君を失った僕の痛みと微笑み ―Mr.Children「memories」解釈―
Mr.Childrenのニューアルバム「SOUNDTRACKS」いいですねえ。毎日聴いています。私は初めて通して聴いたとき「memories」に衝撃を受けました。詳しくは、よろしければ
「死」を「終わり」をどう受け止めるか ―Mr.Children「SOUNDTRACKS」感想—
こちらをご覧ください。
まあ簡単に言うとこのアルバムは前半死の流れがあって「Birthday」から生の流れになったのになんで最後の最後「memories」で死に戻るのかっていう衝撃ですね。
ミスチルからのクリスマスプレゼント
12月24日、公式から一つの動画が公開されました。
Mr.Children "Memories Sessions” [期間限定公開]
なんというクリスマスプレゼント!家で一人で過ごしていた私に沁みる。
本当に素晴らしいギフトでした。なんて粋なことをするんだ……。ありがとうありがとう。
さて、この動画を見て一番に驚いたのは「小林さんいるじゃん!!」ってとこですよね。本当に驚いた。小林さんとずっと一緒にやってた頃はいろんな想いを持ってたけど一度しっかり離れて、サプライズとしてこうやって一緒に演奏する姿を見るとクるものがある。このご時世なので私は年末年始は実家に帰らないが、Mr.Childrenはある意味親である小林さんのところに帰ったんだな、実家に帰ったんだなみたいな感慨がある。
「Documentary film」も素敵だった。心揺さぶられた。たくさん語りたいが、今回は「memories」について書きたいので「Documentary film」の感想は割愛させていただく。
「memories」、君を、聴ける日がくるとは思っていなかった。こんな世の中じゃなければ「SOUNDTRACKS」のコンサートがあっただろう。しかしもしコンサートがあったとしてもその中に入ったかどうか分からない。リード曲でもなければ盛り上がる曲でもない。演奏はピアノとストリングス。バンドサウンドではない。
私はこの「memories」が大好きだ。アルバムで一番聴いている。「memories」のライブ映像が見られて本当にうれしかった。
「memories」の解釈(音源を聴いて)
「memories」という曲について考えてみる。この曲は大切な人を失った曲だ。主人公は深い悲しみを抱えている。立ち止まったまま、もう戻らない君を待ってる。それがCメロで変わる。この曲はCメロが肝だと思っている。
固く目を瞑って 今 手繰り寄せる どこまでも美しすぎる記憶
つらい現実から目を背ける。そして君との記憶を手繰り寄せる。美しいものばかり。きっとそうじゃないものもあっただろう。でも今思い出すのは美しいものばかりだ。
心臓を揺らして 鐘の音が聴こえる
心臓の鼓動。生きている。君との記憶が、それを思い出す幸福が僕の心臓を動かす。もういない君に生かされている。鐘の音はAメロの「時計の針はどうしてずっと止まっているのだろう 約束の時間の前で」にかかっている。時計が進んだから鐘が鳴るのだ。僕の時間が動き出す。
僕だけが幕を下ろせないストーリー
君のいない現実で、僕は生きていく。
「memories」の解釈(動画を見て)
動画では穏やかに微笑んで「memories」を歌う桜井さんがいた。私は意外に思った。微笑んで歌う曲なのか……?
あらためて歌詞を読んで気付いた。僕は君のことが本当に本当に大切で大好きだったんだ。その気持ちがこれでもかと描写されている。残されて一人になって君を想っている僕を聴き手である私は痛々しく思った。しかし僕は幸せなのだ。君との思い出があるから。
CD音源とちがって声を張り上げて歌われたCメロ。私はアルバムの「The song of praise」のCメロを聴いて「これだけは絶対に伝えたい、どうしても伝えたい」という必死さを感じた。それと同じものをこの動画のCメロにも感じたのである。
固く目を瞑って
今 手繰り寄せる
どこまでも美しすぎる記憶
心臓を揺らして
鐘の音が聴こえる
僕だけが幕を下ろせないストーリー
ここで伝えたかったことは何だろうか。
「memories」はMr.Childrenを失った桜井さんの歌ではないか
今回の動画を見て、ひとつ、ぼんやりと思っていた解釈を書いてみようかという気になった。
この曲はMr.Childrenを失った桜井さんの歌ではないか、というものだ。
「memories」はバンドサウンドではない。「死」を「終わり」をどう受け止めるか ―Mr.Children「SOUNDTRACKS」感想—でいくつかの曲で私は舞台上で踊っているようなイメージを持ったと書いたが、この曲は桜井さん一人が舞台の上で、メンバーは観客席で聴いているというイメージだった。そして今回の動画だ。映ったのは桜井さんと小林さんとオーケストラの皆さん、「Documentary film」では田原さん。それだけだった。ジェンとナカケーはいないのか……と思っていたらエンドロールに名前がある。あれ?Mr.Childrenのメンバーだから名前があるだけかな?いなかったもんな?そう思ったらちがった。いた。エンドロールに映ってる。ジェンもナカケーも田原さんもブースの向こう側にいた。私が考えていた桜井さんは舞台の上、メンバーは観客席で聴いている、という構図が存在していた。
「memories」は桜井さんがMr.Childrenに向けて、メンバーに向けて、歌っていた、と考えてみたい。
動画のタイトルは「Memories Sessions」実際にセッションしていなくてもそのエンドロールに名前があったジェン、ナカケー、田原さん。「memories」は3人も参加している曲だ。それは歌い手の対象として、という解釈はどうだろう。この曲は失っているところから始まる。Mr.Childrenを失うというのは解散だ。解散はいつか必ずくる。すぐにとは思わないがいつか必ずくるのだ。桜井さんはMr.Childrenを失う。Mr.Childrenを失ってもMr.Childrenの思い出=memoriesを抱いて生きていく。傍からは痛々しく見えていたとしても関係ない。僕自身が幸せなのだから。そうメンバーに向かって歌う。
「だから、大丈夫だよ」
時には微笑みながら、時には声を張り上げながら歌われたこの曲はこんなメッセージを伝えたかったのではないだろうか。
アルバムのラストにふさわしい曲
私は「SOUNDTRACKS」を聴いて最後の最後「memories」で死の匂いに戻った理由を探していた。しかしこの曲は生だ。幸せに生きる歌だ。切なくて苦しくて痛々しい、というのは第三者としての感想だった。主人公は思い出があるから幸せに生きていく。「memories」はアルバムの死の流れ、生の流れ、それらを包括している曲であり、またそれらを超越した曲でもある。アルバムのラストにふさわしい曲だったのだ。
いつか来る終わり。大切な人との別れ。そのときに訪れるであろう痛み。しかし思い出の強さとあたたかさがきっと救ってくれる。
こわがらなくてもいいのかもしれない。
いろいろあった2020年ももうすぐ終わる。2020年の最後にこのような気持ちになれてよかった。
(紹介した動画の最後には「In memory of Hiroshi Hiranuma」と出る。動画の意味はしっかりと書いてある。その上で勝手な解釈をするのは甘えに他ならない。「尊敬して居ればこそ、安心して甘えるのだ」と太宰治が「女の決闘」という作品の中で書いていて、私も同じ気持ちだ。寛大な心でゆるしていただきたい。最後に平沼浩司さんのご冥福をお祈りいたします。)