橋本紡『半分の月がのぼる空』解説
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二〇〇三年。
橋本紡は一九九七年に電撃ゲーム小説大賞(現・電撃大賞)で金賞を受賞、『猫目狩り』でライトノベル作家としてデビューし、『リバーズ・エンド』シリーズに続く、ある作品を刊行しようとしていた。
SFでもファンタジーでも伝奇でもない、超自然現象が存在しない世界を舞台にした、バトルものでもいわゆる「ラブコメ」でもないボーイ・ミーツ・ガールの青春小説。
いまもむかしも、ライトノベルでそういうタイプの作品は一定数の支持を得ることはできても「ヒット」する確率というと、それほど高くない。
それでも彼は、どうしても『半分の月がのぼる空』が書きたかった。
きっと、ギリギリとした想いを抱えていたのだと思う。
この作品をターニング・ポイントにして、橋本紡はライトノベルから、いわゆる「一般文芸」のほうへ、活動の足場を徐々にシフトしていくことになる。
『半月』(と、略称で呼ばせてもらう)が出たのが、二〇〇三年だった。
そのころ僕は東京のはずれに住む大学四年生で、同じゼミの女の子を好きになってつきあったものの三か月でフラれ、病死した祖父の葬儀の翌日に臨んだある出版社の最終面接に落ちてしまい、完全に腐っていた。『半分の月がのぼる空』が最初に刊行された電撃文庫版の第1巻が出た二〇〇三年の一〇月時点で、内定はひとつもなかった。田舎にいる親は心配し、もともとギクシャクしていた関係は、よけいにこじれた。
『半月』の主人公・戒崎裕一は、A型肝炎を患ったがために高校に通えず、入院生活をおくっている。といって窮屈な病院にはなじめず、住んでいる伊勢の町を呪い、死んだ父親のことをいまでも嫌っている。
彼には居場所がない。どこにも行けない。僕も同じだった。焦っていたし、苦しかった。だけど自分にできることなんて、ほとんどない。いや、本当はあるのだけれど、向き合うべき現実から目をそむけ続ける。
裕一の場合は、病院を抜け出して友達の司の家で漫画やゲームに浸る。
早く病気を治して、町の外の大学に行くための勉強をすればいいのに、出て行けるほど成績のよくない裕一は、なぜかそうしない。できない。
僕はといえば大学の図書館にこもってわかりもしない哲学書を読みふけり、家に帰ればネットの世界で暴れていた。どこでもいいから就職先を探せばいいのに、やらなかった。
逃避以外のなにものでもない。程度の差はあれ、たぶん誰にでもそういう経験はあると思う。世界から見放されたような気分になって、くすぶっていたことが、自暴自棄になったことが一度もないひとなんて、いるのかな。『半月』は、その気持ちをすくってくれる作品だ。ああいうときのつらさを、つつみこんでくれる。
この物語は、橋本紡自身の入院体験や高校生活をモデルにしたと言われている。舞台である伊勢は、橋本の出身地だ。だから、実感がこもっている。キャラクター造形にもウソがない。
口のわるいヒロインの里香も、高校生の男の子にタバコをすすめてみせる看護師の亜希子も、セクハラばかりしている多田じいさんも、やけに裕一につらくあたる医者の夏目も、ふつうの意味ではまともじゃない。社会的に清く正しいまっとうな人間ではない。
でも、読みすすめていけばわかる。彼女たちは、自分の気持ちにすなおなだけなのだ。自分の感情にウソをつかないで生きているだけだ。ストレスがたまれば、看護師だって息をついて、煙をくゆらしたくなるときもある。自分はもうすぐ死ぬかもしれないと思えば、わがままにもなる。
ただ彼女たちの、建前をとりのぞいた物言いや人間くさい生き方には、トゲもある。だから時には、何も知らない裕一のようなひとたちの神経を、さかなですることもある。
二〇一三年の春、橋本はソーシャルメディア上に、ある発言を載せた。自分が書きたいタイプの作品が、なかなか売れないことに対するかなしみを綴ったのだ。読むひとがぎょっとするようなストレートさで書かれていたから、ネット上には感情的に反発するひとがあふれかえり、関係者は面食らい、心配した。
二〇〇四年になんとかバイトとしてすべりこんで以来、僕も出版業界にいるから、自分が書いた原稿が評価されないくやしさも、編集者として担当した本が売れないときのやりきれなさも、少しはわかるつもりだ。がんばっても報われないこともある。弱音を吐くことだってある。ほとんどの人は、それでも毒を吐く場所を選び、吐き出すことばをセーブしてしまう。けれど橋本紡は「わざわざオープンな場所で、そこまで言わなくてもいいのに……」と、はたから見れば思うようなことでも、率直に言ってしまう。『半月』の作者だけあって、自分の気持ちにウソがつけない。そしてナマな感情には、トゲがある。
