヨウはかぐやが人間ではなく、月から来た月人と呼ばれる者だと知っている。もちろん来訪の目的も。
「はいはい」
かぐやはおざなりに頷くと、ヨウを部屋から出した。


5:感じる視線

ヨウが部屋を出た後、かぐやは再び床に体を投げ出した。『ジュウニヒトエ(十二単)』という服は、肩がこる。
着ている衣を上から順に無造作に脱ぎ捨て、肌着だけになってから、やっと目をつぶった。
遠くでカラスの声が聞こえる。畳の継ぎ目が、肌着越しに伝わって気持ちいい。
「ああ、幸せ」
貴族の令嬢が一人になれる時間は、あまりない。かぐやは深呼吸して、貴重な時間を味わった。
部屋の外には色とりどりの花が咲き、彼女の目を楽しませた。今は紫陽花が美しい季節だ。二週間もすれば、朝顔が咲き誇るようになるだろう。
かぐやの部屋から見える庭には、彼女が家にいても季節を楽しめるようにと、老夫婦が様々な花や木を植えていた。
かぐやがまだ子どもであったときは、自由に外を出歩くこともできたし、ヨウと共に山を駆け回ることもできた。しかし、大人になり、かぐやの美しさが増すにつれ、自由は奪われていったのだ。
かぐやはそのことに、月では感じたことのない感情―切なさや寂しさ―を感じている。
あのまま、ヨウとともに兄弟のように楽しく暮らせていたら、と考えることもあったが、任務の存在が彼女の心をいつも奮い立たせた。
かぐやたち月人は、千年に一度月から地球へと降り立ち、人間の男と交わる。この月人救済計画の任務に就けるのは、月人の中でも選ばれた者のみだ。
ふと、視線を感じてかぐやは花々の方に目を向けた。目を凝らすと、塀の向こうからこちらを覗く目がある。どうやら、壁には小さな穴が開いているらしい。
しまった、と思ったときには、もうその目は消えていた。


6:早すぎる知らせ

視線を感じてから数日後。
かぐやは自室で着替えをしていたとき、屏風の外からヨウの声を聞いた。
「大主様より伝言です。至急、姫様に伝えたいことがあると」
「…分かったわ。すぐ用意します」
かぐやの準備が終わるか終わらないかのうちに、御殿の主人である老爺が現れた。
「お父様、そんなに興奮されてどうされましたの」
「かぐや。大変だ!」
「大変って?」
「帝がそなたに、お会いされるということじゃ!」
かぐやは驚いた。帝がかぐやに会うという内容にではなく、その知らせがあまりにも早かったからである。かぐやの予想では、あと三カ月はかかる予定であった。
「そなたの評判が都で広まっているのは、求婚の多さで知っておったが、まさかここまでとは。本当に、なんと光栄なことだろう」
「お父様、詳しくお話を聞かせてくださいな」
老爺は出されたお茶を一気に飲み干すと、興奮気味に言葉を続けた。
「今しがた、朝廷から使者の方が来られてな。今度開かれる祭で、帝が輿に乗って都を見て回られる。その際に、このあばら家にお立ち寄りくださるとのことだ」
「まあ、満月祭のときに?」
満月祭は、年に数回、開かれる。夕方から夜にかけて行われ、満月を愛でながら人々はみな、食べたり、飲んだり、歌ったり、踊ったりするのだ。浮かれ騒ぎの隙に、こっそり想い人に会いに行く若者も多いと聞く。
しかし、今回の場合は「こっそり」とは言い難いだろう。
「帝は、公式に、我が家を訪れてくださるのですね?」
帝の輿は、嫌でも目を引く。昼間に使者を、しかも主である老爺宛によこしたことから考えても、公式な訪問であると考えざるを得ない。
「そうじゃ!だから、もし、そなたが気に入られたら…側室になれる!」
「側室、ですか」
「うん?どうした、かぐや?」
「いいえ。満月祭は、いつだったかしら?」
かぐやが問うと「3日後です」と、ヨウがすかさず答えた。
「すぐに準備をしなさい。帝がお相手なら、そなたでも拒否できないよ」
老爺は娘の顔色を窺うように言った。かぐやは父に心配をかけていることに心を痛めた。
「分かっていますわ」
かぐやは大人しく頷いて見せた。


