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アセクシュアルである私がどのようにしてサトシに救われ、今回の件でどのようなことを考えたか


はじめまして。イチジョウサヤカと申します。
去年の年末にしんどさの勢いで作成したコピー本の内容をnoteにも投稿させていただきます。
人生初のコピー本、もっとたのしい内容がよかった…。
コピー本は知り合いに配り歩いたのですが「呪物ですが…!」と言って配りました。もっとマシな言い方なかったの?と自分でも思います。
およそ9,000字です、お時間がある際にでもぜひ読んでほしいです!以下、本文です。

現状について

まず、何年後になるかは分からないけれど、今回の件の影響が薄れていったあとに読み返すかもしれない自分のために、また、これを読んでくれるひとのために、現状を説明しておきます。

いま私は、自分のことをアセクシュアルだと認識しています。ロマンティック指向は、アロマンティックに近いのかな?と思っているけれど、そもそも「恋愛」のすき、と、「それ以外」のすき、の違いがあまりよくわからないな、と感じています。すきの量の違いならわかるけれども。

それで、「今回の件」というのは、「アニポケの主人公がサトシではなくなる」件のことです。
私はサトシの活躍を横目でみながら人生を歩むつもりでいて、目下の心配事といえば「みんなが健康に生きていくとして、でも寿命というものはあって、そうすると私より先に松本梨香さんがこの世を去ってしまう」ことでした。それよりも先にサトシが主人公じゃなくなるなんて、現実になるとは考えていなかったので、まさに青天の霹靂です。
(まあね、BWのときとか、いつまでもサトシのキャラデザが発表されなくて、「え…サトシ主人公じゃなくなるってこと…?」と心配したり、アローラリーグでサトシがチャンピオンになったときに「え…サトシはアローラに残って挑戦者を待つってこと…?」と心配したり、サトシがポケモンワールドチャンピオンシップスで優勝、つまり、ポケモンバトルにおける世界チャンピオンになった時点で、「サトシよかったね!私もうれしいです!」と思うと同時に、今後のアニポケ主人公が誰になるのか、という心配が頭の中をびゅんびゅんと駆け巡っていたわけですが)

というのが、いまの自己認識と、「今回の件」の説明(ほとんど私の心情でしたね)です。

アニポケの主人公がサトシではなくなることを知った金曜日の夜は、数年ぶりに「べしょべしょに泣いて寝付けない」という状態になりました。
だってねえ…25年…?ずっとみてたのに…??公式供給が途絶えるかもってことなの…??や、途絶えるよりももっとしんどいことがおれにはあるのだが…の気持ちです。うふふ、しんどい、しんどいですわ!!!!!!!

どのようにサトシに救われてきたのか

前述のとおり、私は「恋愛」のすきがあまりよくわかっていません。でもこの社会は、恋愛至上主義的な社会であると思います。それも異性愛規範の。
そんな社会で居心地の悪さを感じるときに、サトシの「恋愛?よくわかんない」みたいな感じにずっと救われてきました。自分だけではないという安心感というか…。なので初期のアニポケサトシより【バトル狂】って視聴者から言われるようになった頃からのサトシがめちゃくちゃにすきです。

小さいころ、私はサトシよりもカスミがすきでした。教室のすみで絵をかいているような子供だったので、元気で明るくて、はきはきとものを言うカスミに憧れていた。
はっきりと「サトシ、すきすぎる」と感じた回のことはよく覚えていて、アドバンスジェネレーションの第161話の、ジュプトルが恋にやぶれる回。
それまでも「恋愛がぴんとこない」サトシが描かれていましたが、その頃にはまだ、恋愛至上主義的な社会通念に自分があまり苦しめられていなかったからか、そこまで気にしていなかったように思います。

小学3年生の頃には「恋愛というものは、私から友達を奪うようなものである」と思っていたけれど、自分も大きくなれば、少なくとも名探偵コナンの蘭ちゃんくらいになればすきな人ができるのだろう、そうすると相手に触れたいなどと思うようになったりするらしい、と思っていたし、恋愛が主題になっている漫画が多くのっているちゃおを熱心に読んでいた(といってもぷくぷく天然かいらんばんがいちばんすきな漫画ではあったのだが)ので、恋愛に悩まされる、というのとはちがう感じだったと記憶しています。

