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「恩師」はいつも後からやってくる(前編)

自分で言うのもなんだけどさ、昔は分かりやすく優等生だったんだ。

勉強は割とできたし、先生に反抗とかしなかったし、スカートも怒られないくらいの長さにしてたし。部活でもそこそこ活躍してたしね。

あの頃の私は流されるままにいい子ちゃんしてて、今で言う「悟り世代」の先駆けみたいな感じだったわけ。大人の言うことには下手に逆らわない、常識はそれなりにってね。まぁ何事も無難にやる器用さもあったから。

友達もちゃんといたよ。多いってほどじゃなかったけど、クラスの友達に部活の友達。イベントとか日常生活には困らないくらいにね。クリスマスとかには必ず集まってパーティーとかしてたよ。

ほーんと、先生たちからしたら全く問題なし。良くも悪くも三者面談ではいっぺん通りなこと言っておけば万事OKな優等生だったの。

意外かな?でも大抵の優等生ってそんなもんだと思うよ。そりゃ学級委員長とか生徒会長しちゃうような筋金入りは別だろうけどさ、それなりがモットーな私みたいな子たちは大抵こうやって毎日過ごしてたと思う。人間、目立たないのが一番だって考えてたから。

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その頃の目下の楽しみは部活でさ、これでも結構頑張ってたんだ。運動は大してできなかったけど、走るのだけは割と得意だったからありきたりだけど陸上部。長距離は嫌いな人の方が多いみたいだけど、私には合ってたのかもね。

それなりの成績も出せるようになって、先生たちは三者面談とか成績表に必ず書いてたよ。「文武両道」ってね。表には出さなかったけど、それ見て私は笑ってた。あーあ、対して努力もしてないのにこんな大層なこと書いちゃってって。もっと努力してるけど芽が出ない人もいるのになぁって。

例えば二年の時に同じクラスだった祐美ちゃん。彼女は同じ陸上部だったけど種目は走り幅跳びだったからあんまり接点なくって、それでもすごく頑張ってるのがわかったんだ。だってうちは強豪校ってわけでもないのに一人で朝練とかしてたし、放課後も一番残ってた。

でも私の記憶の中では一度も表彰台立ってなかった。たった一度もだよ。ほんと報われないなぁって若いながらに思ったよ。私は器用だったし、それなりになんでも出来る方だったけど、そうじゃない人もいるんだよね。何事もうまくいかない部類の人って、やっぱりどこかにはいるんだよ。

そんな風に毎日やり過ごし続けてても時間ってあっという間に経っちゃって、気がついたら私は三年生になってた。部活では副部長だったよ。うちの陸上部は大して人数もいなかったし、その中じゃ人当たりも良くて成績もそれなりだったから。ほらさ、飛び抜けて出来る人ってやっぱり孤独になりがちじゃん、そういうのは先生とかやな奴らからも目付けられやすいから。そういうのは流行りじゃないって思ってたの、一匹狼なんてただ上手くやれてないだけでしょって。

嫌なガキだなって思ったでしょ。いいよいいよ、気使わなくて。自分でも思うもん、よくもこんな世の中舐め腐ったガキが大人になって社会人やれてるもんだって。

でも私だって世の中舐めたまま大人になれたわけじゃないよ。そんな超がつくほど幸福で、絶望的に甘やかされてしまった人はたぶん滅多にいない。私も苦労してないわけじゃないけどさ、あの時のあの言葉がなかったらもっと苦労してただろうって今は思うよ。



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七屋 糸
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