7:作戦会議

「さあ、どうしたものかしら」
かぐやは父親がいなくなった部屋で、肌着に打掛というラフな格好になり、あぐらをかいた。
向かいに座るヨウは、思わず目を逸らした。
「予想より早いですが、首尾よく進んでいますね。これで、帝の側室になれれば、姫様の目的は達成されるではありませんか」
「そうとも言い切れないわ。帝が条件に適う男かどうか、私の目で見極めていないもの。もし条件に合わなければ、貴族以外の男からも探そうと思っていたのよ。それに」
「それに?」
「側室になるのはごめんだわ」
「…側室にならず、子が欲しいということですか?」
かぐやは頷く。
「側室なんてなったら、宮中に上がらなきゃならない。今より自由を奪われるじゃない」
ヨウは絶句した。帝の誘いを断るなんて、どうかしてる。この世にそんな女がいるなんて信じられない、と顔に書いてある。
無論、かぐやだって、そうした気持ちは分からないでもない。
この国に生まれた人間にとって、帝は天、神とも言える存在だ。そんな存在から誘いを受けたら、誰だってその手を取るに決まっている。
しかし、それはあくまでも人間の話であって、かぐやは月人なのだ。
「私は、あなたたちとは違う。私の道は、私が決めるの。帝に言われたからって、関係ないわ」
「…では、どうするおつもりですか?」
ヨウは絞り出したような声で問うた。
「側室には相応しくない、と思わせられればいいのではなくて?」
「というと」
「ものすっごい悪女を演じてみせるとか」
「今のままでも十分だと思いますが」
とんできた蹴りを受け止めてヨウは黙った。
「まぁ、正室か側室の親戚あたりに動いてもらうのが、ベストでしょうね。そうすれば、こちらがわざわざ断らなくてもいいもの」
ヨウは頷くと、立ち上がり屏風に手を掛けて止まった。
「目的を達成されたら、姫様はどうなさるのですか?」
「知りたい?」
「…いいえ。俺は、何があっても、あなたについていきます。あの火事のときから、俺の命は姫様と共にありますから」
「ふん。言うじゃない」
ヨウは笑って出て行った。
その後ろ姿を見送った後、かぐやは誰もいないことを確認し、床に寝転がった。
かぐやがヨウに自分の正体と地球に来た目的を話したとき、ヨウが彼女の話を信じるかどうか、自信はなかった。優秀な遺伝子を月に持ち帰るーこんな突拍子もないことを、誰が信じるだろうか。そう思ったから、かぐやもヨウに話すのを用心した。
しかし、ヨウは最初からかぐやの話を信じた。まるで疑うという選択肢は、最初からないようだった。何か裏があるのではと思ったが、数年近くにいてもそんな気配は全く感じない。本当に、命を救われた恩を返したい、と思っているようだった。
かぐやは、もう一つの可能性を考えていた。例えば、恋愛感情だ。
ここまで考えて、かぐやはこの場にいない相手に向かって呟いた。
「不毛よ、ヨウ」
かぐやたち月人には、恋愛感情というものが存在しない。喜怒哀楽といった感情はあるが、人間ほど強く複雑ではないのだ。
もし、かぐやがヨウに対して恋愛感情を抱けたとしたら、それは革命的なことだった。


8:噂の真偽

かぐやの父親が、帝から便りをもらう数日前。
「それで、どうだった?」
帝は待ちきれないと言わんばかりの表情で、腹違いの弟である花愛君(はなめづるきみ)に問うた。
花愛君は今日、帝の命で、あの美しいと名高いかぐや姫の御殿をお忍びで訪れていた。
「噂にたがわぬ美しさでございました」
「本当か?この世の噂ほど、信用できないものはない」
帝は用心深い。もともと慎重な質ではあるが、帝という位がそれを助長した。
「お前を疑っているわけではないが、娘の美しさは、親たちが良い縁談のためにと誇張して流すものだから」
「有難きお言葉。しかし、本当に、美しいお姿でいらっしゃいました。私がこの目でしかと見ましたから」
帝は満足した。わざわざ花愛君を使に出したのは、彼が数々の女性と浮名を流してきた色男だからだ。彼ほど女を知っているなら、きっとかぐや姫の噂が本当かどうか見極められるはずである。もちろん、その人となりも。
「黒く艶やかな長い髪に、透き通るような白い肌。壁の隙間から覗いたので、遠目ではありましたが、その姿はまるで天女のようでした」
「そなたが言うのなら、間違いはない。なにせそなたは、都一の色男だからな」
「ははは、恐縮です。ですが、あなたが恋敵になったら、私などかないません」
花愛君は美しい女に目がない。女の扱いも上手いから、求められることも多く、引く手あまた。結果、今や都中の美しい女性たちが、彼と関係を結んでいると言っても過言ではなかった。
一方、帝は政への関心が高く、色恋には疎い。正室や側室との関係は、あくまでも政の延長線上にある。
この正反対の性格を持つ二人は、兄弟ということもあり仲が良く、一緒にいることが多い。そのためか、花愛君の派手な女性関係が帝のものとして広まってしまったことに、本人は申し訳なさを感じていた。
そのため、帝の頼み事は出来る限り聞くようにしているのだ。
「それで、他に気になる事は?」
帝は本題を切り出した。
かぐや姫については、その美しさばかりが噂になっているが、結婚話はおろか浮名一つ聞かない。求婚した男たちに会って秘かに聞きだしたところ、彼女から到底不可能な結婚の条件を出されたと知った。これは、結婚する気がないとしか考えられない(男たちは自分の名誉のために、口を堅く閉ざしていたようだ)。
「ええ…」
花愛君は、どう事実を伝えるべきか迷った。貴族の令嬢が、肌着一枚で床に寝転がっていた、というのはあまり褒められたものではない。少なくとも、帝の側室にはふさわしくないだろう。
帝は今、難しい状況にいる。後継ぎがいないのだ。
しかし、帝は正直なところ、安心していた。
「私は、この好機を逃したくない。あの古狸どもを退けるためには、新しい勢力から次期帝を輩出する必要がある」
今の政治は、はっきり言って帝の力が弱い。正室や側室の親戚の力が強すぎるのだ。
「存じています。そのために、新興勢力である竹取家に白羽の矢を立てたのでしょう」
「ああ。表向きは、美人好きの私が、かぐや姫を見て一目ぼれしてしまった、だがな」
間違った噂も役に立つ、と帝は笑って付け加えた。
「新しい側室には、気骨のある者が欲しい。妻たちからの攻撃に耐え、私と一緒に戦ってもらわねば」
帝の言葉を聞いて、花愛君は決心した。そういうことであれば、言葉を選べば可能性はあるだろう。
「かのお方は、かなりくつろいだ様子で、薄着でお部屋におられました。侍女たちに聞いたところ、いつも部屋ではそのようなお姿だということです。誰の言うことも聞かないが、目上の者にこびへつらうことも、目下の者に横暴な態度をとることもないと」
「…お前、侍女とどんな関係だ」
花愛君は答えず笑った。
「かなり変わった娘ではあるようだな」
「はい。しかし、普通のご令嬢ではあなたの相棒は務まりません」
「確かにな…」
帝は少し考えた後、立ち上がって空にかかる月を見上げた。
「面白そうだ。会ってみるか」


