シンデレラの策略 9.5【ギルバート過去編】
*あらすじ*
イザベルにはすでに心に決めた男性がいた。望まない婚約から逃れたいと悩む彼女に、ギルバートは自分が手伝うと申し出る。
「手伝うって、どうやって…?」
イザベルは怪訝そうにギルバートを見つめた。
「簡単ですよ。さっきも言ったように、逃げてしまえばいいんです。この馬に飛び乗って好きなところへ行けばいい」
ギルバートはそう言って、近くに寝そべっていたイザベルの馬を指さした。
「そんなこと、できるはずないわ」
「どうして?」
「…どうしてって、逃げたってすぐ追手が来て捕まってしまうかもしれない。それにもし逃げ切れたとして、どこへ行けばいいの?グレイ家はこの国の大貴族。役人の力を使って、娘の一人や二人すぐに見つけてしまうわ」
イザベルは項垂れた。
「それに、もし私が逃げ出してしまったらお父様やお母様に迷惑がかかる。うちはね、没落貴族なの。私とグレイ家の婚姻が決まれば、経済的な援助が受けられる。この結婚には家の存続がかかっているのよ」
「それが、どうしたのです?」
ギルバートは言って、後悔した。こんな事を言うつもりはなかったのに。
イザベルが悩むのも無理はない、とギルバートは理解していた。貴族同士の結婚が一族の存亡に深く関わっていること、そのために当人同士の意思は無視されがちであることを、外の世界に詳しくない彼でも知っていたからだ。
イザベルは自由奔放に振舞ってはいるが、本当の意味で自由ではない。結婚という人生の大きな岐路において、自ら選択することができないのだから。
「…どうした、ですって?」
イザベルの肩は震えていた。瞳には涙がたまっている。
その姿にギルバートは良心をえぐられるような心持がした。
「あなたには分からないわ。私がどれだけ辛い思いをしているのかなんて!」
イザベルの言葉に消えかけたはずの怒りの炎が再燃した。
『あなたには分からない』ーそれは、ギルバートにとって拒絶の言葉に聞こえたからだ。
嫉妬、それこそが彼の怒りの正体だった。
ギルバートは自分でも気付かないうちに、イザベルに恋をしていた。彼女が他の男性と恋仲であるという事実は彼の心を堪らなくかき乱し、自分を受け入れない彼女に苛立ちを覚えた。
「ええ、分かりません。現状を変えたいと望みながら、行動する覚悟のないあなたの考えなど理解できない」
重い沈黙が2人の間に落ちた。
どちらも口を開かず、目も合わせない。ただ、木々の枝葉がこすれる音だけが嫌にうるさく聞こえた。
先に口を開いたのはイザベルだった。
「ギル、あなたは正しい。私は現実から目を背けていた。我が一族の存亡を望みながら、グレイ家との結婚はしたくないと駄々をこねていただけ。どちらかを選ばなければいけないのよね」
顔を上げたイザベルの瞳には強い光が宿っていて、ギルバートは怯んだ。
「私、これから馬で彼の元に行く。そして2人で遠いところへ逃げるわ」
イザベルはそう言うと、ひらりと馬にまたがった。
「ここから彼が住む街までは馬で3日。水は川から汲めばいいし、食料は木の実を取って食べるわ。何もなければ我慢する」
「…」
「お母様やお父様に迷惑をかけるのは気が咎めるけれど、でも、やるしかないわ。だって、このままだと本当に私はグレイ家に嫁ぐことになってしまう」
「…本気ですか?」
「本気よ。決心できたのはあなたのおかげ。ありがとう、ギル」
イザベルは笑った。
「上手くいく自信は?」
「正直、ないわ。でも、やってみなくちゃ」
迷いのない返事が、ギルバートの胸に刺さった。もう何を言っても無駄なのだ。そう悟った瞬間、後戻りが出来なくなったことを知って体が震えた。
「大丈夫よ。あなたに迷惑はかけない」
震える彼を見て、自分に害が及ぶことを気にしているのだ、と勘違いしたイザベルは笑って言った。
「さよなら、ギル」
彼女は髪を高い位置で結い直すと、馬の手綱を取った。
「待っ…」
ギルバートが差し出した腕は空しく宙をかき、それを嘲笑うかのように馬が一度、高く鳴いた。
その場に崩れ落ちた彼の目には、遠くでなびくイザベルの赤い髪が映っていた。