シンデレラの策略 9 【ギルバート過去編】
*あらすじ*
ずっと森の中で住んでいた魔法使いのギルバートは、ある日、泉の近くで人間の少女イザベルと出会う。
イザベルがギルバートに会いに来るようになってから、数日が経った頃。最初は嫌がっていたギルバートだったが、イザベルの勢いに押されて彼女との約束の日には必ず泉へ行くようになっていた。
会うと言っても恋人のような甘い逢瀬ではなく、一方的にイザベルが話すのをギルバートが聞くという形のものだったが。
二人が出会った頃、イザベルにはすでに心に決めた人がいた。
「とっても素敵な人なのよ。優しくて誠実で、今まで私を口説いてきた男の人たちとはまるで違うの。外見は、まあ、かっこいいとは言えないけれど、すごくチャーミングよ」
嬉しそうに話すイサベルの声のトーンが、急に下がった。
「どうしたんです?」
「…彼は貴族じゃないの。うちに上質の絹を持ってきてくれる、商人なのよ」
イサベルの返答に、ギルバートは絶句した。
この国には厳格な身分制度が存在する。そこから逸脱した恋愛や結婚は、完全に無いとは言い切れないが、非常に珍しい。おとぎ話に出てくる王子様と平民の娘との結婚、ぐらいあり得ない話だ。
ギルバートがそう伝えると、イザベルは頬を膨らませて言った。
「確かに、私のお父様やお母様の若い頃はそうだったかもしれないわ。でも、時代は変わったの。今や貴族とは名ばかりの家が、自分たちが生きていくために身分を売ることも、反対に力を付けてきた平民がその身分を買うことも、増えてきているのよ。まあ、まだまだ平民から貴族になった人たちへの風当たりは厳しいけれど」
イザベルの反論に、ギルバートは自分の知識がかなり古いものであるらしいと悟った。ずっと森の奥にいて、両親や森に棲む動物としか触れあって来なかったのだからしょうがない。ギルバートはもっと、人間のこと―今の人間のことを知りたいと思った。
「私はね、愛ある結婚がしたいのよ。お母様たちとは違って、冷たい夫婦関係を築きたくはないの。周りからは変わっているって言われるけれど、私、そんなにおかしいかしら?」
ギルバートは言葉に詰まった。結婚のことなど考えたことも無かったし、イザベルの言う「愛ある結婚」とは一体どんなものなのか、さっぱり分からなかったからだ。
「…それは、そんなに良いものですか?」
真面目な顔で訊ねるギルバートに、イザベルは「そんなの分からないわよ。だって、私だって経験したことないんだもの」と笑った。
「でも、きっと素敵だと思うわ。だって、好きな人と結ばれて一緒に居られるって、奇跡みたいなものだもの」
イザベルはまだ見ぬ未来への希望で輝く目を、遠い空の方に向けた。
「彼はね、もうすぐ貴族になるのよ。後継者のいない地方貴族から、身分を買うことができるよう話がついたんですって。そうしたら、私に結婚を申し込んでくれるって言ってくれたわ」
イザベルが頬を染めながらギルバートに告げたとき、風が吹いて、後ろでゆるくまとめられていた赤い髪がほどけた。風の流れに沿ってゆるやかになびくそれは、空へ向かっていくように見える。
その光景に、ギルバートは目を奪われた。
イザベルはほどけたままの髪を手で押さえながら立ち上がると、前へと歩き始めた。
「私は愛する人と温かい家庭を一緒に作っていきたい。彼が本当に貴族になれるのかどうかは、まだ、分からないけれど、もしなれなかったとしても私は彼と結婚するわ」
そう決めたの、とイサベルは自分に言い聞かせるように頷いた。
「だから、今回の縁談は何としても断らなくちゃ」
「縁談?」
イサベルは口元をキュッと引き結んだまま、空を見つめた。その横顔に少し躊躇しながらも、ギルバートは問いかける。
「そう。ホスウェル・グレイ候とのね。グレイ家はうちよりも随分家柄が上だし、ホスウェル様はかなり自信家だから、私が結婚を断るとは思っていらっしゃらないでしょうけれど」
後半に少し蔑んだような響きを含ませながら、イサベルは難しい表情で答えた。
貴族同士の結婚においては家柄が最も重視される。大抵は同格の家同士での婚姻がほとんどだが、稀に格上の家との結婚が決まることがある。そうなれば大成功。その一族との繋がりが生まれるため、貴族界における自身の家の発言権が強まるからだ。
娘自身にとっても嫁ぎ先が名家で金回りも良ければ、今までよりも贅沢な生活ができ社交界でも高い地位に居られるため、おいしい話である。しかし。
「どうやって縁談を断るか。それが問題よ」
「はぁ…」
イサベル自身は家のことなどあまり気にしていないようで、真剣に考え込み始めた。
「仮病は前の人に使ったからもうダメだし、家柄が釣り合わないっていうのも関係ないって言われちゃうし…」
「前の人?」
「ああ、ホスウェル様よりも前に私に求婚してくださった方よ。私、若くて美しいから引く手あまたなのよね」
「…」
「お父様やお母様からはいい加減にどこかへ嫁げって言われているのだけれど、将来の自分の伴侶を決めるのに慎重になることは悪いことじゃないわ。そう思わない?」
「はぁ、まぁ…」
「そうでしょう?お父様もお母様も、娘の結婚をなんだと思っているのかしら」
憤慨するイザベルを横目に、ギルバートはこっそりため息をついた。
結婚など家同士を結ぶための契約に過ぎない。そこに愛を求める方が間違っているのではないか。平民でさえ家のために親の決めたところへ嫁ぐことが当たり前のなのだ。ギルバートには、イザベルの考えが突拍子もないものに思えた。
「ああ、もう帰らなくては、ホスウェル様が人をやって私を探しに来る頃ね」
イザベルは立ち上がると、億劫そうにドレスについた泥を払った。
イザベルは数日前からここに狩りに来ている。元々の家は国の西の方にあるのだが、ホスウェルに連れられて彼の別宅に泊まっているのだ。ホスウェル自身は婚前旅行のつもりだが、イザベルはもちろんそんな風には考えていない。
「また会いましょう、ギルバート。ホスウェル様のお屋敷は豪華すぎて、私にはかえって息苦しいくらいなの。ここであなたと話している方が、ほっとするわ」
イザベルはギルバートの返事を待たずにその場を去ろうとした。
「…このまま逃げてしまってはどうですか?」
「え?」
イザベルは大きな目を見開いて、ギルバートを見つめた。
「そんなに嫌なら、今ここで、身分も今までの生活も捨てて逃げてしまえば全て解決するじゃないですか」
なぜ、こんなことを言っているのか。イザベルよりもギルバートの方が驚いていた。
しかし、心の奥に芽生えた何かが彼をそうさせているのは感じていた。
「私が、手伝いますよ」