9:満月祭

帝からの便りを受けて三日後、満月祭。
ヨウは部屋の外で、かぐやの支度を待っていた。
ヨウかぐやと出会って、もう三年近くになる。出会った当時、かぐやは四、五歳ほどに見えた。しかし、たった数年でかぐやはみるみる成長した。今は立派な大人の女性にしか見えない。
この家に仕えるようになってから、ヨウは目の前で起こった「奇跡」を淡々と受け入れてきた。かぐやの異常な成長スピード、大主人である老爺が竹を切る度に湧いてくるお金、竹取家が簡単に手にした貴族という地位―それらは全て、かぐや自身が起こした奇跡だとヨウは信じていた。
火事で全てを失ったあの日、死にゆく自分に救いの手を差し伸べてくれた少女を見て、天女が迎えに来たと思った。実際、死にはしなかったが、後に主人になったかぐやを天女だと思った自分の直感は、間違っていないと思う。
「ヨウ」という名前もかぐやから貰った。名前の意味は知らない。確かなのは、この名前を貰ったときから、自分がかぐやのものだということだ。
彼女が名前を呼び続けてくれる限り、自分は傍にいられる。それこそが、奇跡。
ヨウにとって、かぐやは空に浮かぶ月のように、どれだけ傍にいても手が届かない存在だった。

部屋の中からかぐやに呼ばれ入った瞬間、ヨウは息が止まるかと思った。
そこには、いつもとは違う装いのかぐやがいた。
かぐやはきらめく糸で織られた着物を身にまとい、部屋の中央に立っている。その姿はまるで、月の使いのように儚く、美しい。
ヨウはしばらく言葉を失った。
「見惚れてないで、手伝ってちょうだい。この着物、すごく重いのよ。月の宮に行くまで、裾を持って」
かぐやは、紅のひかれた唇を尖らせた。
出会った頃は自分よりも幼かった少女が、いつの間にか年上の美しい女性になっている。
ヨウは戸惑いながら、彼女の着物の裾を持ち上げた。
「お母様が気合を入れて用意してくれたのだけど、正直、重すぎるわ。重ね過ぎて脱がせにくいし」
「…今日は顔合わせだけなので、問題ないのでは?」
ヨウは目を伏せた。心がざわつく。
「何が起こるかなんて、分からない。でしょ?」
かぐやは事も無げに言って、歩き始める。
ヨウはその後ろ姿を見つめながら、黙って歩いた。

月の宮は、かぐやの父が急いで用意させた、東屋のようなものだ。
かぐや達が住む御殿は、もともと別の貴族から譲り受けたものである。譲り受けた当時、この建物は打ち捨てられたようになっていた。どうやら、先代が大陸の文化に凝って作らせたが、後を継いだ当代(かぐや達に御殿を譲った本人)の趣味に合わなかったらしい。
そのボロボロの建物を三日で修繕し、帝を迎えるだけの体裁を整えたのだから、老爺の並々ならぬ気合が見て取れる。
かぐやは月の宮に入り、暗くなっていく茜空を見つめた。御殿の外から、祭囃子の賑やかな声が聞こえて来る。月の宮は奥まった庭の端にあったから、声は届きにくかったが、それでも高い笛の音や人々のざわめきは風に乗って感じられた。
空に白い月が姿を現す。それが、満月祭の始まりの合図だ。
長い夏の夜が始まる。


