映画のフジキセキについて【※新時代の扉ネタバレ有】
はじめに
劇場版ウマ娘 新時代の扉を見た勢いそのままの勢いで、登録だけして長らく放り投げていたnoteなどを書いてみたが、ありがたいことに読んだ感想をいただくことができた。
その中には質問も含まれており、何点かはコメントにて返答させていただいたのだが、一つだけ色々な意味で返答に詰まってしまったものがあった。
>ジャングルポケットを救済をしたフジキセキとの併走シーンで、フジキセキがポッケに伝えたかったメッセージが分からなかったです。
恐らく、記事を書いた当日にこの質問を受けていれば、迷いなく「こうだ!!」と思った事を書いていたのだろうが、映画を見て暫く時間を置いて冷静に考える時間を得たことで、もっと書くことがあるのではないかと思ったので再び記事として書こうと思う。
今回も例によってネタバレしかないので、見てない諸兄はぜひ映画に言ってから見て欲しい。
と言うか本当はこのテーマで記事書いてる事すら記憶から消して見て欲しいんだよ!!
万が一そんな奴が居るなら、今すぐこんな記事の存在忘れてチケット取って劇場行け!
■誰がためのメッセージ
結論から先に言えば、フジキセキとジャングルポケットが走るシーンには複数の対象に向けられた、異なるメッセージが込められているのではないかと思っている。
一人は当然、並走したジャングルポケットだ。
では一人は?それは、劇場版を見ている観客だ。
では対象が違うだけで、何故メッセージが異なると断言できるか。
そしてきちん読み解いて言語化するためには、まずそのメッセージの対象者を整理する必要がある。
それはジャングルポケットと観客で、持っている情報が異なるからだ。
まずはそこから整理していこう。
■ジャングルポケットへのメッセージ
1.ジャングルポケットから見たフジキセキ
まず、この映画を見たからと言って今これを読んでくださっている方に全ての設定が伝わっているかは分からないので、今からの話に必要な、勝負服について軽く説明させて頂きたい。
この作品では、レースする際の服装が2種類ある。1つは冒頭の弥生賞やデビュー戦と言ったGⅡ以下で使用する体操服。
これは学生が体育の授業で際に使用するものと何ら変わらず、ただ運動しやすい服装と言う認識で問題ない。
そしてもう一つが、皐月賞、日本ダービー、ジャパンカップ等のGⅠレースの出走者が着ていた勝負服である。
この勝負服は各キャラクターが基本デザインやデザイン案を考え、そして各キャラクターに合わせて機能性の部分も考慮されて作られている、本来GⅠレースや、TV等でのインタビューの際にしか着用しない特注品の服なのである。
そう、そんな服を着てあの場面でフジキセキは現れたのである。
つまり、ジャングルポケットから見ればこうだ。
『今からGⅠレースと同じ覚悟でお前と走る』
朝から軽く走って、汗を流してスッキリするとかではないことは、彼女が勝負服を着て来た時点でジャングルポケットも察していたことだろう。
そして、彼女の視点を読み解くのに重要なシーンがもう一つある。
それはレース中の彼女の独白シーンだ。
「完璧現役時代のまんまじゃねぇか……」
こう呟いた彼女には、フジキセキの走りはあの最初に見た弥生賞と同じ走りと同じく、速く、輝いて見えていただろう。
最後に、画面に映っている間ずっとフジキセキはジャングルポケットの前に居た。
データを見れば確かにフジキセキは先行脚質、ジャングルポケットは先行~差し寄りの脚質ではあるが、ずっと前に引退した選手と、現役真っ最中の選手が走って、引退した選手がずっと先行し続けるなんてあるだろうか?
