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手品師は薔薇を添え、鳩を出さない




「私の愛を受け取ってくれないか?」



差し出されたのは薔薇の花束。それも禍々しいほどの深紅が漂う愛の塊だ。

芳しいを通り越してくらくらするような花の香りは妖艶な年上の女性を彷彿とさせる。熟成されたベルベットの花びらの艶やかさが幾本も集まるとまさに壮観の一言で、ピンと張りつめたフィルムに包まれた美しい人は頑強な茨の城で守られ、その気高さを一層増して見せている。

なるほど、薔薇の花束が女性の憧れと言われるのもよくわかる。

俺は座っていたベンチに背中をのけ反らせながら妙に冷静な心地だった。あまりの驚きが一周して沈黙になるように、目の前の見知らぬおっさんが差し出す花束にも動じることはなかった。

ただ二の句が継げるようになるまでにはだいぶ時間がかかったけれど。


「相手、間違えてませんか?」

「いいや、確かに君だ。君にあげたいんだ」


細身のスーツをすらりと着こなした身綺麗なおっさんはにっこりと微笑んで花束を差し出し続けている。その段になってようやくことのやばさが泡を吹いて沸騰し始めた。


どうしよう、どうやって逃げよう。全速力で振り返らずに走れば撒けるかもしれないが、ちらりと時計を見やる。長時間ここを離れるわけにはいかない。

無言であたりを見回すと子供たちがブランコをどれだけ高く漕げるかを競っていて、その平和さが恨めしくなる。サプライズは好きだがこんなのはお呼びじゃない。

じっと黙っているとトイレの芳香剤とは違う瑞々しい薔薇の香りがさらに迫ってくる。こんなことなら一回トイレでこの状況についてじっくり考えたい。


「さては君、私のことを不審に思っているね。気持ちはわかるが、確かに君で間違いはないんだ」


おっさんは一旦俺に薔薇を押し付けるのをやめ、くるりと身を翻しながら胸ポケットに織り込んでいたハンカチーフを取り出した。シルクらしい光沢のある生地を薔薇の前でひらひら振ってみせるので、今にもマジックショーが始まりそうな雰囲気だった。

ドッキリ成功のあとは鳩でも出す気か、おっさん。


「さて、君は30分ほど前からそのベンチに座っているね。そして何度も時計を確認している。人を待っているんだろう」


やばいおっさんがストーカーに進化した。

いや30分前から俺の行動を把握しているというだけでストーカーと断定するのは時期尚早かもしれないが、怖いもんは怖い。鳥肌が立った。


「しかもやたらと落ち着かない様子だね」


知らんおっさんに薔薇の花を渡されて落ち着いていられるか。


「待っている相手は恋人かな。そして今日はなにか特別な日、そうだろう?」

「どうしてそれを、」


ハッとして口に手をあてた。俺が危ない目にあうのは構わないが、その火の粉を彼女にまで飛ばすわけにはいかない。

しかしおっさんはニッタりと口の端をあげて「そうだろうそうだろう」と頷いていた。なんとかしなくてはと思って時計を見るが待ち合わせの時間までほとんど間がない。

彼女とおっさんが鉢会えばどうなるか、想像するだけで身震いがした。

だが当のおっさんはまったく気にする風もなく、「注目したまえ」と前置きしながら透明なフィルムの前でシルクのチーフをひらりと遊ばせた。鬼が出るか蛇が出るか、覚悟を決めておっさんの動きを見逃さないように気を尖らせた。


花弁が落ちるようなもったいぶった動きのうしろに何かがちらつく。何もなかったはずの薔薇の花束の中にうずもれた白いもの。トリックを暴こうとする観客のように目を凝らしていると徐々に全貌がわかってくる。

薄っぺらい白いもの、あれはカードだ。おそらく花やケーキなんかの贈り物によくつけるメッセージカードの類だろう。四つ角には女性が好みそうな輝く装飾が施されているのがわかるが、肝心のなんと書いてあるかが見えない。本当にあと少しというところなんだけど。

ぐっと身を乗り出して腰を浮かす。まだらに穴の開いた文字がひとつずつくっきりと見えはじめてーーーーーー。



「は?」



おっさんと目が合った。それと同時に目の前の花束を奪い取るようにして掴んだ。そのままじりじりと後ずさり、ベンチのへりに膝の裏が当たったところで警戒しながらもちらりと白いカードの文字を読む。