10:月の宮

ざわめきが一層大きくなった。そして、静寂。同時に、門を叩く音が御殿中に響いた。
月の宮に一人座るかぐやも、その音を聞いた。
折しも、空の色が濃くなる頃。黄昏時は終わりを迎えつつあった。
かぐやは頭から被った薄い布を被り直した。
布は細い糸で織られた特注品で、光を受けるときらきら輝く。月の光が地上に届く頃には、神秘的に見えることだろう。かぐやは心の中で父親に感謝した。同時に、この布にいくら使ったののだろうか、という疑問を紺色に染まった空に放り投げた。
しばらくして、衣擦れの音がした。音は、だんだん近づいてくる。
かぐやは座ったまま、頭を垂れた。
男用の靴が視界に現れる。想像よりも、質素だ。
「頭を上げよ」
低く、よく通る声。もっとか細い声だと思っていた。
ゆっくり視線をあげる。布越しに男を見て、かぐやは動きを止めた。

頭から布を取ったかぐやを見て、帝はハッとした。
今まで見たこともないほど、美しい生き物がそこにいたからだ。天女、という言葉がとっさに浮かんだ。
「陛下」
天女は目線を下げたま挨拶をした。
彼女の一挙手一投足に目を奪われる。視線が合ったとき、黒い目に吸い込まれそうだと思った。
「…ああ」
帝は自分の口から声が漏れ出ていることに気づいて、慌てて咳払いをした。
彼女の口角が、かすかに上がった気がする。その姿に眩暈を覚えた。
「陛下?」
鈴を転がすような声、とは正にこのことだ。
帝は聞き入りそうになる自分を心の中で叱咤激励し、何とかかぐやの正面に座った。
向かい合い、月を背にして座る彼女は、さらに美しい。真っ白な肌、目と同じ黒い髪、紅く艶やかな唇。そのどれもが、心を捉えて離さない。
帝は花愛君の意見もあり、多少は期待していたが、それを遥かに上回るかぐやの美しさに見入った。

かぐやは帝をじっと見た。
鍛えられた身体、整った顔立ち、深い眼差し。今まで求婚してきた男たちとは、明らかに違う。極上の男である。これで精子にさえ問題なければ、相手は帝で決まりだ。
しかし、何事も焦りは禁物だ。帝が本当に条件に合う男かどうか、見極めなければないけない。そのためには、もう少し距離を縮める必要があるだろう。
ただ、そう思ってはいても、かぐやにはそれが出来なかった。帝の、こちらを見透かすような眼差しが、怖かったのだ。それで自然、黙ってしまった。


11:オトコたちの心理

ヨウは東屋から少し離れた草むらに隠れ、二人の様子を見つめていた。大主人からの命令もあったが、それ以上に、二人のことが気になっていても立ってもいられなかったのだ。
月の宮に来る前の、かぐやの言葉が頭から離れない。
『何が起こるかなんて、分からない。でしょ?』
ヨウは身体の内側から、熱いものが込み上げてくるのを感じた。
もし、かぐやに何かあったら。いや、彼女から仕掛けて帝がそれに応えてしまったら。自分がどうなってしまうのか、分からない。
ヨウは視線を東屋に向けたまま、手のひらを固く握った。目の前の出来事に集中していたため、近くを白い猫が通ったことにも気づかなかった。

帝は違和感を感じていた。
こんなに美しい女が、本当にこの世にいるのだろうか。もしかしたら妖の類かもしれない。
そうでなくても、帝という地位から生まれる権力欲しさに、近づいてくる輩はごまんといる。自分に害をなす恐れのある者は、できる限り早く排除した方がいい。まずは、彼女の真意を探ろう。
帝は咳払いを一つすると、沈黙を破った。
「堅苦しいのはなしにしよう。早速だが、この美しい建物は、いつから建っている?以前、訪れたときは無かったはずだが」
この御殿の前の持ち主は、帝の遠い親戚で、幼い頃一度訪れたことがあった。代替わりしてからは、別の貴族の手に渡ったと聞いている。
「はい。この建物自体は、以前の持ち主が建てたのですが、近ごろ私の父が手直しさせました。月の宮、という名です」
「ほう。月の宮とは、美しい名だ。そなたのようだな」
帝は流し目でかぐやを見た。
恥ずかしそうに扇子の裏に顔を隠す仕草は、可憐な乙女のよう。だからこそ、疑惑が深まる。すぐに疑ってかかるのは自分の悪い癖だと思いつつ、帝はかぐやに問いかけた。
「何人もの貴族が、そなたに求婚を断られたと聞いた。本当か?」
「はい」
詫びれる様子が一切感じられない。帝は少し驚いた。
「それは、そなたの意志か?それとも、そなたの親の意向か?」
「私の意志でござます」
帝はまた驚いた。それから、楽しくなった。「意志」とはっきり口にする令嬢に会ったのは初めてだ。
帝は自分では気づかず口角を上げた。


12:3つの焦り

その後、二人はしばらく話をしたが、結局「何事もなく」帝は帰った。
その後ろ姿を見送って、老夫婦は今後の動向を思ってヤキモキし、ヨウは安堵した。
帝が帰った後、まだ座り続けるかぐやにヨウは声を掛けた。
振り向いた彼女の表情には、様々な感情が混ざりあっていて、それを見たヨウは再び胸をざわつかせた。