小学校高学年にもなると恋愛についての話題が増えてきて、当事者として会話に入れないと困る、という場面もでてくるようになりました。【架空のすきなひと】を仮置きして恋のはなしに入る努力をしてみたり。恋愛の話で他のひとと同じように盛り上がることができれば、社交の輪からはずされることはないだろう、と思っていたので。
アドバンスジェネレーションのジュプトル回はその居心地の悪さみたいなものを経たあとに放送された回なので、救われたのかもしれません。

どういった回かというと、ジュプトルが野生のトロピウスと勝負して負けてしまい、癒しの力で治療してくれたベイリーフ(ジョーイさんのポケモンです)に恋をします。トロピウスにリベンジマッチを挑み見事勝利しますが、ベイリーフとトロピウスがカップルであることを知り…というようなお話です。
『リベンジマッチには勝ったけど、恋の勝負には負けたんだな』というタケシの発言に、サトシは『勝ったけど負けたってどういうこと?勝ったのか負けたのか、どっちなんだ?』と返すのですが、それがあまりにも良くて、私は「サトシ!!!!!!めっっっっっっちゃすき!!!!!!」と思った記憶があります。
当時はただ「すきだ~」と思っただけでしたが、いま思えば、仲間をみつけたみたいな、そんな気持ちだったのだなと思います。

アニポケのサトシのすばらしさというのはもちろん他にもたくさんあるのだけど、今回はこと、「恋愛にぴんときていないひと」として描かれているサトシ、について私が考えていること(および、今回の件で気づいたこと)を書こうと思います。
今回の件で望まずではありますが、自分への理解が深まっちゃったな…。

私がサトシに救われたのは、自分がどうやら恋愛についていまいちぴんときてないぞ、と感じていたときに、(自分と同じように)ぴんときていない存在としてサトシが描かれていたから。呆れられてはいたけれど、否定はされない感じ。すくなくとも、恋愛がぴんとこないからといって社交の輪から外れることはない、という感じ。そういう関係が描かれることによって救われていたのだと思います。理想郷というか。避難所というか。

「こども向けアニメだから」とか、「サトシはまだこどもだから」といわれればそうかもね、とも思うのですが、実際に自分がまだこどもと呼ばれるような年齢のときに、自分と同じように「恋愛がぴんときていないひと」として描かれているキャラクターがいてくれてよかったと思います。

「こども向けアニメだから恋愛要素が少なめ」だったとしても、明確に恋愛以外を選びとる話、恋愛が描かれていながらも「恋愛?ぴんとこない、それより〇〇しようよ!」とされている作品を私はあまり知りません。
(イナズマイレブンもそういった作品なのかもしれないのですが、イナズマイレブンはほんの少ししか見ておらず、イナズマイレブンGOからしっかり見始めて沼にはまった人間なので、詳しくなく…)

たとえば同じくこども向けアニメとされている「忍たま乱太郎」も、恋愛が描かれること自体は確かに少ないんだけれど、恋愛が呈示された上で、「ぴんとこない」という描かれ方はあまりされていないと思っています。(見逃しているだけかもしれませんが…)少なくとも、忍たまをみていて恋愛がぴんとこない自分が救われた、と感じたことは私はいままでなかったな、と思います。

また、あまりそういう作品を私が知らないのには、「他の作品を探す必要性を感じていなかった」「それだけアニポケに救われていた」ということでもあると、今回思いました。

サトシはなんというか、私がサトシに「恋愛ってよくわかんないよね」って言ったとしたら、『おれもそう思う!…それよりバトルしようぜ!』って言ってくれそうだよな、と思えるキャラクターであると感じています。『おれも』、ではなかったとしても、『ね!』とか『な!』とか、否定ではない言葉をくれるであろうと思えるというか。

高校のときに同級生に、「恋愛とかよくわかんないよね~」って言ったら「そうだよね~」みたいに同意してくれたことがあって、それはただ同調してくれただけなのか、本当にそう思っていたのかはわからないんだけど、すごく嬉しかった。「そうだよね!そうだよね!」って思ったし、お守りみたいに覚えてるくらいには救われたというか、嬉しかったですめちゃくちゃ、で、サトシはいつでもそう返してくれる存在だと私は認識しています。

XY&Zシリーズではサトシは恋愛的な好意をセレナとか、他の人からも向けられるけど、変わらず「ぴんときていない」様子で、それがすごく救いでした。そこで徐々に恋愛する気になってしまう、という風に描かれなくて本当によかったな、と思っています。そしたらしんどすぎるので、私が。