以上の事から、ジャングルポケットには「未だに自分より先を走り抜ける、憧れの人」と言う風に見えていると私は思っている。
2.フジからポッケへ
そんな憧れのスーパースター、フジキセキが一緒に走ってジャングルポケットに伝えたかったことは何なのか。
一つは単純に、「走れ」だろう。
劇中でも言っていたが、ウマ娘と言う生物は「凄い走りを見たら、走り出さずには居られない」のである。
日本ダービーのポッケとダンツは皐月賞のタキオンの走りを見て火が灯っていたし、フジキセキだって日本ダービーのポッケとダンツの走りを見て再び走り始めている。そして、ジャパンカップを見ていたカフェとダンツも、激闘を見て「走りたいなぁ」と呟いている。
殴り合いでしか伝わらない漢の言葉がある様に、ウマ娘にも走る事で伝わらない言葉があるのだ。
走る事でしか本能を呼び覚ませない。
完璧にバトル漫画の文法だが、ここはそういうシーンでもあるのだ。
そしてもう一つは、「舞台に立っていること」の再確認だ。
かつてフジキセキが走っていた時、ジャングルポケットは観客席でそれを見ていた。
あの時のジャングルポケットは、まだターフの上に居なかったのである。
そんな彼女が今やターフに立ち、憧れのGⅠウマ娘と共に走れる所まで来ているのである。
夢に。掴みたかった輝きに。手が届きそうな所まで……いや、手を伸ばして掴む権利がある場所までやって来たのだ。
もう本当に、掴みたかったものは手を伸ばせば届くんだぞ、と。
そんな原初の衝動を思い出して欲しいと言う気持ちも、あの並走には込められていたのだろう。
事実ポッケは、並走後に「なんで最初に走ろうかと思ったのかだけは、思い出せました」と言っていた。
フジもそれを笑顔で聞いていた所を見るに、それは意図通りの答えであったと捉えて間違いないだろう。
■観客へのメッセージ
1.観客から見たフジキセキ
さて、ポッケ視点からもう一人の対象、私たち観客に視点を変えよう。
ポッケくんには分からないが、観客には分かる情報がある。
それがフジキセキの内心である。
ポッケの視点では「現役時代の走りそのもの」と捉えられていたが、フジは内心でこう呟いていた。
「足が重い……最盛期の走りとは、程遠い……」
そう、このシーンの彼女は全然万全の状態ではなかったのだ。
他にもそれを感じさせるシーンはいくつかある。
走る最中の、前を行く幻影にフジさんは結局追いつけない。
これは皐月賞で幻影と完全に重なったタキオンとの対比だ。
レース後、ポッケはすぐに立ち上がりまた走り出すが、フジさんはそのまま暫く座り込んでおり、とてもまたすぐに走れる状態ではなかった。
では何故、それを観客にだけ開示したのか。
それはきっと、観客に向けてのメッセージに必要だからだ。
2.フジから"お客様"へ
そんなフジから観客へのメッセージは、主に二つの意味合いが込められている。
その一つ目が、エンターテイメント的な後の展開への示唆。
所謂伏線や前振りと呼ばれるものだ。
では何の前振りなのかと言えば、それはラストに繋がる。
そう、アグネスタキオンの復活である。
アグネスタキオンとフジキセキは、共に4戦4勝。共に足の不調で早期に引退してしまい、揃って幻の三冠馬と呼ばれる程の名馬である。
そんなフジキセキが、不調を乗り越えて復活しようとしているのだ。
そしてそれは、十分可能性がある事だと提示されている。
何せポッケがジャパンカップ前、「次にレース場で話すのは、ターフの上です」とまで言い切っているのだ。
私たちの世界ではそうならなかったが、ウマ娘の世界では復活を信じられる程度には可能性のある出来事だと提示されて居るからこそ、最後のアグネスタキオンの答えが『夢物語を語るご都合主義のシーン』ではなく『もう一度一歩踏み出した感動のシーン』だと理解できるのだ。
3.フジから"あなた"へ
そしてもう一つが、所謂教訓的なメッセージである。
それが何かと言われれば、やっぱり「走れ」なのだと思う。
ただこれは、ちょっとポッケへの「走れ」とは意味合いが異なる。
思う通りにはできなかった。
最盛期はとっくに過ぎてしまった。
『だからやらない』。
『だからこれ以上は諦めよう』。
何を思い出すかは人それぞれだとは思うが、これを読んでいる人もそんなことを思った事は一度や二度はあるのではないだろうか。
誰より速く走りたい。
誰より遠くへ行きたい。
誰より賢いことを証明したい。
誰よりゲームを上手くなりたい。
誰より上手く絵を描きたい。
誰より面白い作品を書きたい。
そんなやらなかった、諦めてしまった事だとしても、
いつでもまた始められる、走り出せるんだよと言うメッセージが込められているのだ。
もちろん、それが成功するとは言っていない。
フジさんだって、本当に復帰できたかは最後まで明言されなかった。
仮に復帰できたとしても、もう一度GⅠに出走できる程に力が戻るとも限らない。
でも、それでも諦めずにもう一度走りだすことは、誰にだってできるし、いつからだってできるのだ。
だから走ろう!
■私だって走りたい!!
如何だっただろうか。
もはや完全に独自考察の領域ではあると自覚はしているが、同時にそこまで的を外した内容ではないと自負している。
実際にXでは何かをしたい衝動に駆られている人は見受けられるし、何より私がこうしてもう一度「文章書こう!!」と思い、無意味に寝る時間も削ってせっせとnoteを書いているのだ。
そう受け取って実行してるんだから、私には言い切る権利位はあると思う。
もし、「そうまでいうなら、本当にそうか確認してやる」とか「いや、コイツの言ってる事は絶対間違ってるから確認してやる」と言う熱意が少しでもあれば、また劇場に足を運んで頂きたい。
私と同じ答えとは限らないが、きっと新しい発見があると思う。
そう言う意味でも、今回の映画は本当に良い映画だったと思うし、スタッフの方に最大限の賛辞を送って終わろうと思う。
本当に良かったから、また次の新作映画作って!!
何なら毎年作って!!!!