かぐやにとって、怖いと感じた人間は帝が初めてだった。会話が進むにつれ、その恐怖も和らいでいったが、やはり最初に抱いた印象は大きい。
翌朝、かぐやは考え事に耽っている様子だったので、周りの者たちは下働きに至るまで、かぐやが帝に一目惚れして恋煩いしているのだと、ささやき合った。
そんな状況だったから、ヨウは大主人にせっつかれる形で、渋々かぐやの部屋に上がることになった。
「ヨウ。優秀な遺伝子の条件を覚えている?」
部屋に入るなり投げかけられた問いに、嫌な予感が頭を駆け巡る。
「はい。第一に、健康であること。第二に、生き抜くための精神的な強さがあること。第三に、賢いこと。第四に、生殖能力とその意思があることです」
スラスラと答えるヨウに、かぐやは満足した様子で頷いた。
「そう。今までの男たちは、どれかが欠けていた。でも、あの人は合格よ」
「あの人」が帝であることは、明白だ。ヨウは内心で項垂れた。
「…では、計画を実行されるのですか?」
「そうね。そうなると思うわ」
「側室の件は?」
「そこが問題よ」
かぐやは手を顎に当て、黙った。彼女が考えるときの癖だ。この癖をヨウは好ましく感じていたが、今はその感情に苦いものが混ざっている。
「私が月に帰るまでの時間は、あまりないわ」
「…はい」
「だからその間に、子を腹に宿さなければいけない」
かぐやの視線は、外へ移る。
「万が一、側室になったとしても、腹の子と共に月へ帰る手もある。私の力があれば、それは可能よ」
「では…何を迷っていらっしゃるのですか?」
言ってから、ヨウは後悔した。その先は、聞きたくない。
かぐやはチラッとヨウを見てから、また外へと視線を戻し黙った。

帝は手紙を書こうとしてやめ、再び筆を持ち、また下ろすを繰り返していた。
大きなため息が、少し遠くに座る花愛君にまで伝わってくる。
「陛下、そのため息を包んで届ければ、きっとあの方も感動されるに違いありません」
「…それ、気持ち悪くないか?」
「とんでもない!女性というものは、いい男を虜にしているという満足感と優越感に身もだえるものですよ」
花愛君は、真面目とも不真面目とも取れる表情で言った。
「私は、本気で悩んでいるのだ」
「分かっております。誠実な陛下のことです、かぐや様を側室にされることに罪悪感を感じられているのでしょう」
図星を指された帝は、不機嫌そうに黙った。
「世継ぎの誕生は、急務です。うるさい大臣たちを黙らせるためには、早くご用意された方が良い。しかし、かぐや様が側室になれば、かのお方が陰謀に巻き込まれることは必須」
「ああ…」
「悩みますね。とても、深刻に」
「お前が言うと、全く深刻に聞こえんな」
花愛君は、気を抜くと緩んでしまう口元を隠した。
「かぐや様を政治のごたごたに巻き込みたくなければ、側室にこだわらずとも良いのでは?」
「そう簡単に言ってくれるな」
「しかし、かぐや様の血筋に問題があるのは事実です。両親は親戚の子だと言っていますが、怪しい。そもそも、両親も親戚も貴族ではないでしょう。その辺りを、きっと大臣たちは糾弾してくるに違いありません」
「分かっている。だが、恋人になったとて、命を狙われる危険がないわけではない。それに何より、私には強力な後ろ盾のある跡継ぎが必要なのだ」
帝は頭を振って立ち上がり、部屋を出ていった。
その後ろ姿には疲れが見える。
「面白いことになってきたな」
花愛君は一人笑みを深くした。


13:花愛君の暗躍

満月祭を一週間程過ぎた頃。その間、かぐやと帝は頻繁に手紙のやり取りをしていた。
手紙を届けるのは、ヨウの仕事だ。
ヨウは鬱々とした気持ちを内に抱えたまま、帝の住まいがある御殿の庭で、手紙を待っていた。
帝はいつも、手紙を友人である花愛君に託す。彼が来たことは、見るよりも先に香りで分かる。花のような甘い香り。どこか人をくつろがせるような、柔らかく、繊細な香りだ。
今日もその香りがして、ヨウは地面から視線を上げた。
「ご苦労様です。これ、今日の手紙」
そう言って花愛君が手渡してきた手紙は、薄紫で、ヨウは知らない花が添えられていた。
手紙を手にしたヨウはすぐにその場を去ろうとして、後ろから声を掛けられた。
「君は、かぐや姫が好きなんだね」
ドキッとして立ち止まり振り返ると、笑顔の花愛君と目が合う。
「…どういう意味でしょうか?」
「そのままの意味だよ。でも、このままだと結ばれない」
ヨウはじっと花愛君を見た。
何の目的で話しかけてきたのか。花愛君ほど高位の者が自分のような目下の者に声を掛けるのは、仕事を命じるときだけだ。何か裏があるのかもしれない。
下手に喋らない方が良いだろうと判断したヨウの考えを見透かすように、花愛君は話を一方的に続けた。
「奪っちゃえばいいのに」
「…は?」
思わずくちをついて出た言葉に、ヨウはうろたえた。
「もっ申し訳ありません…!」
今さら謝っても遅いだろうが、謝らずにはいられない。冷や汗が全身を流れる。
しかし、ヨウの焦りとは対照的に、花愛君は声を上げて笑った。
呆然とするヨウを横目に、ひとしきり笑った花愛君は、満足した様子だ。
「ごめんね」
「いえ…それより、あなたは帝のご友人ではないのですか?」
友人の想い人に横恋慕する相手にけしかけるような言葉をかけるなど、ヨウには理解できなかった。
「そうだよ。でも、僕にはもう一つ大事な役目があってね」
花愛君は意味深な表情をヨウに向ける。ヨウは居心地の悪さに思わず視線を外した。
「君が先にかぐや姫と結ばれてくれたら、帝も手を引くだろう」
「俺が?まさか、あり得ません」
「なぜ?君が貴族ではないから?」
「はい。それに…」
言いかけて、ヨウは口を噤んだ。
それを見た花愛君は、また面白そうなことを見つけたと内心ほくそ笑み、御殿の中に消えた。