サトシは恋愛を向けられて、「ぴんときてないから」とはいえ、たとえ無自覚であったとしても「それを退ける側」であるのに、『まあ、サトシだからね』とか、呆れられてはいたとしても許されているというか、それを『ひどい!』とか、否定する形では描かれていないというか、そこがめちゃくちゃに救いでした。
(XY&Zシリーズではもしかしたらちょっとそんな感じの描写があったかもしれないのですが、覚えておらず…。ただ少なくともサトシに面と向かって、ではないだろうと思う、すみません曖昧なんですが…。あのシリーズは恋愛を描かれることが比較的多くて、しんどさを感じることが他シリーズより多かったように記憶しているのですが、救われるような描写(サトシはそれでいい、というような)がはっきりとあったのもあのシリーズで、しんどいだろうけど見直そうかな…)

『サトシはそれでいい』とされていて、『そういうサトシが素敵である』とすらされている。
恋愛がよくわからないという人間が、それでいい、とされて受け入れられている空間がアニポケである
と私は考えていて、そこにめちゃくちゃに救われています。

アニポケの主人公がサトシでなくなることによって、私が不安に思ってしまっていること

前述のとおり、「恋愛がよくわからないという人間が、それでいい、とされて受け入れられている空間がアニポケである」と私は考えているので、NARUTO→BORUTOみたいにサトシの子供が出てくるとか、イナズマイレブン→イナズマイレブンGOみたいに大人になったサトシが出てきてそのサトシは恋愛を経て結婚しています、という描かれ方がされてしまうのではないか、ということをいま、とても不安に思っています。
(この「不安」というのが、ひとに伝わりにくいものであろうというのは理解していて、恋愛して、結婚して、家庭をもって、というのが幸せである、という価値観が悪いわけではもちろんないのですが、そういう社会通念に私はつぶされそうである、というのもまた事実なのであり、そういった社会通念が【アニポケによって】、それも【サトシというキャラクターによって】強固なものにされるかもしれない、というのが私にとっては堪え難いのです)

まあ現時点ではまだね、そういった描かれ方がされると決まっているわけではないので、これはただの私の心配事というか、被害妄想(この言い方はあまりしっくりこないのですが)です。

ただ、その心配事が頭を駆け巡ってしまっています。
ので、ここに吐き出します。

アニポケでサトシが主人公であるうちは、きっとアニメ内ではあまり時がたたず、10代前半の少年のままでいるだろうと思っていて、それであればいままでと変わらずに『恋愛?よくわかんない』というサトシのままで描かれるであろうと思えるのだけど、サトシが主人公でなくなったらちがうかもしれない、というのがとてつもなく怖いです。

サトシは10代前半の少年で、だからぴんとこなかっただけで、思春期を経て成長したサトシは、それが当然の、正しい人間の成長であるかのように、恋愛をしている/していた描写をされるかもしれない。
しかも制作陣や関係者はそんな感覚は全くなく、「それが普通でしょう?」というふうにそれを描くのかもしれない、と思うと絶望してしまう。宙ぶらりんにしておいてほしい。

いまのままなら、「もしかしたらサトシも成長したら恋愛するかもね」というだけの話であって、確定事項ではないわけです。あやふやなままにしておいてほしい。
『恋愛?よくわかんない!それよりバトルしようぜ!』のサトシのままでいてくれるかもしれないという、希望を残しておいてほしいのです。

なんというか、自分に似た考えを持っているであろう人間が、それでも周囲に肯定されている、または否定されていない話をアロマとかアセクにも残しておいてほしいんですよね。もちろんサトシは明確にそういったセクシュアリティの人間として描かれているわけではないのですが…。

サトシに「誰かと恋愛・結婚をしてしあわせになってほしい」と考えるひとが、「○○としあわせになってほしいな」と考える余地(もしかしたらね、公式とカップリングが違うかもしれないじゃないですか)を残すのと同時に、アロマンティックやアセクシュアルのひとが、「サトシも恋愛よくわからないって言ってる」ってほっとする余地も残しておいてほしいんです。

