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マツコとDJ松永の涙と一緒に泣いた話

マツコ会議 Creepy Nuts回が話題です。

マツコとDJ松永があるテーマで絶望と希望で号泣する神回で、全く違う世界に住む自分なのに、共感することが多すぎて私も涙が出てきました。

番組の中で、二人が感じていたのはテレビという公の場で発言する苦悩についてで、どこが一緒だ・・・と思ったかというと、「表現の自由」について。

以下、番組のやりとりの抜粋です。

R-指定の「出た時点で全部気をつけなアカン。一挙手一投足を誰か思いやる気遣いじゃなくて、これをやったら傷つける可能性、人質に取られた感覚で行動や言動を発してしまう」という言葉を受けて、マツコは「すべてがそうなっていると思う。エンターテインメントだけじゃなくて、会社だったり、学校だったり、政治だったり。夢も希望もないこと言うかもしれないけど、私はいっぺん壊れるしかないと思っていて。相当なジャンルが崩壊の後に、また新たに生まれるんだろうなって…」と話した上で、松永の涙を見て「これくらい本気でやっているっていうことですよ…。もうね、でもあんたたちみたいな若い人たちをみるのが一番喜びなんですよ。頑張ってほしいわ、こういう人たちに。伝わるものって、全部熱量ですよ。熱量しか人に伝わらないのよ。すごい回になったわね」と呼びかけた。


私たち霞が関の人たちは、当然守秘義務がかかっているので、自分の仕事上で知り得たことは話せません。政治的な発言や行動もできません。それは、公務員として働いている限り受け入れているし、このブログも霞が関の人の働き方は書いても、仕事の内容や個人情報は書いていません。

ただ辛いのは、この人たちに届いて欲しい、こういう考え方を知って欲しい、こういうことに気をつけて欲しい、と思う政策を広報する時に「出た時点で全部気をつけなアカン。人質に取られた感覚で行動や言動を発してしまう」に陥らされているのが、とても歯痒く辛いです。

すべての人に気をつけて、すべての人を傷つけない情報発信って、本当に難しいです。国が発するのは、全国のすべての人たちが見ることになるので、本当に一人でも不快に思わないように・・・となると、説明が長くなり、何が言いたいかわからない高野豆腐みたいなふにゃふにゃの味のしないメッセージしか出せなくなります。(高野豆腐キライなので・・・高野豆腐好きさんご不快に思ったらスミマセン←こういう配慮)

いつもいつも、国が発信することはわかりにくい、字が多すぎる、バズらない、届かない、こんだけ税金かけて何やってんだ、と言われます。

反響があったらあったで、高評価であった場合にも、必ず国がこんなことをするなんて不謹慎、うわついている、不快だと批判の声は必ずあります。

正直、がんじがらめで、一番マシなのは何もしないこと、次に無難に無難を重ねて、誰の心にも響かないようにして、そっと世の中の片隅に置いておくこと、となります。

心に響くような情報発信はリスクがあります。

特定のターゲットに届けたい、心に響いて欲しい情報発信はたくさんあります。

そういう熱量を持って作った何かを、全方位に気をつけて、批判されないよう、問題ないよう気をつける圧力に負け、修正に修正を重ね、助長な説明を足し、段々と手足をもがれ、最後は冷めた高野豆腐の出来上がり。

実は、霞ヶ関の人は雑誌に寄稿していることが結構あり、一昔前は、それをまとめて本になっていることがあります。それを読むのがわたしは結構好きで、昭和時代の課長が自分の課の政策について、自分の気持ちも含めかなり赤裸々に語っていてとても面白いし、そんなことができたことに驚きます。

ちなみに、特にわたしの好きな本は以前ご紹介したこれです。

今だとそんな文章を寄稿することは無理です。どこで批判されるかわからないので、表面的なことに終始せざるを得ません。

情報社会になって、表現の自由が不自由になるってなんてパラドックス。

今回は、やりたかった情報発信が高野豆腐になってしまったので、マツコとDJ松永と一緒にわたしも泣きました、というお話でした。

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霞いちか@霞が関の国家公務員
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