14:かぐや姫の憂うつ

ある日の真夜中。
かぐやは一人、文机に向かっていた。といっても、手紙を書くためではない。考え事をするためだ。
目下の問題は、側室にならずに帝の子を宿すにはどうすれば良いか、ということだった。
手紙のやり取りを通じて、帝が自らの責務に対して忠実であることが分かり、かぐやは好印象を持った。自身も使命を背負っている身として、共感と親しみを覚えたのだ。
かぐやは帝が自分に好意を抱いているらしいと感じ取っていたが、彼の中にある責務がそれを邪魔していることも気づいていた。
後継ぎをつくることは、世を統べる者としての役目ではあるが、かぐやの求めるところには合わない。
「できれば、合意の上で子どもを宿したいのだけれど…」
帝への好意を除いても、月人は古来より人間から精子をもらって生きながらえてきた、という歴史がある。その点に関してかぐやを含む月人は人間に感謝をしていた。だからこそ、今までも無理やり精子を奪うことはして来なかったのだ。
かぐやの力を持ってすれば、側室になり、子を宿した後、御殿を抜け出して月に帰ることは可能だ。しかし、そうすれば帝に迷惑がかかるだろう。
かぐやは頭を抱えた。

カッ、カッ。
音がした方を見ると、しっかり下ろした御簾の向こうに影が見える。小さな灰色の塊だ。
小さな物音ともに御簾が開き、真っ白な猫が入り込んで来た。猫はかぐやの正面まで優雅に歩いていき、一礼して座った。
「先輩、悩んでますね。とても、深刻に」
「うるさいわね」
かぐやは、猫が喋っていることを当然のように受け入れ、猫に向き直った。
「で、情報は?」
「焦らなくても、ちゃーんと持ってきましたよ。でも、その前に一つ聞きたいことがあるんです。答えてくれますか?」
「内容によるわ」
「冷たいなぁ。僕と先輩の仲じゃないですか」
猫が出す猫なで声に、かぐやは心底嫌そうな顔をした。しかし、当の本人
(猫)はまったく気にしていない様子だ。
「あのヨウという少年。いや、青年かな。彼に何か問題があるんですか?」
「…問題?」
「いえね、心身ともに健康で、生命力に溢れてる。頭も悪くない。おまけに、あなたに非常に忠実だ。貴族でこそありませんが、先輩にとっては、そんなことどうでも良いでしょう?彼の何が問題なんです」
かぐやは黙った。どう答えるべきか、思案している様子だ。
「先輩、僕たちの間で隠し事はなしですよ。信頼関係がないと仕事なんてしてられません。僕たち妖は、月人さんに力を与えもらう代わりに、あなたたちの使いとして働きます。嘘や隠し事があると、僕たちも気持ちよく働けません」
真っ白な顔の中央にある、黄色い目が光った。
この妖とかぐやとは、彼女が地球に来て以来の付き合いだ。その短くはない付き合いの中で、彼がへそを曲げると後々面倒だということを、かぐやは経験から理解していた。
かぐやは大げさにため息をついて、話し始めた。
「見た目からは分からないでしょうけれど、ヨウは火事が原因で子を成せない体になってしまったの。火事から助け出された後、ひどい高熱を出してね。医者にそう言われたわ」
「なんと」
猫は気の毒そうな声を出した。
「お前には言う必要がないと思ったから、言わなかっただけ。別に隠していたわけじゃないわ」
「…そうですか」
「分かったら、早く情報を頂戴」
「はいはい」
白い猫は、自らが花愛君として掴んだ情報を伝えた。その中にははヨウを介してかぐやが知った情報も含まれていたが、帝の近況に関しては初耳だった。
「帝はあなたに本気ですよ」
「そう」
「まぁ、あの人が恋愛感情だけで動くことはないでしょう。立場がある身ですからね」
「…そうね」
「さっさと諦めて去った方が、あの人の傷は浅くて済むでしょうが…かぐや様はどうなのです。帝のことは、お好きですか?」
「月人に、人間のような恋愛感情はないわ」
かぐやは帝に対する自分の好意が、人間の世界で言う友情に近いものだと認識していた。その友情がときに恋愛感情に発展することもあると、月人であるかぐやは知らない。
「過去に来た月人さんの中には、ここに長くいすぎたために、人間に本気で恋をして夫婦になった人もいましたよ」
「確かに、そうした事例もあるわ。でも、私にその予定はないの」
「そうですか。どちらと結ばれても、かぐや様が月に帰るのであれば、それまで、楽しませてもらいますよ」
そう言うと、真っ白な猫は御簾の隙間からするりと出ていった。「試してみればいいのに」という言葉を残して。


