限りなくTSUTAYAのレンタル袋に近いブルー
それは海水浴の夢ではなかった。
海を思わせるTSUTAYAの青いレンタル袋を手にして呆然とするだけの、DVDを延滞する夢だった。
今はもうTSUTAYAへ行くことはほとんどなくなったというのに、いまだにレンタルDVDを延滞する夢を見る。
公開が終わった映画を見るのはNetflixやAmazonプライム等のサブスクばかりになっても、夢の中ではまだTSUTAYAでDVDを借り続けている。
開店前に返却BOXに返せばOKという救済制度がまだなかった頃、朝目覚めた瞬間にTSUTAYAのあの青いレンタル袋を発見して何度絶望感を味わったことだろうか。昨日に戻ることはできないという無慈悲な時間の非可逆性と、己の計画性の無さを嘆いてももう遅い。
しかも、延滞したときに限って必ず五本借りている。千円で五本借りられてお得かと思いきや、五本分の延滞料金を払うことになるのだからショックは倍増し、TSUTAYAのレンタル袋同然に顔は青ざめることになる。
こうして私たちはTSUTAYAのレンタルを通して社会の厳しさを学び、世の中のルールや社会性を身に着けてきたわけだが、今やサブスク全盛の時代。
つい先日には渋谷の顔ともいえるSHIBUYA TSUTAYAでもレンタルを終了した。TSUTAYAの映像作品やCDのレンタル事業からの撤退は、時代の変化というものを如実に感じさせる。
TSUTAYAへ行く機会は激減し、TSUTAYAでレンタルする機会はなくなってしまった。いつかはレンタルDVDを延滞する夢も見なくなるのだと思うが、その鍵となるのは来年のTポイントの消滅にあるのではないかと思っている。
来年2024年の春にTポイントは三井住友カードのVポイントに統合され、Tポイントは完全にこの世から姿を消す。
このことによって私とTSUTAYAの繋がりは完全になくなってしまう。
Tカードを差し出し、Tポイントを貯め、使用することで何とか更新してきたTSUTAYAの記憶もこのことを期に失われてしまうのではないのだろうか。
「端数はTポイントからお引きしましょうか?」
Tポイント加盟店での支払い時のやりとりで、クレジット払いで端数をゼロにすることにどんな意味があるのか少し考えてから、「ポイント全部使ってください!」と、店員の配慮に反抗するように答えた記憶。
TSUTAYAの運営会社といえば、カルチュア・コンビニエンス・クラブ、通称CCCと呼ばれるほどC推しの会社なのにポイントはCポイントじゃないんだ?と思った記憶。
まだVHSのビデオを扱っていた新宿TSUTAYAではアダルトビデオを一切置かないポリシーを掲げていたが、DVDを扱うようになった頃、新宿TSUTAYAのアダルト館ができているのを見かけ、二度見をした記憶。
そんなTSUTAYAにまつわる記憶もいつかは失われてしまう。
それから気になっているのは、来春になったら急に「端数はVポイントでお支払いしましょうか?」と訊かれるようになるのだろうか、ということ。
Vポイントでお支払いと突然言われても何のことかわからない人も当然いるだろし、店員から「お持ちだったTポイントがVポイントになったんですよ」と説明されたところで余計に混乱は増し、「お、お餅がVポイントに!?」と、どこかで聞いたことがあるやりとりが現実になってしまってもおかしくはない。
でも、本当に私の青春時代はTSUTAYAとともにあった。TSUTAYAのレンタル袋の青さは私の青春の青さそのものであったと言ってもいい。TSUTAYAのおかげで本当に多くの映画や音楽と出会うことができた。
サブスクのおすすめとは違い、物理的なレンタルには偶然の出会いも多かったように思う(千円で五本借りるときの最後の一、二本は適当に選ぶという偶然の出会いがあったはず)。
そうした出会いから多くの学びを得て成長することができたし、TSUTAYAもまた私たちのレンタル料と延滞金で成長してきたわけだから、我々はともに成長を支え合ってきたともいえる。
しかし、どんな出会いにも必ず別れのときはやって来る。
元々は書籍、CDの販売店であったTSUTAYAが形を変え、レンタル事業は一大事業に発展した。Tカードの会員数は7000万人にも達したと言われている。
しかし、今後はどうなっていくのだろうか。
閉店する店舗もあり、TポイントがVポイントに統合されるだけでなく、Tカードのデザインも黄色のTの文字が消え、Vに変わってしまう。人々の記憶からもかつてのTSUTAYAの姿は失われていく。
思えば、高校を卒業して上京し、TSUTAYAの三軒茶屋店を訪れたときの光景は鮮烈だった。
田舎の人間は都会の人混みを見て祭りの賑わいだと思うと言うが、私はTSUTAYA三軒茶屋店の週末のレジの混み具合を見て祭りだと思った。祭りの屋台に群がる人のようにレジ前には大行列ができ、会計を終えるまでに優に30分はかかったと記憶している(記憶は常に誇張されるものだから、本当はそんなにかかっていないのかもしれないが)。
最近になって思うことは、記憶に残すこと、残ることの素晴らしさ。
やらずに後悔するよりはやって後悔した方がいいというのは、何もやらずにいればノーチャンスだが行動すれば成功する可能性もある、という意味合いもあるが、それ以上にやれば必ず記憶に残るからではないかと思ったりもする。
人生には成功することもそれ以上に失敗することもあるだろうが、無数の記憶があれば、それだけで人生に意味があったと思えるのではないだろうか。そして、それを忘れない限りいつでもそのことを振り返って懐かしむことができる。
たぶん私はTSUTAYAのことを忘れはしない。
たとえTSUTAYAで延滞する夢を見なくなったとしても、海の青さや空の青さからもTSUTAYAのレンタル袋の青さを思い出すことができるし、地球が青いままである限りTSUTAYAの記憶は残り続ける。
そして願わくば、レンタルDVDを延滞する夢ではなく、TSUTAYAでの楽しい日々を思い出せる夢を見たいものである。
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