誕生日おめでとう
アイ



それはよく見るメッセージカードだった。何の変哲もなく、おかしいところはひとつもない。たとえばこれを俺が持っていたなら、彼女はきっと笑みを浮かべて喜び受け取ってくれただろう。

しかしこれはおっさんが持っていた、おそらくおっさんが買った花束。そのメッセージカードに「アイ」と書かれているのはおかしい、俺の彼女の名前が書かれているのはどう考えたっておかしいんだ。


「アキヒロ、おまたせ!」


ハッと顔をあげて声の方を見るとアイが小走りにかけてきていた。お嬢様風のつばの広い帽子から流れるまっすぐな黒髪に一瞬見惚れるけど、すぐに我に返った。

ダメだ、アイ、こっちに来ちゃだめだ、逃げろ!


「アキヒロ、その花束、」


アイは長いまつ毛に縁どられた目を丸めて驚いている。時すでに遅し、最愛の彼女とやばいおっさんが出会ってしまった。俺はうなだれながらもアイを守ろうと憎きおっさんをギリと睨む。あれ、


「どうして、それ、もしかして、誰かに聞いて用意してくれたの?」


途切れ途切れになったアイの声は音飛びの酷いCDプレイヤーに少し似ていた。いや彼女の肉声は世界の歌姫もびっくりな甘く芳しい声なんだけどね、と心の中で弁解する。

俺がそんなことを考えている間に、アイの大きな瞳にみるみるうちにきらりと光る粒が溜まって表面張力のすごさを思わせる。だが感心している場合ではない。

何がどうしてなんなんだ、盆と正月と台風とマジックショーが一度に去来したような困惑が休日ののどかな公園に渦巻いていた。とはいえちゃちな手品師張本人は人体消失というクライマックスを迎えたのかすっかり公園の砂ぼこりに変わっていた。

あわあわしているうちにアイは顔に手をあてて本格的に泣き出してしまい、俺はぽつねんと取り残されておっさんがくれた薔薇の花束を抱えている。

傍から見ればまるでプロポーズに失敗した男みたいないで立ちだが、状況はひとつもあっていない。いやプロポーズの予定は俺がもう少し稼げるようになってからで、とまたひとりで言い訳しながらアイが落ち着くのを待った。


「毎年わたしの誕生日にね、年齢と同じ本数で作った薔薇の花束を贈ってくれていたの」


泣きすぎてしゃっくりが止まらなくなったアイが少し苦しそうに話し出す。


「いつもそれがすっごく楽しみでね。あぁ、でももう今年からはもらえないんだーって、わたしは24歳で時が止まっちゃったんだーって、そう思ったの」


一生懸命話してくれているのだが、泣いて頭がぽーっとしているせいなのか要領を得ない。俺は相槌を打ちながら彼女の頬に流れたマスカラの繊維を眺めていた。


「でも今日アキヒロがその花束持ってるの見て、わたし、感動しちゃって。つい涙が止まらなくなっちゃったの。ごめんね」


ふぅーっと大きく息を吐きにっこりと微笑んだ彼女は最高に可愛かった。瞳がきゅるんと潤んだところにサラサラ清楚な黒髪が後光を差す。やばい結婚したい。いや今はそれどころじゃないんだった。


「えーっと、ちなみにそれは誰がくれてたの?」

「パパだよ」


パパ?


「去年のはじめに亡くなったわたしのお父さん」


お父さん。


「話したことなかったっけ?」


ある。あるよ。

俺はほけっと口を開けておっさん、いやお父様の顔を思い出す。確かにアイと似てるところがなくもないような気がしなくもないような、いやさっぱりわからん。


何がなんだか理解できたような気もするが、迷宮入りしてしまったような気もする。ポケットに忍ばせておいたプレゼントを出すタイミングを見失った俺と、すでに満足気に花束を眺めているアイ。


とりあえず彼女に聞きたいのはひとつだけだった。


「おっさん、じゃなくて親父さんってマジック好きだった?」


アイはちょっと驚きつつもわずかに頬を赤らめ、「見ててね」とかぶっていた帽子をちょいちょいと触って見せる。つばの広い帽子の中で何かが動いたと思ったらバサバサバサっと白い羽根が散った。


いやお前が出すんかい、鳩。





***




皆様、今夜はよきハロウィンを🎃




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七屋 糸
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