15:揺れる心

かぐやが目を覚ました時、太陽はすでに天高く昇っていた。
あの猫が置き土産に残した『試してみればいいのに』という言葉が頭から離れず、朝方になってから眠ったのだ。
起き上がり、文机に置いたままになっている帝からの手紙を見て、かぐやは決意を固めた。

「帝に会われる、ですって…?」
「ええ」
身支度を整えたかぐやは、驚くヨウには目もくれず筆を動かしていた。
「でも、お父様たちには知らせたくないの。内密にお願いね」
「では、あの、帝と…」
書き終わったかぐやは、手紙をヨウに渡した。
「ヨウ。お前には世話になったわ」
「…姫様」
「今回が、あの人と会う最後になるでしょう」
正直、自信はなかった。しかし、不安を口にするとさらに不安になりそうだった。
こんな気持ちになるのは、月から地球へ向かう時以来だろう。使命が果たせないかもしれない不安、恐怖。そうした黒い波に飲み込まれそうだった。
月人は感情が希薄だと言われているが、不安や恐怖は感情ではなく、思考の産物なのかもしれない。
ヨウはかぐやの不安を感じ取ったのか、黙ったままじっと彼女を見つめた。それから、おもむろに手紙を持つ彼女の手を、両手で優しく包んだ。
「ずっとお傍にいます」
その目は、彼の手以上に優しかった。
かぐやは自分の心臓が止まったかのように錯覚した。
「…」
「どんなことがあっても」
そう言うと、ヨウは手紙を持って部屋を出て行った。
「どんなことが、あっても」
かぐやはヨウの言葉を繰り返した。まるで、自分自身に染み込ませるかのように。


16:告白

その日の夜。
真っ暗な闇に三日月がかかっている。
ヨウとともにこっそり部屋を出たかぐやは、月の宮に向かった。人に見つからないよう、灯は持っていない。
月の宮に着くと、すでに先客がいた。人影は二つ。月の宮に一つだけ灯された明かりが、人影をおぼろに照らす。
「突然お呼び立てしてしまい、申し訳ありません」
かぐやが謝ると、帝は明るく笑った。
「いや。なかなか楽しかったぞ。誰にも見つからぬよう、花愛君とともに御殿を抜け出すなんて、子どもの時以来だ」
その楽しそうな口ぶりに、ヨウは安堵した。それから、急いでかぐやを月の宮に案内した。ヨウと花愛君は、周辺で見張りをする予定だ。
ヨウが最後にかぐやを見たとき、一瞬、彼女と視線が合った気がした。

最初に口を開いたのは帝の方だった。
「会いたい、と手紙をもらえて嬉しかった。私も、もう一度、そなたと話したいと思っていた」
「ありがたき幸せです」
「そう固くなるな。そなたには、会った時から親しみのようなものを感じていた。同志を得たような、な」
かぐやは扇子で顔を隠していたが、その隙間から帝の顔を見ることができた。
小さな明かりに照らされた帝の表情は、以前ここで会ったときよりも柔らかい。かぐやは、その変化に驚いた。
最初に感じていた恐怖も彼女の中から消えていた。
「それで、話したいこととは?」
かぐやが黙っていると、帝が「では、私から」と話し出した。
「私は、そなたを側室にしたいと思っている。どうだ、驚いたか?」
「いいえ」
帝の率直な物言いに、かぐやも率直に返した。
「側室になれば、そなたも、そなたの家族も今以上の安泰と、権力を得られる」
「同時に、その権力に巻き込まれますね」
「そうだ」
帝は明かりの向こう側からかぐやを見つめ、彼女も彼を見つめた。
「私は、人間ではありません」
「ほう。では、鬼か神か」
「人間から見れば、神のようなものでしょうか」
「どういうことだ」
帝は楽しげだが、視線はかぐやから外さない。
かぐやは扇子を下ろし、真正面から帝に向き合った。
「私は月からやって来ました。人間の子どもを宿すために。それが、私の使命。陛下が、同志のようだと思ってくださったのは、私たちには背負うものがあるからでしょう」
今度は、帝が黙る番だった。
「もうすぐ、私は月に帰らなければいけません。だから、陛下のお申し出を受けることはできないのです」
長い沈黙が二人を包んだ。その間、帝は難しい表情のまま考え込んでいた。
「陛下を困惑させてしまい、申し訳ありません。私の話を信じるも信じないも、陛下次第でございます。ただ、私は、陛下に嘘をついていないとだけ、申し上げておきましょう。私はあなたの使命を邪魔したくはありません」
かぐやは立ち上がった。
同時に、近くの草むらが動く。ヨウがそこに隠れていたのだ。
「待て」
帝の声に、かぐやとヨウが動きを止めた。
「それが本当だとして、そなたはもうすでに子を宿しているのか」
「いいえ」
「では、使命はまだ果たせていないのか」
「…はい」
帝はかぐやの後ろ姿に向かって言った。
「そなたは、それでいいのか」
その問いに答えることなく、かぐやはヨウとともに月の宮を後にした。