だってシスヘテロの恋愛とか、伝統的な家族観に基づく家族のはなしとか、そういうのはいままでも無数に描かれてきたし、おそらくこれからも無数に描かれていくと思うんですよね。たまには私みたいな自認のひとにも残しておいてくださいよって思ってしまう。アニポケは私の救いの場所であったのだから、そのまま救いの場所を残してくださいよ、と、どうしても思ってしまう。私にとっては避難所みたいなものなのだから。

もちろん、そういったもの(成長して、恋愛がわかるようになったサトシ)が仮に描かれたとしても、恋愛がよくわからない、と思っている人間を否定するものではない(私がアセクシュアルであることが、他のセクシュアリティのひとを否定するものではないのと同じように)、というのは分かっているのですが。

分かってはいるけれど、実際にそれが描かれてしまったら、「え?サトシはまだ子供だから、だから恋愛よくわからないというのが許されていただけであって、成長した人間というのは当たり前に(恋愛がよくわからないと言っていたひとであっても)恋愛をするというのだけが正しくて、大人になったら恋愛がよくわからないっていうのは許されないの???」と思ってしまう。そんなことはないと分かっていても、思ってしまう。

大好きな小説、「ペンギン・ハイウェイ」からの引用なのですが、『ぼくはわかっている。でもわかっていることと、安心することは、ぜんぜんちがうことなんだよ』『ぜんぜんちがうんだ』であると思うのです。

もちろん、いままで【恋愛がよくわからないというサトシが許されて、受け入れられてきた】過去のシリーズが存在しているのが希望である、ということに変わりはないんだけど、もしもこの先のシリーズで恋愛をする/経た、サトシがでてきてしまったら、いままでのはなんだったの?子供だから許されていたの?大人になったサトシが例えばまた恋愛を向けられたとき、今度は『まあサトシだからね』とか、『サトシはそれでいいよ、そういうところも素敵だよ』みたいにはならないかもしれないってこと?と思って絶望してしまう。

この、【かもしれない】というのがよくなくて、というかそういう風に考えなければいいんだけど、まあね、不安に思うことがあるときにそれを『不安に考えなければいいのよ!』っていうのはなかなかに乱暴なことというか、難しいことであって、だって不安なんだもん、せめて『不安だよね』ってうけとめてほしいし、『や、でもサトシも成長したら恋愛するでしょ』とかぜったいに、少なくとも私には言ってほしくないなって思ってしまいます。
そう言ってほしくないならね、私が「恋愛よくわかんないんですよね、で、サトシもそうだからそれに救われてきたんですよね」というようなことをはっきりと伝えておかないといけないんだよな、とも思うのですが…。

あとね、会社のひとに「新シリーズでサトシの子供がでてくるという描写がされないか不安すぎる」という話をしたときに、『サトシも成長するから…』といわれたのですが、そのなかには含みとして『だから恋愛もするでしょう』が含まれているように思ってしまって、ひとからしたら面倒くさいであろう話をきいてくれたひとであるのにも関わらず、内心「ちくしょう、社会通念のせいかーーーー!」と思ってしまいました。態度には出ていないと思います。出ていないといい…。出てしまっていたら申し訳ないな…。
菓子折りとか渡せばいいかな…や、それもなんかちがうよな…。

どのようにして立ち直ればいいのか?

【感じたもやもやを言語化できるようになる(そのために今回これを書いている)】

どうやってこの淋しさやら不安やらから立ち直ればいいのか?と考えたのですが、や、時間が解決してくれるのを待つほかなくない…?とまっさきに思いました。推しの公式供給が途絶えたオタクたちはどうやって乗り越えているんですか…それとも乗り越えていないのか?時間が経つにつれ薄まるのを待つだけなのか???

で、立ち直る方法のひとつとして、文章にまとめようと思いまして、私は文章を【まとめる】というのがひどく苦手で、ここまで読んでくださったひとはそれを感じていると思うんですけど、まとまんないんですよ。

もちろんそれだけの問題ではないけれど、句読点むずかしくないですか?どこにつけたらいいの?
字書きを、私はだから尊敬しています。

文章をね、まとめましてどうにかしてこの脳内をかけめぐるあれこれをすこしでも鎮めたいし、でも感じたことを忘れたくはないんだ、なぜならここまでこころがぐちゃぐちゃになるということは自分にとって大事なことが含まれているからで、悲しいのは時間が薄れさせてくれるが、それによって失われるなにかもあるわけで、失われる前に留めておきたいです、と思って書いています。