失礼を承知で言わせてもらえば、橋本紡は、器用な生き方ができるひとではないのだと思う。だから、僕は橋本作品が好きだ。僕だけではない。だから、『半月』はマンガ化され、ドラマCD化され、アニメ化され、実写映画化された人気作品になった。
『半月』には僕らの胸を突き刺すトゲがあり、橋本作品にはあふれる想いがある。「売れない」と嘆くことができるのは、もっと売れたいと望む人間だけだ。いまよりもたくさんのひとに、魂を注ぎ込んでつくった自分の小説を届けたい。そういう志をもたない人間にとっては、本が売れようが売れまいが、どうでもいいことだ。夢をあきらめてしまえば、心を殺して生きられるなら、悩むことなどない。自分が書いたものを多くのひとに読んでほしいと切実に願うから、理想が高いから、つらいと感じる。
もちろんそうは言っても、現実のきびしさはある。『半月』のなかにもある。舞台が病院なのだから、死ぬひともいる。少し前まで元気だった人間であっても、死はふいに訪れる。病人が主人公だから、いくら気がはやろうと、動けないこともある。里香が死んだ父親と見た風景をもういちど黒い瞳で捉えたくても、彼女をむしばむ病がそれを許さない。二〇〇三年の僕も、死んだじいさんの分までがんばって生きようと思ったけれど、就活の結果はさっぱりついてきてくれなかった。のちに編集者になったときも、担当した本が売れなかったときは申し訳なく、罪悪感でいっぱいだった。
それでも裕一と里香は、閉塞感をバイクに乗って振り切ってみせる。がむしゃらに。むちゃくちゃに。
他人の死を目のあたりにし、自分の死の可能性と向き合えば、ひとはほんとうに大事なことに気づく。そうして、いままでは何かをいいわけにしてセーブしていた感情を、行動を、解き放つ。裕一は自分の身体が壊れることもおそれずに、まわりの大人が親切心で前に立ちはだかろうとも、やりたいことをやる。里香との時間をたいせつにすることを選ぶ。ひとには、そうせざるをえないときがある。「こういうのは、きっと売れないよ」と、アドバイスをしてくれる人がたくさんいるなか、それでも『半月』を出したときの橋本紡がそうだったろうし、あるいは、ライトノベルではなく一般文芸でなければ書けない作品を世に問いたかったときも、そうだったのかもしれない。
僕が勤めていた出版社をやめて独立したのは二〇一一年。東日本大震災の少しあとだ。あのとき、一万数千のひとが亡くなった。僕は東北出身である。弟は沿岸部にある街に住んでいて、少し間違えば危なかった。人生は有限だ。そう強く思った。だから僕も裕一のように、ふっきれた。そのころしていた仕事は楽しかったけれど、能力の限界を感じてもいた。僕はこうして文章を書く仕事のほうが向いている。それくらいわかっていた。だけど出版社にいたほうが、少なくとも当面は、毎月の生活は安定する。だいたい、苦労してなんとか潜り込んだんじゃなかったのか? ウマが合わない上司だって、何年かすれば異動するから辛抱していればいい――そうやってむりやり言い聞かせて、やりたいことを先送りするのを、やめた。人生は有限だ。そしてしかし、残された者の人生の時間は、それなりに長く、つづいていく。残された人間は残されたなりの、人生との向き合い方を選ぶ。裕一をはじめとした『半月』の登場人物たちはみな、そうする。死者に対して誠実に、自分に対して正直に。たいせつなひととのつながりが、思い出があれば、生きていける。
僕がここまで延々と自分語りをしてきたのは、それこそが『半月』の解説にふさわしいと思ったからである。この作品を読んでいると、記憶が刺激され、どんどん自分の過去を思い出していく。自分に引きつけて考え、感じ入らずにはいられない。裕一や里香たちのことを、わがことのように感情移入して読んでしまう。『半月』はそういう力をもった作品だ。あなたもこの小説を読んで思いだした“あのころ”のことを、きっと誰かに話したくなる。そう思ったらぜひ、親友や恋人に、話してほしい。病室での里香と裕一のように、照れ隠しで、言いたかったことが言えなくなってしまってもいい。沈黙がよぎってもいい。それがどれだけいとおしい時間であったのかは、あとになってわかる。
誤解をされるといけないが、ただ過去をふりかえるためにではなく、まえを向くために、この小説はある。生きていれば迷うことも、おそれることも、あたりまえのことだ。けれど裕一と里香をみればわかる。彼らがしているように、僕らも一歩、踏み出せる。