17:かぐやの決断

部屋に帰ってきたかぐやに、ヨウが控えめな口調で問いかける。
「あのままで、良かったのですか?」
「ええ」
かぐやは、暗い部屋の中でヨウの方に振り返った。
部屋の中には明かりがなく、彼女がどんな表情をしているのかは分からない。
「ヨウ、私は月へ帰るわ」
静かな部屋に、かぐやの声だけが響いた。
その声は、少し震えているようにも聞こえる。
ヨウは自分の心臓の音が、今までで一番大きく聞こえた。
「…いつ、帰られるのですか?」
「月が、太陽と同じ方向に浮かぶ日に」
太陽と同じ方向に見える月とは、新月だ。新月まで、今日から数えると、あと数日である。
かぐやはヨウを見つめた。ヨウもかぐやを見つめた。
視線が暗い闇の中で絡まりあい、もつれ合う。
「ヨウ。お前に黙っていたことがあるの」
視線を絡ませたまま、かぐやは語り始めた。
「花愛君は、私の使いよ。人間ではない。私の力を使って妖を人間の姿に変身させ、帝の動向を探らせていたの」
「そんな…まさか」
「本当の花愛君には、眠ってもらっているわ。私が無事に使命を果たし後、術を解くつもりだった」
「つもりだった、とはどういうことですか?」
かぐやはヨウの問に答えなかった。
いつの間にか雲が月を隠し始め、沈黙を埋めるように、ポツポツと雨音が聞こえ始める。
「月人救済計画には、第五の条件があると、以前、上司に聞いたことがあるわ。公式なものではないし、本気にはしていなかったけれど」
「第五の条件…?」
「該当者が月人を、『アイシテイル(愛している)』こと」
かぐやは、ヨウに向かって一歩踏み出した。
「ヨウ、お前の体のことは知っている」
「…」
「でも、試してみたいわ」
あの猫に言われたからというのが癪だけれど、という言葉は飲み込んだ。
ヨウは目を見開いて、その場から動けなくなった。それから、泣いているような笑っているような声で言った。
「姫様は、やはり、姫様だ。強くて、使命に忠実。どんな状況でも諦めない。俺は、そんなあなたを愛しています」
二つの影は一つになったとき、雨音は一層強まった。まるで、二人を世間から隠すように。


18:ヨウへの手紙

数日後、かぐやは月へ帰還した。彼女がどうやって御殿を抜け出し、月へ帰ったのか知る人は誰もいない。
側仕えだったヨウも、かぐやがいいなくなったのと同時に、姿を消した。彼の居場所を知る人もまた、誰もいない。
かぐやを育てた両親は、彼女からの手紙を抱きしめて、泣き暮らしていると言う。

豪華な御殿の部屋で、一人、庭を見ていた帝に、花愛君は歩み寄った。
「陛下。どうなされたのですか」
帝は物思いに沈んだ表情のまま、花愛君に向き直った。
「いや。ただ、思い出していただけだ。美しい同志と、いたずら好きなお前をな」
「私が…いたずら好き?」
花愛君は困惑した。女性関係は派手だと自覚はあるが、職務に対しては真面目で、帝から「いたずら好き」と言われるような事をした覚えはない。
目を丸くした旧友に対し、帝は声を立てて笑った。

昔使われていた道を頼りに、山道を登る。木々が覆い茂っているため、道中は困難を極めた。
この山は周辺でも一番高い。ヨウはしたたる汗を拭いながら、ひたすら頂上を目指した。
足が鉛のように重く感じられた頃、空が開け、広い場所に出た。頂上だ。
ヨウはその場で大の字になり、空を仰いだ。
雲一つない青空だ。このまま行けば、今夜は満月が美しく見えるだろう。
ヨウは自然と空へ手を伸ばした。
そのとき、懐から白いものが零れ落ちた。擦り切れ、そこら中に手垢がついているが、どうやら元は高級な紙で書かれた手紙らしい。
ヨウは慌てて、その手紙を拾い、懐に入れる前に広げた。
そこに書かれているのは、流麗な文字で、三行だけ。
『月と太陽は永遠に交わらないと思っていた。
だからヨウという名前にしたのよ。
月からあなたの幸せを祈っているわ。』
ヨウは読み終わると、それを強く抱きしめた。
山の頂上、この辺りでは一番月に近い場所で、彼は今日も満月を待つ。

#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門
#に出したかった

ご感想はLINE公式または、画面下部の「クリエイターへのお問い合わせ」からお待ちしております。


いいなと思ったら応援しよう!

蒼樹唯恭
あなたの応援が、私のコーヒー代に代わり、執筆がはかどります。