読み返すとしんどくなってしまうブツができあがっている可能性が高いんですけどね…。

【アニポケ以外での、恋愛や性愛が関係ない場所を得る】

例えば、男女の区別なく草原でポケモンを追いかける、みたいな、そんなんがいいんですよおれぁ、まあポケモンはこの世界には(本当に残念すぎますが)生息はしていないので、この世界に生息しているもので置き換えるとすると、男女の区別なく草原でちょうちょを追いかけたりしてたいんですよおれぁ、になる、つまり昆虫観察会じゃん…。
メレ山メレ子さんの、「ときめき昆虫学」発行記念イベントの昆虫観察会に参加したことがあるのですがすごくよくて、老若男女いろんなひとがいて、みんなで昆虫を探してわいわいするっていうのがめちゃくちゃよかった。「すき」でつながる理想的な人間との関わりって感じでした。

つまりは恋愛とはべつの「すき」(ひとに対してでも、作品に対してでも、とにかく広義の「すき」)でたのしく過ごす空間や人間関係が必要である、ということになりますかね?

これに関しては本当に幸福なことに、すでに得ていると言えると思います。クィアなはなしもできるひとがありがたいことに複数人いてくれているので…。
そのひとたちとの関係を大切にしつつ、そういった場所を広げる努力をする、とかでしょうか。

【新シリーズに成長したサトシがでてくるってなったらおれはアニポケから卒業する、と決めておく】

できれば卒業したくないんですけど、成長したサトシが私の勝手な理想を体現したままのサトシでいてくれたら卒業しないですむと思うけど、現実はね、厳しいし分からないので…。

私の心配事が現実となってしまう場合、自分のメンタルヘルスのためにも卒業をしたほうがいいね、懐古厨として過去シリーズを見返す人間になろうと思います。

あとあれですね、「アニポケサトシが…サトシが…」のはなしを人にふっかけるなら、先に『私、「でもサトシも成長したら恋愛するでしょ」とかはぜったいに言ってほしくなくて…!』って言ってバリアをはっておく、というのもしたほうがいいですね?そしたら少なくともそのままの言葉を私には言ってこないでしょう、と思うので。
他人の言葉を奪うことになりかねませんが、できれば人前で泣きたくないので…。

【クィアが出てくる作品、または、クィアリーディングができる作品を探す】

最近、アロマンティック・アセクシュアル自認、またはそうであろうと思われるキャラクターが登場するお話が増えているように感じてとてもうれしいので、それを探すのを続けましょうね。そういった作品を描いてくれるひとのすきな作品、さらにその先のすきな作品…って掘ってくとか。
最近その感じで読んだ「不思議の国の少女たち」シリーズが良すぎたので、他のおすすめ作品も読みましょうね…。

あとは来年に実写映画が公開される「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」もぜったいみましょうね、原作最高だったので…。

がんばってくれ、おれ…!

【本書作成までの流れ】2022.12.23

  • 12/16…アニポケ主人公がサトシでなくなることを知る。べしょべしょに泣く

  • 12/17…友人と遊ぶ。喫茶店で話すのは憚られる(泣くかもなので)ので歩いて移動しているときにサトシについて話す。ライブを楽しむ

  • 12/18…友人と遊ぶ。喫茶店で話すのは憚られる(泣くかもなので)ので歩いて移動しているときにサトシについて話す。推し作家さんの個展などを楽しむ

  • 12/19…通院のために会社を休む。考えると泣くので外ではサトシのことを考えないようにする

  • 12/20…出社して、ポケモンの話ができるひとにサトシについて話す。新シリーズの主人公についてのネットの考察を聞いて泣きそうになったため話を遮る。話をふっておきながら、申し訳のないことをしたと思う。わけわかんなかったよな…。他の人にもきいてもらう

  • 12/21…半休をとってライブに行く。普段泣かなかった曲でもべしゃべしゃに泣く。ひとりで行ってよかった…!と思う

  • 12/22…会社で、20日とは別のひとにサトシの話をする。泣きそうになったがごまかす

  • 12/23…ポケモン映画が冬の場合、ここが初日だろうととっておいた休みで、いままでツイッターやラインに吐き出していたものをこの形にまとめる(しんどい)(アニポケ映画、次はサトシじゃないってこと?しんどい)

  • 結論:しんどい




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